『敵』 [上映中飲食禁止]

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美しき老境の混沌と諦念〜令和版の筒井ワールド炸裂〜
目覚めると老人は、慣れた手つきで一合の米を研いで炊き、鮭を丁寧に焼き、静かに食卓に着く。そして食後には豆から挽いて淹れた珈琲を持ってパソコンに向かいおもむろに原稿を打ち始める。仏文学の権威と呼ばれた元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は妻に先立たれ、20年近く広い日本家屋に独りで暮らしているのだった。退官後は年金と僅かな原稿料と講演料で糊口を凌いでいる。蓄えが無くなれば自ら命を断つという気構えが、彼の外連味のない生活に不思議と張りを持たせていた。
モノクロ映像が木造住宅の陰影を際立たせ、出来立ての朝餉の温かさを伝えてくれる。いかにも昭和の情景だが、筒井康隆が1998年に発表した原作を映像化した本作は令和の時代にリメイクされている。儀助のPCは最新のMacであり、メールやネットニュースが常用の設定だ。
前半は独居老人・儀助の日常を淡々と描きつつ、彼の歩んできた半生と頑なな性格をユニークに炙り出していく。「健康診断なんて行った事が無い」と大口を叩くが、激辛料理を食って下血すると病院に飛んでいき大腸検査を受け、痔瘻と分かり安堵する。亡き妻のコートの残り香を嗅ぎ涙ぐみながら、女盛りの元教え子・靖子と定期的に食事をして妄想に駆られている。いつ死んでも構わないと言いつつ、人一倍生に固執する滑稽な姿が笑いを呼び込む。衰えたとは言え、食に対する拘りと男性機能はいまだ旺盛なのだ
(う〜ん、まさか私
)
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![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
中盤から彼の日常に徐々に綻びが現れてくる。「敵」の襲来を知らせる謎のメールを受け取ってから、現実と妄想の区別が出来なくなってくるのだ。当初はリアルな夢にうなされる日が続いていたが、いつしかそれが白日夢と化し日常化していく。
【認知症の母を看ていたので分かるのだが、「まだら呆け」と呼ばれる時折訪れる妄想と記憶の消失である。本人が一番悩み苦しむ時期だが、少しづつ痴呆の時間が正常期を逆転し、いつしか悩む能力自体も失って行くのだ】
例によって下心たっぷりと靖子を自宅に呼び込み鍋を突いているといつしか妻の信子と雑誌社の編集者と四人で鍋を囲んでいる。当惑している間に、靖子が編集者を弾みで殺してしまい、庭の井戸に死体を隠そうと奮闘する儀助の姿が映り出される。そして靖子が唐突に「先生、私を想像して自慰したことあるでしょ」と問い詰めてくる。まさに支離滅裂な儀助の脳内破綻なのだが、少なからず誰もが体験している「夢オチ」と重なり違和感を感じさせない。巧みな演出と俳優陣の名演がモノクロ映像で一際映える。
そして遂に「敵」がやって来る...
後半は筒井ワールド全開のドタバタ劇から静かな終息を迎える。何処から何処までが儀助の妄想かが判別が曖昧となり、「敵」も彼の幻覚であるのが推察される。ただ「敵」自体は儀助を脅かし追い詰めてく抽象的な存在であることを示唆し、その本性の解明は観客(読者)に委ねられる。それは「死」そのものか「老いによる認知機能の崩壊」か、はたまたSFばりに本当に「未知の侵略者」なのか。見方によっては「女」が「敵」かもしれない![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
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作中、儀助に関わる重要な女性として三人の個性豊かな女優陣が登場する。彼を惑わす瀧内公美の気品さと淫靡を併せ持った色気が、老人の狂気を上塗りした。勤勉な苦学生と思わせ、まんまと儀助から大金をせしめる河合優実の清純風小悪魔ぶりは痛快でさえあった。黒沢あすかは妻の威厳を保ちながら夫へのとめどもない愛を放つ。小生好みの三世代の女優が、12年ぶりの映画出演となる長塚京三の熟練の枯れた演技に彩りと艶を与えて行く。麗しい化学反応だ。情景と見事にシンクロさせた千葉広樹の音楽も秀逸で、弦の響きと電子音の融合が時に美しく、時におどろおどろしくモノクロ映像と溶け込んでいた。
高校時代に「家族八景」から「七瀬シリーズ」にハマり筒井康隆を知った。小生が初めて触れたSF作家であり、鬼才と呼ぶに相応しい文人だった。近年、彼の作品から遠ざかっていたが、このように映像化された形で再会しようとは、しかも老境に差し掛かった「今」になって「老い」の作品を。映像化困難と言われる筒井作品をここまで昇華させた吉田大八監督に感謝である。歳を重ねれば全ての人に必ず訪れる「敵」と戦うべきか、受け入れるか、やり過ごすか。私は、儀助の最期が羨ましいほど幸せに感じてしまうのだった。老齢者だけでなく多くの方に鑑賞してもらいたい邦画の傑作である![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
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秀逸な記事でおなかが一杯になりました。^^v
女優陣が素晴らしいです。
何が何でも観たくなりました。
まるで我が事のようです。^^;
by よしあき・ギャラリー (2025-02-04 05:14)
今回も興味深い作品を教えていただきありがとうございました。
長塚京三さんが「パリの中国人」役に抜擢された時を思い出しました。
実は映画は観ていないのですが、なんだか観たような気になっているのが不思議な感じです。
筒井康隆作品はたくさん読みました、なんたって私でも読み終われるほど読みやすかったからです、湯船に浸かっている人を思い出すとあんなに思いっきり笑えた自分がサイコーでした。
by hagemaizo (2025-02-04 05:55)
現実と妄想の区別がつかなくなってくる・・・
いつか自分にもそんな日が来るかもしれないと
頭に置きながら観てみたいです^^
「七瀬3部作」は、
今まで何度読んだか分からないくらい読んでいます^^
by 青山実花 (2025-02-04 07:19)
実はすでに鑑賞済みなのですが… ポリポリ 感想は… 面白かった♪ ( ´艸`)
ここに来て映画は観るものの… 纏めようという気力が皆無… orz
過渡期なので? 3月末までは記事に出来ないかも です… w
もっとも つむじかぜさまのような深い文章は望めませぬが…!!
by Labyrinth (2025-02-04 12:42)
つむじかぜ様は写真も文章もとても上手いですね!映画「敵」、とても
興味があります。少し前に「100分で名著」で筒井康隆を特集していた
のがあまりにも面白く、改めて作品を読みたいと思っていた所でした。(私も中学生の時に七瀬シリーズから入りました。懐かしい~。)
by うりくま (2025-02-04 21:42)
> よしあき・ギャラリー様
身につまされながらも、不思議と力を貰える作品です!
by つむじかぜ (2025-02-05 01:19)
> hagemaizo 様
筒井作品の諧謔性と奇抜な発想は癖になりましたね。
年齢を問わず誰でも読めて、でも深い思想を貫いた稀有な作家です!
by つむじかぜ (2025-02-05 01:25)
> 青山実花 様
七瀬を彼女にしたかった青年でした(-_-;)
by つむじかぜ (2025-02-05 01:26)
> Labyrinth 様
私も同様です~
映画は結構観ているのですが、レビューするパワーが落ちております。
歳のせいにはしないぞ、仰る通り過度期ですな^^;
by つむじかぜ (2025-02-05 01:31)
> うりくま 様
難解なメソッドを多用する若手SF作家が跋扈していますが、筒井康隆や北村薫のような楽に読めても深い想いにハマれるベテランも再評価して欲しいです。
by つむじかぜ (2025-02-05 01:38)