国会前庭園 [寫眞歳時記]
『正しく恐れる』ことを行動の旨とし、仕事と余暇を充実させるよう努力している。
玉石混淆のNET情報や情緒的な民放TVからは距離を置き、以前より新聞の熟読を意識している。
ニュースソースが不明な情報や映像が与える過度の刷り込みには、大事なモノは無い。
安全な公園を探していたら、此処に辿り着いた。
霞ヶ関ビルに車を停め、日本政治の中心である無人の永田町をそぞろ歩く。
その永田町のシンボルと言うべき国会議事堂前に、隣接して広大な公園がある事は、あまり知られていない。(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kensei/zentei.htm)
都営公園の多くが休園する中、衆議院が管理するこの庭園は、ハナミズキ・八重桜やツツジなどがが咲き乱れ、まばらな家族連れが休日の午後を愉しんでいた。
丸五(とんかつ・秋葉原) [江戸グルメ応援歌]
ほぼ5年ぶりに食ってきた。
40年ほど昔からの馴染みの店なのだが、知らぬ間に「みしゅらん」の常連になっていて、会社帰りに立ち寄れば、いつも長蛇の列。並ぶことを良しとしない短気な小生は、自然、足が遠のく事となった。先月の末頃、降りしきる小雨とコロナ騒動のおかげ?で、ほぼ待たずに入店成功。何年経とうが、舌は憶えている。此処のとんかつは、小生にとってはかけがえのない味の記憶なのである。
学生時代、毎週末に秋葉原の電気屋さんでアルバイトを3年間していた。
その電気屋に勤めて1年後の給料日のランチタイム、前から気になっていた、いかにも敷居が高そうな『とんかつ専門店』に思い切って入ってみた。実は、小生はその時まで、『とんかつ』なるものを、自宅以外で食した事が無かった。家食好きの父の影響もあってか、揚げ物系は全て母が調理するか、近くの肉屋で買うのが常だったのだ。
初めて訪れたとんかつ専門店は、思ったよりも狭く、調理場と正対したカウンターと二人掛けのテーブルが二つほど。恐る恐るカウンターに座り、ロースかつ定食を注文すると、香り高いほうじ茶とスポーツ新聞が自然と差し出された。なんだか気分がいい。すれ違うもの苦労しそうな狭い調理場では、4人ほどの料理人が黙々と調理をしている。生の豚肉を切り分ける人、衣をつけ揚げる人、皿に盛り付けする人、ご飯・味噌汁などを給仕する人・・・完全分業制のようだ。その彼らの仕事ぶりを、腕組みをした強面の男が、調理場の隅からじっと見つめている。その威厳からどう見ても「大将」と思われた。誰一人、言葉を発しない張り詰めた雰囲気に、若輩者の小生でも「プロの真剣勝負」が感じられ、心地良かった。
運ばれてきたロースかつ定食は、まさに異次元の代物だった。常食としていたトンカツの3倍の厚みと眩ゆいばかりの衣の輝き。自家製と思しき濃厚ソースをぶっかけ、一切れを頬張れば、未体験の柔らかい歯ごたえと共に、肉汁の旨みとソースの甘み、衣の香ばしさが口中に広がっていく。特に、脂身が、いとも簡単にとろけて、五感を痺れさせるなど信じられなかった。今までは、脂身とは、いつまでも噛み切れず、最後に飲み込むモノと思っていたから。自然、ご飯が進む。米も美味い。そして、また味噌汁がとんでもなかった。豚肉の風味に負けない、濃いめの赤だしから、鰹の香りが鼻腔をくすぐる。あっという間に、ご飯お代わりして完食。食後を見計らって、ジャスミンティーが供される。生まれて初めて「もてなされた外食」を味わったひと時だった。つむじ風20歳の食の思い出である。
社会人になっても定期的に通った。
店内は改装され、10年ほど前には2代目の大将となったが、味も雰囲気もサービスも全く変わりがない。
変わった点といえば、小生の定番がロース定食から特ロース定食へと昇格し、自家製ソース樽の隣に岩塩が置かれた位か。
久しぶりの絶品に満足し、箸を置くと、初めて2代目大将が声をかけてきた。
「お久しぶりですね」 小生を覚えていたようだ。
「最近、混みすぎだからね。でも、40年前と変わらず、美味いね」
「そんな昔から来て頂いているんですね。私が入る前からですね。ありがとうございます」
「あの頃は、先代が睨んでて、みんなシーンとして黙々と仕事してたよね。気持ちいいくらいに」
「親父、怖かったですからね、私語禁止でした。震災の年に引退したけど、今日も昼間に顔出しましたよ」
「お元気なんですか?」
「はい、確か80歳だと思いますが」
「また空いてる雨の日でも来ますよ、ごちそうさまでした」
こんなやり取りをしながら、店を後にした。
加齢と共に、大好きな油物も徐々にシンドくなってきている。
肉系の食事は、赤身、ヒレカツを頼む頻度も増えてきている。
だが、この店でだけは、ロースかつを喰い続けるつもりだ。
このお店が在る限り、小生の歯が在る限りは、生涯、そうありたいと思うのである。
昨日、ぶらりと寄ってみたが、「営業自粛」の張り紙が...
暫く充電していて下さい。また、来ます
つつじに想う [寫眞歳時記]
「水虫が痒い」と母が言う。確かに、小生もこの二、三日、むず痒くなってきている。
季節の変わり目になると、死んだふりをしていた白癬菌なるものが顔を出すようだ。
長年、共に暮らしながら、女房・長女や亡き父に感染る事は一度も無く、私と母だけの年中行事みたいなものだ。体質遺伝とは不思議なものである。
二人分の水虫薬を買いに街に出た。
昨日の荒天と打って変わって、澄んだ青い空が広がる日曜日だ。
車移動だからと自分に言い訳をして、カメラも持っていく。
買い物を済ませ、暫く街を走ると、強制力の無い非常事態宣言の姿を目の当たりにする事となった。
浅草から日暮里経由で池袋まで、何処の駅前もマスクをした人々で賑わっていた。
銀座・渋谷などの繁華街が閑散としていても、皆、近場の商店街や公園に家族ぐるみで繰り出している。
部屋に閉じこもり感染に怯える人が居る一方で、小生のように、「不要不急につき三密避けて」の言い訳を作って、生活をギリギリ楽しもうとする人々が相当数居るのだ。
これが、今の日本政治と日本国民の実態だ。
小生は、JR駒込駅構内と休業中の六義園の外壁で、躑躅を愛でて、即帰還致しました。
上野両大師「御車返しの桜」 [寫眞歳時記]
上野の桜といえば江戸時代からの名所であり、毎春、恩賜公園は多くの花見客と酔客で賑わう。今年は、自主規制により、観光祭は中止、飲食禁止、通行止め区間が設置されたが、桜は何食わぬ顔で咲き乱れていた。その恩賜公園を抜け、国立博物館に隣接して、『輪王寺』という小さなお寺がある。普段なら上野の山の喧騒により通り過ぎてしまう位の目立たぬ寺院だが、2人の高僧を祀ったお堂がある事から「両大師」と江戸時代から呼ばれ親しまれている古刹である。
江戸時代初期の京、後水尾天皇が花見の帰り道、余りの美しさから牛車を引き返してご覧になられたという常照皇寺の地主桜。御水尾天皇の皇子である守澄法親王が、初代輪王寺門主となった縁で、いつしか「御車返しの桜」と名付けられたその幼木を当寺に植えたのが起源だ。3代目となる今の桜は樹勢も旺盛で、濃いピンク色の花弁を誇らしげに披露している。
バービーボーイズ新譜 [偏愛カタルシス]
外出自粛につき「ようつべ」「密林」との接続度が増えた今日この頃。
愛しのバービーボーイズが、知らぬ間に、ほぼ30年ぶりのNew Albumをリリースしていた
小生の心酔する20世紀国内最強のロックバンドである。
1982年結成、6枚のオリジナルアルバムを残し、1992年解散。
小生が社会人成り立ての頃から、異色のツインボーカルと変幻自在のギターが織りなす彼らの楽曲に病みつきとなった。転勤中の1990年札幌公演には、妊娠中の女房を連れ添い、胎教を兼ねて夫婦でフィーバーしたのが昨日のようだ。2009、2010年の再結成ライブでは、中年夫婦は腰痛に耐えつつ、オールスタンディングを乗り切った。
更に10年後、小生も還暦を真近にし、同年代の彼らの新譜を聴ける幸福に恵まれるとは!
洋の東西を問わず、往年の有名バンドが再結成し、思い出ソングで一稼ぎというパターンは多いが、それに満足せず新譜をリリースする心意気に感服する。そしてそれ以上に、楽曲・演奏のレベルの高さは感動的である。10年前の再結成ライブ時には、暫く現役を退いていたボーカル・コンタの高音の切れとドラム・コイソの体力面に多少の不安があったが、新作は見事に修正・復活している。(スタジオ録音なので当然だが...コンタのKeyは往年より下げているようだ)更に現役組の演奏が、別バンドやソロ時より光り輝いて聴こえるのは、私の思い込みだろうか?バービーで集まると、全員パワー無限大!
更に10年後、小生も還暦を真近にし、同年代の彼らの新譜を聴ける幸福に恵まれるとは!
洋の東西を問わず、往年の有名バンドが再結成し、思い出ソングで一稼ぎというパターンは多いが、それに満足せず新譜をリリースする心意気に感服する。そしてそれ以上に、楽曲・演奏のレベルの高さは感動的である。10年前の再結成ライブ時には、暫く現役を退いていたボーカル・コンタの高音の切れとドラム・コイソの体力面に多少の不安があったが、新作は見事に修正・復活している。(スタジオ録音なので当然だが...コンタのKeyは往年より下げているようだ)更に現役組の演奏が、別バンドやソロ時より光り輝いて聴こえるのは、私の思い込みだろうか?バービーで集まると、全員パワー無限大!
BARBEE BOYS バービーボーイズ/PlanBee [CD]
- 出版社/メーカー: ノーブランド品
- メディア:
永年所属していた「そにーみゅーじっく」と袂を分かち、無所属からの発売だ。
CDは5曲収録だが、デジタル配信なら8曲がダウンロード可。杏子の妖艶は未だ衰えず、兎に角、いまだ進化するイマサのギターの凄いことといったら...感涙
1984年 デビュー直後の貴重映像
みんな初々しい〜
小生も若かった、カミさんは美しかった
されど、未だ歳を取る事を喜び、更に前を見よう
・・・と、違う業界に進んだ同窓生から元気をもらえたようなNew Albumであった
翁そば【蕎麦・浅草】 [江戸グルメ応援歌]
この店で、蕎麦を啜っていると、自然と気持ちが暖かくなってくる。
15年ほど前に、六区の場外馬券場で見事に撃沈した帰り道、ふらりと立ち寄った店だ。注文を取る美人姉妹の笑顔と、子供時代に連れ戻されたような店内の雰囲気に、荒んだ心が一気に和らいでいった。
月日は流れ、依然として家族経営のスタイルは変わらないが、店の切り盛りは、大ベテラン夫婦から次女夫婦にゆっくりと移り変わっているようだ。このお店の一風変わった特徴は、お品書きに無い、お客の我儘な注文やトッピングが、いつしか裏メニューとして厳然と常連達に認められている事である。
常連ぶった小生が注文するイチオシは通称「ひや大」〜冷やしカレーそば大盛り
冷たいカレーではなく、ちょうどいい温さのカレーなのだ!
通常のカレーは、沸騰寸前の超熱々で、「フーフー」しながらゆっくり汗かいて食すのが定番であり、一気喰いなどすれば火傷必至だ。まさに、気が短く猫舌の江戸っ子仕様の特別メニューなのである。
店独自の平打ち麺に結構辛めの和風カレー餡が絡まり、これを勢いよく「ズズズっー」啜れる至極の瞬間
この「ひや大」に「玉落とし(生卵)」「餅1個」のトッピングが、つむじ風空腹時の黄金メニュー。更に「別盛り」でとお願いすると、ルーと麺を分けてくれ、カレーせいろに早変わりするのだ。
当店の絶妙な「つゆ(かえし)」の味を堪能するなら、たぬき蕎麦がオススメ。
腹ペコ小生は、餅を入れて、「ちから蕎麦」にしてしまうけど。
他店ではまず巡り会えない「甘辛い」そばつゆと天かすの油とが混じり合い、上述の程よい太さの平打ち麺を喉ごしよく胃袋に流し込んでくれる。堪らん^^
明治から昭和初期にかけて、東京一の盛り場だった「浅草」は、高度成長期以降は、時代に取り残された繁華街となる。交通網の発達と都民生活の多様化により、文化の発信基地は、銀座、新宿、渋谷、六本木へと移り変わった。私は、中学校からの下校途中に、悪友達と「花やしき」(日本初の遊園地、当時は入園無料だった)でジェットコースターに乗り、もんじゃを食って帰る日々が多かったが、すでにその頃から、仲見世も六区でも人混みに巻き込まれるような事は一度も無かった。コロナ禍の自主規制による今の閑散さは、45年前のゴーストタウン手前の姿と重なる。
この10年で、インバウンド効果により、青色吐息だった地元商店・飲食店が息を吹き返し、東京有数の観光地として、浅草は生まれ変わってきた。昔からの名店、そして同級生や親戚の家業も、皆、元気になってきた矢先での、今回の事態は、小生にとっても人ごとでは無い。兎に角、「下町根性」で、苦境を乗り切って欲しい。たまに食いに行くぐらいしか私は応援できないけど...
乃木神社の桜 [寫眞歳時記]
乃木希典将軍と静子夫人を祭神として祀った港区赤坂の神社である。大正期の創建であり、東京大空襲で焼失した社殿は昭和期に復興されている。古刹には無い清涼さを湛えたお社だ。乃木坂の通りに面した一の鳥居の脇には、まさに今が壮年期と言えそうな枝垂れ桜が、溢れんばかりの鋭気を魅せてくれる。(写真は昨春に撮り貯めたものです)
因みに、「幽霊坂」と呼ばれたこの地は、乃木将軍殉死後に「乃木坂」に改名されたと云う。
因みに、「幽霊坂」と呼ばれたこの地は、乃木将軍殉死後に「乃木坂」に改名されたと云う。
角萬【蕎麦・向島】 [江戸グルメ応援歌]
非常時という割には、強制力のない緊急事態宣言が首都圏に発令された。この遅きに失した中途半端な政策を効果的なウィルス封じ込めに繋げるには、鯔のつまり、日本国民の道徳心に委ねられたのである。経済対策は想定より大きなものとなったが、スピード感を持って行政機関が、これに対応できるかが鍵だ。零細企業・離職者に滞りなく現金が届けられるか、待った無しの状態である。
街の小さな飲食店も、休業もしくは時短営業を余儀なくされ、経営不安に陥っている。事態が長引けば、味の継承にも黄色信号が灯る。
と、いう事で初の食レポに挑戦します。但し、東京中の名店を根こそぎ食べ歩くというより、馴染みのお気に入りの店への応援歌です。「こいつはぁ、旨え!」と、この味はずっと守り続いて欲しいと願う店ばかりです。兎に角、踏ん張って欲しい。昼間だけでも開けて頂ければ、食いに行きますよ!
第一回は、地元町内会のお蕎麦屋さん...されど、知る人ぞ知る蕎麦マニア垂涎の超有名店である。
三ノ輪「角萬」から暖簾分けされた先代店主が、本店独自の味を更に進化させた。
日本蕎麦の常識を覆す「極太」「強コシ」手打ち麺と、鰹だしの風味を限界まで引き出したようなショッ辛いつゆが織りなす食感は、見た目の田舎蕎麦とは真逆の、まさしく江戸前の気概である。
店主は息子の2代目(小生の小学校の先輩)に引き継がれたが、味・ボリュームは変わらず、かえってグレードアップしているようだ。40年以上通い詰めている小生は、定期的に⇧の「ひや肉(冷やし肉南蛮)」を食さないと禁断症状を来すのだ。
{初めての方への注意事項(通常時ですが)}①ランチタイムは大混雑(打ち立て・切りたて・茹でたてが旨の為、時間要す)蕎麦屋で1時間待ちの覚悟なければ、平日13:30過ぎが狙い目 ②お冷やは事前に出しません。注文は聞かれてから答える(先代からのルール。焦らず、どんなに混んでも順番は絶対に間違えませんので) ③むやみに大盛りを頼まない。⇧で並です。腹持ちの良すぎる麺なので、夜になっても空腹にならない。小生が大盛りを食えたのは30歳代までだった。 ④通ぶって「もりそば」を注文するより、当店売りの「種物」を食すべき。肉南蛮が一番人気だが、たぬきそば・鳥南蛮も旨い。冷でも熱でも。混んでると注文しずらいが、冬場は「カレー南蛮」↓もオススメ。
巷では、極太ボリューム感ゆえ蕎麦界の「ラーメン次郎」などと呼ばれているらしいが、学生アルバイトがレシピ通りで作れるラーメンチェーン店と同一視してはならない。此処には、職人しか作れない江戸前の技と粋がある。美食家や関西系の方には向かないかもしれないが、嵌ったら病み付き必至。『しょっぺえから、食い終わったら喉が渇いてしょうがねぇぜ!』
定休日の日曜午前でも、普段はものぐさな店主が、毎日の【返し】(つゆの元)の仕込みと攪拌を行いに店に出ています。壁面に張り付く蔦が、夏には緑の葉を芽吹かせ、店全体を鬱蒼と覆います。
ひこうき雲 [寫眞歳時記]
医師や看護士の家族がイジメにあっているという
緊張状態が永く続くと人の心は荒み、その人の本性を露わにする
まだ緊急事態ではないと言い切る一国の宰相が、マスクと現金を庶民に配るらしい
世間に疎い殿様は、選挙前の人気取りと同じく、ばら撒きの御沙汰しか出来ない
すでに雇い止めは横行し、街の飲食・サービス業は青色吐息だ
すでに雇い止めは横行し、街の飲食・サービス業は青色吐息だ
自分と家族のみの感染に恐れ他者を排除するよりも
皆が保菌者になったつもりで、周りに感染させない心遣い〜他者への思いやりが一番大事だ
長期戦は、連鎖倒産と失業者を増やし、病死者より大量の犠牲者を生むだろう
街は失業者に溢れ、自殺者が激増、治安も乱れる
「国民の生命を守る」意味は重い
今すぐ2週間、日本の経済活動を止めよ、首都圏は昼夜外出禁止だ
その間に、ホテルのベッドを解放させ、休職中の看護士を復帰させよう
未曾有の決断こそがV字回復の鍵だ
と、愚痴る小生の会社は労働集約型の零細企業
在宅勤務・テレワーク流行りの親会社を尻目に
明日も現場の従業員と楽しく働くのだ!