師走の牛島神社 [寫眞歳時記]
昨年は喪中の為に封じていた神棚の大掃除を2年ぶりに行なった。
隅々まで乾拭きし、正月用の注連縄をつけ直し、米・酒・塩も新しくお供えする。古いお札や破魔矢を鎮守にお返しし、新調したお札を神棚に祀る。
明日に榊を飾れば新年の準備は完了だ。
お札を交換した鎮守の『牛島神社』が年末年始にライトアップをしているというので、夜に女房を連れ添って再度お参りに行ってみた。
『すずめの戸締まり』 [上映中飲食禁止]
やはり観てしまうのだが...
九州の静かな町で生活している17歳の岩戸鈴芽は、”扉”を探しているという青年、宗像草太に出会う。草太の後を追って山中の廃虚にたどり着いた鈴芽は、そこにあった古い扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で扉が開き始めるが、それらの扉は向こう側から災いをもたらすのだという。鈴芽は、災いの元となる扉を閉めるために旅立つ。(シネマトゥデイより)
今や日本アニメ界を牽引する新海誠監督の最新作である。大ヒット作『君の名は。』では「隕石落下」を、前作『天気の子』は「水害」をモチーフにし、今作は「大地震」である。小生は勝手にこれを「新海・災害三部作」と呼ぶが、シリーズの締め?に相応しい壮大なスケールの現代絵巻となっている。
物語は日本各地の廃墟を巡るロードムービーの体裁だ。宮崎県日南市をスタートし、愛媛県・兵庫県・東京都と北上し、最終地が宮城県だ。実在しない廃墟ばかりだが、アニメ聖地探しの流行に乗って「此処がモデルだ!」とSNS上は賑やかなようだ。女子高生の鈴芽が呪術師(閉じ師)の青年・草太と出逢い、大地震を未然に防ぎながら旅を続けて行く。唐突に椅子の姿に変えられた草太の姿と各地で鈴芽と出会った人々との心温まる交流がユニークかつ美しく描かれる一方で、災害の予兆であるグロテスクな大ミミズと二人の激しい闘いはアニメならでは迫力を醸し出す。
最終地でのクライマックスは予定調和的な大団円で終わる。だが「凄い映像だな」と感心するが「素晴らしい映画だな」まで行き着かった半端な気持ちで終わってしまった。新海作品の既視感が多くなった為、感動が薄れた訳ではなさそうだ。宮崎駿の多くのジブリ作品はパターンは同じでも毎回気持ちを揺さぶられる。やはり今作は設定に問題がある。新海3部作は災害を通しての人間の触れ合いをテーマにスピリチュアルな演出で描くが、新作ではその部分が安易かつ散漫である。バブル崩壊で廃墟と化した温泉地や遊園地と東日本大地震跡を同義に位置付けた時点で、大きな誤りを犯した。死者への冒涜だ。2011年の災害はまだ「思い出」ではない。ヒロインが一目惚れする大学生への想いも希薄だ。その為、良識ある観客には壮大なクライマックスがより空虚に響いてしまうのだ。
作品の大々的な宣伝にも不安を覚える。まるで東京オリンピックなのだ。本来は純粋なスポーツの祭典に利権を求めた輩が群がる構図が、クリエイターの意志をスポンサーの意向が微妙にずれた方向に導いた本作に似ている気がしてならない。莫大な経費がかかるアニメーションゆえの宿命でもあるが、初期の新海作品の原点は失わないで欲しい。「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」では清廉な男女の心の機微をパステル画の如く淡く瑞々しく描いた。周辺に左右されず我儘を貫くべきだ、宮崎巨匠のように。
今作一番の収穫はヒロイン鈴芽役の原菜乃華だ。1700人のオーディションから選ばれた19歳の美少女だが、芸歴は既に10年を超える。声優業は初めてらしいが、声の抑揚が自然で感情表現に長けており、相手役ジャニーズとの格の違いを魅せつけた。将来楽しみな、孫の嫁にしたいタイプの女優だ。
晩秋の会津を歩く② [寫眞歳時記]
だいぶ間が開いてしまい...備忘録です^^;
天鏡閣
朝から霧雨まじりの曇天だったが、それが却ってミステリアスな雰囲気を醸し出す。有栖川宮の別邸として明治41年に竣工され、現在は福島県の所有となっている。離れには「福島県迎賓館(大正11年竣工)」もあるが、こちらは冬季休館中だった。猪苗代湖を見下ろす白鳥のような洋館で女房と暫く時を過ごす。
当時の洒落た意匠がそのまま残されており興味深い。見物客がまばらなのを良い事に、我が愚妻が大変身にチャレンジ
明治の貴婦人もどきが出来上がり
庭に出ると雲の合間に青空が見え始め、洋館の全貌が露わになる。映画のセットとして利用されるのも頷ける白亜の殿堂だ。
猪苗代湖畔で軽く昼食を摂ってから会津若松市内に向かう。
会津さざえ堂
正式名称は「円通三匝堂(1796年建立)」という。他に類を見ない二重螺旋構造の不思議な建築物だ。江戸時代にこのようなデザインを考案し、創り上げる宮大工の凄さに感動する。さざえ堂から山道を登れば、戊辰戦争時代の爪痕に遭遇する。
飯盛山・白虎隊自刃の地
夕刻が迫り、市街地に入り会津若松駅前を短時間で散策する。
白木屋漆器店
『ザ・メニュー』 [上映中飲食禁止]
衝撃の傑作
最近お気に入りのアニャ・テイラー=ジョイ見たさに、予備知識無しで臨んだ作品だった。題名からレストランを舞台にした洒落たラブロマンスを想像したが、さもありなん。恐怖一辺倒のサスペンスを超越したジャンル不問の問題作。何が出るか予測不能の究極のフルコースディナーは、客を戸惑わせ、驚愕させ、最期に史上の満腹感を与えてくれる...
予約が取れないことで有名なシェフ(レイフ・ファインズ)が提供する極上メニューを目当てに、孤島のレストランを訪れたカップル(アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト)。素晴らしい料理の数々にカップルの男性が感激する一方で、女性は言いようのない違和感を抱く。店内が不穏な様相を帯び始める中、シェフ自慢のメニューには、思いも寄らないサプライズが用意されていたのだった。(シネマトゥデイより)
伝説のカリスマシェフが営む孤島のレストラン。世界一予約が取れにくい店に今回運良く招待されたのは、人気映画俳優、料理評論の重鎮、今をときめくエンジェル投資家など人生の成功者達だ。究極のグルメを求める金満家達に混ざり、男友達タイラー(ニコラス・ホルト)に誘われたマーゴ(アニャ・T=ジョイ)は奇跡的にこの会食に同席する事となる。
食材を自給自足するこのレストランでは、従業員も島内で生活を共にし、シェフの統率の元で独自のコミュニティを形成していた。オープンキッチンで一糸乱れぬ作業で調理に励むコック達を眺め、マーゴは不快な違和感を覚えながらも、コース料理がスタートする。そして現れたカリスマシェフ(レイフ・ファイアンズ)の高圧的な料理の説明が始まる。
使用人エルサ(ホン・チャウ)の怪しげな雰囲気から予兆はあったが、彼の登場で今作が「まともな」作品では無いことを確信するに至る。芸風が広い役者ではあるが、名作イングリッシュ・ペイシェント(1996年)の好青年は遠い昔、今回はまさしくハリー・ポッターのヴォルデモートそのものだ。この島の人間全てがシェフを頂点とした狂信的な集団と化していたのだ。神か悪魔か 教祖として君臨するシェフは、今宵のディナーを至高の最期の晩餐にしようとしていた。このレストランにいる全員の命と引き換えに。
カリスマが作り上げる魔法のような料理を鮮明に写し出すカメラワークが凄い。一皿供される毎にシェフの計画が徐々に露わになり、客達は恐怖に凍りついて行く。招待客全員をシェフがこの日の贄の為に周到に選んでいたのだ、マーゴひとりを除いては。タイラーは誘っていた恋人に断られ、直前にマーゴに同伴を頼んだのだった。そう彼女は、富裕層を相手にするコールガールなのだ。シェフは他の客には感じない本質をマーゴから感じとり、興味を抱き始める。
二人の心理的な闘いに思わず引き込まれる。彼女の本性を暴き屈服させようとするシェフに、圧倒的不利な状況でも抗い、脱出の機会を窺うマーゴ。そしてコース料理は終盤となり、刻一刻と最期の時が近づいて来る。果たして狂ったシェフの計画は成就するのか、囚われの金満家達の運命は如何に、マーゴに女神は微笑むのか...
孤島のレストランで繰り広げられる惨劇ショーの体裁なのだが、ありふれたサスペンスとは段違いの斬新な展開と味わい深さに、胸はときめき胃袋は軋むのである。残虐なシーンも料理同様に美しくエレガントだ。グルメ気取りの資産家達を嘲笑うが如くの諧謔味溢れる演出も心地よい。シェフが招待客一人づつの罪状を述べるが、どれも取り止めの無い理由ばかりだ。ただ、教祖様のお気に召さなかっただけなのだが、彼らは究極のメニューの一部として選ばれた。人間は生まれながらにして罪を背負っているというキリストの教義を感じさせ、「生きる事」=「食べる事」の人間の原罪を訴えているようだ。不気味なサスペンス調の展開の中で自然の恵みへの感謝を忘れ、飽食に明け暮れる現代人へ警鐘を高らかに鳴らしている。
本作の高い完成度は出演者の演技力を抜きに語れない。人を超越した重厚な存在感を見せつけたレイフ・ファインズ。自殺願望のグルメオタク役のニコラス・ホルトは、えげつない程軽薄な男を演じ切り、シェフに盲目的に忠誠を誓うホン・チャウの狂気が作品の混沌度を引き上げている。多くの俳優陣が食材の如く己の個性を極限まで調理され尽くし、メインディッシュに登場するのがアニャ・テイラー=ジョイだ。外見はエレガンスだが、実は出自不明の安物食材である。だが、荒海で育った天然魚のように漲る生命力とタフな精神力を併せ持った彼女はまさに美食家垂涎の味を持った素材なのである。出世作「クィーンズ・ギャンビット」同様、『負けない女」を演じさせたら、当代随一の女優であろう。今回も美しきセクシーボディと熱い目力に小生は虜となる。「ラストナイト・イン・ソーホー」時のブロンドヘアであれば即死であったが...