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『鶯谷』の昔日を歩く① [寫眞歳時記]

『鶯谷』という地名を聞くと、下町育ちの者は風流な名前にも関わらず、いかがわしいイメージを思い浮かべる。私が幼少の頃から、この地域にはラブホテルや怪しい風俗店が密集し、路上には派手なお姉様と怖いお兄様方が常に徘徊していた。最近は風俗環境の浄化が進んだようだが、未だに往年の名残は街の端々から感じられる。

「鶯谷」という町名は存在せず、正しい住居表示名の『根岸』に言い換えると、突然に文化的な香りを感じてしまう人は歴史モノ好きに間違い無い。

現在、NHKドラマ「坂の上の雲」が再放送中だ。2009年から3年間に及んで放送された司馬遼太郎原作の大河ドラマで、何度観ても心打ち震える名作である。主人公・秋山真之(本木雅弘)の親友役で正岡子規(香川照之)が登場するが、この不出世の明治の俳人は台東区根岸で暮らし、そして短い生涯を閉じた。

昔のドラマに触発されて、ちょっと哀愁漂う猥雑な町を歩いてみる...

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JR鶯谷駅の薄汚れた通路を通り北口を出て、ラブホテル密集地帯をソワソワしながら抜けると「子規庵」が佇んでいる。

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正岡子規は明治27年に病室兼書斎の場として此の地に移り住んだ。すでに結核の末期症状に陥っており、故郷松山から呼び寄せた母と妹の厚い看護の元で、多くの友人や門弟に囲まれながら創作活動に励んでいたと言われる。当時の住居は戦災により消失したが、往時の雰囲気を残したまま昭和25年に復元された。書斎の間に立つと、病床の兄の看護に専念した妹・律の姿が前述のNHKドラマと重なって浮き上がって来た。名優オンパレードの作品だが、律役の菅野美穂の演技と美しさは際立っていた[揺れるハート]

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痰一斗糸瓜の水も間にあはず

死の淵にあっても揺るがぬ客観性と冴え渡る諧謔心[exclamation×2]
自分も最期はこうありたいと願う。

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子規庵を出ると向かいに古い洋館風の建物が見える。『書道博物館』である。洋画家であり書家である中村不折が、40年に亘り蒐集した書道史研究上重要な資料を所蔵・展示している。洋画家であった不折は明治28年に正岡子規と共に日清戦争の従軍記者として大陸に赴き、中国文化と書の世界に触れ、以降、没頭することになる。子規を始め、夏目漱石、森鴎外らとの交流も深く、「子規庵」での文人の集まりに彼も加わっていたに違いない。当地に博物館を建設したのも、子規との縁によるものだろう。昭和11年に開館、不折が逝去後も中村家が自費で長らく運営していたが、平成7年に台東区に寄贈された。

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敷地内には明治・大正・昭和それぞれの時代の名残りが散見され、書道に造詣の無い小生でも十分に愉しめる。因みに「新宿中村屋」のロゴは不折によるものである。
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子規、不折という明治の文化の担い手の交流に想いを馳せながら、一本通りを挟んだ場所に移動すると、今度は昭和の巨匠の足跡に触れることが出来る。

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『ねぎし三平堂』・・・昭和の爆笑王「初代・林家三平」の記念館である。週2日ほどの開館の為に未だに内部鑑賞できていない。小生の幼少期にはテレビスター的存在だったので当然ながら周知の落語家だが、実は彼の落語をまともに聞いたことが無い。トレードマークであった「どうもすいません」の記憶だけだ。

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54歳の若さで鬼籍に入られたので、彼の芸の真髄に触れられなかったのが残念だ。長男の「こぶ平」が「9代目林家正蔵」を襲名し、タレント活動から一転して今や古典落語の大家の道を歩んでいる。浅草演芸ホールによく出演するので、彼の深みのある高座が私は大好きだが、そこに父・三平の面影を感じたりするのだ。まるで噺家よりもタレントとして大成した父が辿り着けなかった夢を叶えているように感じるのだ。

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ねぎし三平堂は林家一門の芸能事務所も兼ねており、さらに林・海老名家の自宅でもあるようだ。三平の妻・海老名香葉子は今年91歳だが、当館の堂主を今も務めている。「しようもない」男どもを叱咤激励し、陰日向から支えた女丈夫がいたからこそ、芸人だらけの家族の成功があり、江戸落語の一翼を担う林家一門の隆盛があると言っても過言ではない[exclamation&question]

根岸2丁目の1ブロックだけでこれほど楽しめる鶯谷の奥深さ[ぴかぴか(新しい)]まだまだ続きます.....

唐突に林家三平の次女〜泰葉〜を聴きたくなった[るんるん][るんるん][るんるん]



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よしあき・ギャラリー

坂の上の雲、初回放映の頃に子規庵へ行ってきましたので、とても懐かしく拝読させていただきました。司馬遼太郎が大好きで、街道を行くシリーズも幾度か現地を辿ったこともありました。次回は奈良を予定しています。^^
by よしあき・ギャラリー (2024-11-16 05:46) 

hagemaizo

知性ある人が歩くとこう言う記事が出来上がるのだ、同じあたりを何度も歩いているのに、、、もう知性を磨くのには遅すぎるので、つむじかぜさんを追っかけて穴を埋めよう、そう思ったのでした。
by hagemaizo (2024-11-16 13:29) 

Labyrinth

冒頭の “鶯谷” で思わず (≧m≦)ぷっ
10時頃? おばさん二人で近道しよう!とホテル街を行きますと…
バツの悪そうな中年カップルとすれ違う ということがありました。w
その日の見学コースは、正につむじかぜ様と同じ♪ とても懐かしく思いました。
by Labyrinth (2024-11-16 19:45) 

JUNKO

興味あるお話を伺いました。中村不折は写生という訳語を考えた人ですよね。子規も彼から影響を受けて写生説を編み出したのだと思います。
by JUNKO (2024-11-16 20:51) 

つむじかぜ

> よしあき・ギャラリー 様
放送も佳境に入ってきましたね!休日の楽しみです。
by つむじかぜ (2024-11-18 02:46) 

つむじかぜ

> hagemaizo 様
知性ではなくて、単なる物好きなだけですよ。hage様の感性の足元にも及びません^^;
by つむじかぜ (2024-11-18 02:48) 

つむじかぜ

> Labyrinth 様
俳句となれば当然、Laby様は行かれていましたね^^
ホテル街では通行人同士はお互いに目を合わせないのが暗黙うのルール!こちらは後ろめたくなくても...(^^;;

by つむじかぜ (2024-11-18 02:53) 

つむじかぜ

> JUNKO 様
さすがJUNKO様です。私は不折はほとんど知りませんでした^^;
by つむじかぜ (2024-11-18 02:54) 

hagemaizo

つむじかぜ様
とんでもないことでございます。
写真も素晴らしい写真満載で、スルスルとつむじかぜワールドに浸かってしまいます。
by hagemaizo (2024-11-20 06:47) 

つむじかぜ

> hagemaizo 様
私もゆずり葉ワールドにどっぷりです^^
by つむじかぜ (2024-11-22 09:39)