谷中②〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]
お彼岸、お盆と正月の墓参りは欠かさないが、決して信心深い訳ではない。その習慣は最近のことで、幼少の頃は両親に谷中の菩提寺に連れられていただけの記憶で、結婚後は暫く足が遠のいていたのが本当のところだ。父が亡くなった7年前から漸く家長の自覚が出ただけのなのだ。今夏は母の初盆でもあり、熱波と豪雨の間隙を縫って谷中の菩提寺にお参りに行って来た。(東京のお盆だけは7月中旬なのである。)
子供の頃から何度も通った寺までの道のりは、訪れるごとに色褪せる江戸ゆかりの寺町の風情を感じさせ、寂しさを隠せないのだが、親との朧げだった思い出だけは却ってより鮮明になるばかりだ。
以前は枝が道を覆うほどのヒマラヤ杉の大木が、剪定されて痩せ細ってしまっていた。
台湾デザートで有名な老舗「愛玉子」も現役
初小川【うなぎ・浅草】 [江戸グルメ応援歌]
茹だるような暑さの季節〜少々値段が張っても喰いたくなってしまう・・・『鰻』
浅草界隈に江戸前鰻の銘店は多いが、最近の小生のお気に入りは此処だ
『初小川』・・・雷門が目と鼻の先にも関わらず意外と閑静な通りに面して、凛として佇む小粋な老舗である。実は以前は此処から至近の『色川』に通っていた。一時はTVにもよく顔を出していた江戸っ子気質の親父に怒鳴られながら食す絶品鰻は、M的快感も伴って唯一無二の代物だったが、7年前に単身赴任から帰った時には、その名物職人は天に召されていた。そして跡を継いだ未亡人と娘さんが切り盛りし、下町グルメブームも手伝って店は更に大繁盛していた。昼営業のみに変更した上に常に長蛇の列という状況で、途方に暮れた行列嫌いの小生が偶然に入った店が『初小川』なのだ。
雑然とした店内に誰もが一瞬たじろぐかも知れない。レトロ感というよりも、昭和初期の気軽な食事処がそのまま残っているのだ。
手前に火鉢を囲んだカウンターと小上がり、奥の座敷で10人も入ればいっぱいの広さだ。壁の至る所には、安っぽい芸能人の色紙ではなく、相撲取りの手形やら歌舞伎のポスター、無数の千社札が貼られ、三社祭の提灯から祭り道具が無造作にに陳列されている。そしてお品書きは当然に筆書きだが、外国人向きにしっかり英語表記もあるのが微笑ましい。まさに「開国直後の東京」の風情なのだ
実際の創業は明治40年。それ以来100年以上に亘り継ぎ足している割下と三代目主人が捌き焼く鰻、絶妙の炊き具合の米が織りなすハーモニーが美しい重箱に詰められて、それを私と同年代の粋な女将が運んで来てくれる。
うな重(上)4,300円
美しさより「愛おしさ」を感じる
お吸い物(肝入り)なんと50円
品切れが多いが運が良ければ食える「肝焼き」も絶品
三ノ輪〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]
『三ノ輪』・・・東京都台東区の浅草北部から荒川区南千住にかけての一帯を呼ぶ。都心からの交通手段は地下鉄日比谷線が利便性は高いが、東京唯一の路面電車「都電荒川線」の始発駅の方が都民には馴染み深いかもしれない。私の自宅からは近過ぎる故に暫く足が遠のいていたが、久しぶりに食材の買い出しがてら、未だ下町情緒残るこの町を歩いてみた。
大通り(昭和通り)から都電荒川線「三ノ輪駅」に向かうルートだ。「梅沢写真会館」といういかにも古い建物の1階部分が通路になっており、これが一番の近道なのだ。ビル自体は昭和2年創建のアールデコ調の洋風建築で、当時は都電荒川線の前身の王子電気軌道本社ビルだった言う。
この薄暗い雰囲気が戦前の下町の雑踏を僅かに偲ばせる。そして20歩ほどで暗がりを抜ければ、瞬く間に令和の時代に引き戻される...と思いきや、未だ昭和の香りを残す懐かしい光景と出会える。正面に進めば都電の始発駅が在り、路線に並行して商店街が伸びている。方々に散りばめられた古き東京の欠片を、暫しの間楽しんできた。
☆最近のお気に入り☆
何気に観ていた深夜アニメのエンディング曲として流れ、一発で惹き込まれてしまった。『月詠み』・・・リーダーのユリイ・カノンはボカロ系ミュージシャンとして若者に人気らしい。小生はアンドロイドが歌う楽曲などには全く食指が動かないのだが、彼女が結成したユニット「月詠み」はバンド的な音楽志向が強くなり、特にNewアルバムから新しいヴォーカリストが加入し、楽曲が劇的に生命力を漲らせた。Yueという謎のヴォーカリストの声質が小生の感性にベストマッチサビ部分のハイトーンが聴かせどころなのだろうが、私は彼女のハスキーだがギリギリ耳に暖かい中低音が心地良くて仕方ないのだ。曲構成もユニークかつ楽器演奏も秀逸だ。ユリイのピアノも洒落ている。暫くはこのバンドの動向に目が離せない