『ヒプノシス〜レコードジャケットの美学』 [上映中飲食禁止]
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中2の時に初めて自分の小遣いで2枚のレコードを買った。
洋楽ロックにハマり始めた頃合いに、唐突に父が小さなコンポステレオを購入したのだ。それまではラジカセでFM放送をこまめにエアチェック(もはや死語
)するか、高級コンポを持つ裕福な友人宅に上がり込んで豊富なLPを聴き漁っていたのだった。冬休みにお年玉を握り締めて友人と入った秋葉原の今は亡き「石丸電気・レコード館」の何と神々しいこと
中学生が気楽にレコードなど買えない時代だ。当時の私がハマっていたバンドで、しかもいつも世話になっている友人のコレクションには無いレコードを探す。もちろん国内盤は高いので輸入盤狙いだ。悩みに悩んだが、最後の決め手は『ジャケ買い』だった。
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
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2段目のLed Zeppelinの5theアルバムのジャケットは、全裸のブロンド少女達がオレンジ色の遺跡のような岩肌を登る幻想的な写真が使用されている。常識的な方なら眉をひそめるようなロリータ趣味全開のデザインに惹かれてしまう中学生だった自分に今更ながらほくそ笑んでしまう![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
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帰宅してアルバムを包んでいる薄いビニールをひっ剥がし、見開きの中ジャケットとご対面する。
何かの神話を彷彿させるような壮大な世界観が、これから針を下ろし聴こえてくる音楽を予兆させてくれた。半世紀前の懐かしい思い出だ。こんな音楽体験は、手のひらサイズのCDやましてネット配信などでは得ることは出来ない。レコードジャケットが中身の音楽と共にアーチストの重要な芸術表現だった時代だ。
前置きが長くなり過ぎたが、このジャケットを製作したのが「ヒプシノス」というイギリスのアート集団であり、本作の主役である。60年代後半にストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルの二人によって創立したデザイン会社「ヒプシノス」の長編ドキュメンタリーであり、当時の音楽に興味の無い人には全く無縁の映画だ。創業者の二人や当時のスタッフ、デザインを依頼したロックスター達のインタビューを通して、ヒプシノスの成功の軌跡を辿る構成だ。特にデビュー前からのピンク・フロイドとの交流話は新鮮だ。ドラッグ漬けのぶっ飛んだ若者達が既成概念を打ち破る斬新なアートを生み出した時代に羨望と哀愁を感じざるを得ない。ヒプシノスはそれまでは宣伝パッケージかアーチストのピンナップ程度だったレコードジャケットを独創的なデザインによって芸術の域まで引き上げた革命児なのである。彼らは、80年代前半までに一流アーチストのジャケットを200枚近く手がけ、時代の寵児となって行く。
大学生になる頃には私のLPコレクションも少しづつ増えていくが、特にブリティッシュ・ロック好きだった為に、知らずにヒプシノス製作のレコードが多く含まれていた。特にピンク・フロイドの一連の作品は、ジャケットの奇々怪界さと音楽の鮮烈さが混然となって当時の純真な青年を刺激した。
原子心母(1970年)
狂気(1973年)
炎(1975年)
80年代初頭からコンパクトディスクの普及とミュージックビデオの席巻により、アナログレコードの衰退が始まり、同時にジャケット写真の重要性も薄れていく。ヒプシノスは1983年に倒産し、輝かしい70年代アートの伝説として当時のロック小僧達の脳裏にのみ深く焼き付いたのだった。そして今まさにアナログ復権ブームとなり、当時のオリジナルLPが若者たちの間で高値で取引される時代となっている。記憶の片隅に眠っていたヒプシノスが目を覚まし、特に我が国で停滞する洋楽に警鐘を鳴らす。挑戦と遊び心が無ければアートは進化しないと![[どんっ(衝撃)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/161.gif)
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映画レビューというより個人的な思い出話でした![[ダッシュ(走り出すさま)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/164.gif)
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Led Zeppelin「The Ocean」(1973年)
R・プラントのヘソ出しもJ・ペイジのパンタロンも70年代だなぁ![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
Pink Floyd「Money」(1973年)
![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
Pink Floyd「Money」(1973年)
映像は2024年にAI製作されたモノ
生身のアーチストとの戦いは始まっているのだ![[がく~(落胆した顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/142.gif)
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『敵』 [上映中飲食禁止]

![[目]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/84.gif)
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美しき老境の混沌と諦念〜令和版の筒井ワールド炸裂〜
目覚めると老人は、慣れた手つきで一合の米を研いで炊き、鮭を丁寧に焼き、静かに食卓に着く。そして食後には豆から挽いて淹れた珈琲を持ってパソコンに向かいおもむろに原稿を打ち始める。仏文学の権威と呼ばれた元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は妻に先立たれ、20年近く広い日本家屋に独りで暮らしているのだった。退官後は年金と僅かな原稿料と講演料で糊口を凌いでいる。蓄えが無くなれば自ら命を断つという気構えが、彼の外連味のない生活に不思議と張りを持たせていた。
モノクロ映像が木造住宅の陰影を際立たせ、出来立ての朝餉の温かさを伝えてくれる。いかにも昭和の情景だが、筒井康隆が1998年に発表した原作を映像化した本作は令和の時代にリメイクされている。儀助のPCは最新のMacであり、メールやネットニュースが常用の設定だ。
前半は独居老人・儀助の日常を淡々と描きつつ、彼の歩んできた半生と頑なな性格をユニークに炙り出していく。「健康診断なんて行った事が無い」と大口を叩くが、激辛料理を食って下血すると病院に飛んでいき大腸検査を受け、痔瘻と分かり安堵する。亡き妻のコートの残り香を嗅ぎ涙ぐみながら、女盛りの元教え子・靖子と定期的に食事をして妄想に駆られている。いつ死んでも構わないと言いつつ、人一倍生に固執する滑稽な姿が笑いを呼び込む。衰えたとは言え、食に対する拘りと男性機能はいまだ旺盛なのだ
(う〜ん、まさか私
)
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中盤から彼の日常に徐々に綻びが現れてくる。「敵」の襲来を知らせる謎のメールを受け取ってから、現実と妄想の区別が出来なくなってくるのだ。当初はリアルな夢にうなされる日が続いていたが、いつしかそれが白日夢と化し日常化していく。
【認知症の母を看ていたので分かるのだが、「まだら呆け」と呼ばれる時折訪れる妄想と記憶の消失である。本人が一番悩み苦しむ時期だが、少しづつ痴呆の時間が正常期を逆転し、いつしか悩む能力自体も失って行くのだ】
例によって下心たっぷりと靖子を自宅に呼び込み鍋を突いているといつしか妻の信子と雑誌社の編集者と四人で鍋を囲んでいる。当惑している間に、靖子が編集者を弾みで殺してしまい、庭の井戸に死体を隠そうと奮闘する儀助の姿が映り出される。そして靖子が唐突に「先生、私を想像して自慰したことあるでしょ」と問い詰めてくる。まさに支離滅裂な儀助の脳内破綻なのだが、少なからず誰もが体験している「夢オチ」と重なり違和感を感じさせない。巧みな演出と俳優陣の名演がモノクロ映像で一際映える。
そして遂に「敵」がやって来る...
後半は筒井ワールド全開のドタバタ劇から静かな終息を迎える。何処から何処までが儀助の妄想かが判別が曖昧となり、「敵」も彼の幻覚であるのが推察される。ただ「敵」自体は儀助を脅かし追い詰めてく抽象的な存在であることを示唆し、その本性の解明は観客(読者)に委ねられる。それは「死」そのものか「老いによる認知機能の崩壊」か、はたまたSFばりに本当に「未知の侵略者」なのか。見方によっては「女」が「敵」かもしれない![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
作中、儀助に関わる重要な女性として三人の個性豊かな女優陣が登場する。彼を惑わす瀧内公美の気品さと淫靡を併せ持った色気が、老人の狂気を上塗りした。勤勉な苦学生と思わせ、まんまと儀助から大金をせしめる河合優実の清純風小悪魔ぶりは痛快でさえあった。黒沢あすかは妻の威厳を保ちながら夫へのとめどもない愛を放つ。小生好みの三世代の女優が、12年ぶりの映画出演となる長塚京三の熟練の枯れた演技に彩りと艶を与えて行く。麗しい化学反応だ。情景と見事にシンクロさせた千葉広樹の音楽も秀逸で、弦の響きと電子音の融合が時に美しく、時におどろおどろしくモノクロ映像と溶け込んでいた。
高校時代に「家族八景」から「七瀬シリーズ」にハマり筒井康隆を知った。小生が初めて触れたSF作家であり、鬼才と呼ぶに相応しい文人だった。近年、彼の作品から遠ざかっていたが、このように映像化された形で再会しようとは、しかも老境に差し掛かった「今」になって「老い」の作品を。映像化困難と言われる筒井作品をここまで昇華させた吉田大八監督に感謝である。歳を重ねれば全ての人に必ず訪れる「敵」と戦うべきか、受け入れるか、やり過ごすか。私は、儀助の最期が羨ましいほど幸せに感じてしまうのだった。老齢者だけでなく多くの方に鑑賞してもらいたい邦画の傑作である![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
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『チネチッタで会いましょう』 [上映中飲食禁止]
![[黒ハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/136.gif)
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チネチッタ撮影所での新作撮影を控える映画監督・ジャンニ(ナンニ・モレッティ)。5年ぶりの撮影は順調にスタートしたかと思われたが、俳優たちは的はずれな解釈を主張し始め、プロデューサーであり40年連れ添った妻からは別れを切り出されてしまう。さらに撮影資金を調達していたフランスのプロデューサーが警察に捕まり、資金難で撮影は中断。映画監督としての地位を築き、家族を愛しているにもかかわらず疎外感にさいなまれたジャンニは自らの人生を見つめ直す。(シネマトゥデイより)
老境の主人公に自分を重ね、少々自嘲気味になりながら苦笑いと相槌を繰り返すが、後の痛快なエンディングが絵に言われぬパワーと爽快感を与えてくれる『愛』に溢れたヒューマンドラマだ。
主人公役の俳優があまり巧くないな、と感じていたらナンニ・モレッティ監督自身と知ったのは観賞後のことだった
だが、頑固、不器用、無神経なイタリア映画界の重鎮という主役の設定がモレッティ自身とすれば納得のキャスティングなわけでもある。結果、脇役陣の好演が主人公の滑稽な愚鈍さを際立たせており、そこまで計算していたとすればモレッティは凄い![[exclamation&question]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/159.gif)
主人公役の俳優があまり巧くないな、と感じていたらナンニ・モレッティ監督自身と知ったのは観賞後のことだった
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
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映画監督として40年以上に亘り、ほぼ5年おきに作品を発表し、イタリア映画界ではそれなりの地位となったジャンニは、現在新作を製作中だ。だがどうも最近おかしい、しっくりこない。新作は1950年台のイタリア共産党の活動をテーマにしているが、歴史を知らない若手の製作スタッフと全く話が噛み合わない。ヒロイン役の女優が勝手に作品を解釈してアドリブを入れてくる。結婚以来、全作品をプロデュースした妻・パオラ(マルゲリータ・ブイ)が若手監督につきっきりで自分の撮影現場に顔を出さなくなった。「自分が老いたのか、周りが変化したのか」自問自答を繰り返すが、映画の本質は普遍だと信じる彼は己を貫く。そんな彼に更にトラブル続出だ。
娘にようやく出来た恋人に合いに行けば、自分と変わらぬ年寄りだし、理解者だった映画の出資者ピエール(マチュー・アルマック)が詐欺罪で逮捕され資金が枯渇する。トドメは妻が離婚を切り出して自宅から出て行ってしまう。今までの価値観が崩れ、信じていた者から裏切られ茫然自失となるジャンニ
それでも彼は映画製作続行に向けて少しづつ歩き始める...果たして作品は完成するのか、彼を取り巻く人々との絆は取り戻せるのだろうか?
![[もうやだ~(悲しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/143.gif)
老人の時代ギャップを嘲笑うコメディシーンが続出するのだが、裏を返せば現代の商業映画に強烈な警鐘を鳴らす。Netflixとの商談で「冒頭2分で盛り上げる脚本に変えて下さい。我が社は世界190ヵ国で放送されていますので。」を繰り返されたと思えば、助っ人の若い韓国製作陣が彼の脚本を一読しただけで、作品の本質を理解し絶賛する。まさに、生活トレンドの変化とグローバル化が及ぼす混沌としたエンターテイメント業界を表現した。
若手監督の撮影現場に立ち会い、バイオレンス一辺倒の作品に異議を唱えて自説を7時間ぶち上げるような独りよがりのジャンニだったが、多くの困難を踏み台にして周辺の人間を理解し受け入れる大切さをこの歳にして知っていく。次第に家族の綻びが戻り始め、新しい協力者の力も得て、作品は製作続行となる。そして彼は、自分の美学に通じる一番拘っていたラストシーンを描き直す大いなる決意をし、物語は壮大なラストシーンに向かっていくのだった。
輝かしいキャリアから得た思想が決して絶対では無いとモレッティ監督は訴える。そして古い考えは切り捨てるのではなく、ポケットの中にそっと仕舞い込んだおけば良いのだと。生きることも、作品を創ることも、経験則だけに固執せずに周辺を受け入れつつ模索していけば、もっと違う色の人生が彩られる。71歳のモレッティが到達した境地を落とし込んだ様な作品なのだ。
確固たるモチーフに多くの娯楽性が注ぎ込まれている。随所に笑いを散りばめ、過去の名画や自作品のオマージュを適時に織り込む。戦後のイタリア共産党の盛衰に現在のロシアの凶行を仄めかし、ジェンダー平等などの社会問題にも触れる。ジャンニ・パオラ夫婦と共に製作映画内の俳優カップルと製作スタッフの恋人同士を並行して半世紀に及ぶ男女関係を三重構造で描くロマンチックな香りも楽しい。鑑賞する度に練り込まれた演出や伏線が少しづつ解き明かされていくような構成だ。『より良い未来を夢見ることを忘れない』という監督のメッセージが染み入る感動作だった。シルバー世代だけでなく多くの年代の方にも鑑賞して頂きたい珠玉のイタリアからの贈り物だ![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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『八犬伝』 [上映中飲食禁止]
江戸時代、戯作者・滝沢馬琴(役所広司)は友人の浮世絵師・葛飾北斎(内野聖陽)に構想中の物語を語り始める。それは里見家にかけられた呪いを解くため、運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いを描く物語だった。たちまち魅了された北斎は物語の続きを聴くため、足しげく馬琴のもとへ通い、二人の奇妙な関係が始まる。執筆作業は、悪が横行する世で勧善懲悪を貫くという馬琴のライフワークとなるが、28年の歳月を経て最終局面に差し掛かろうとした矢先、彼の視力が悪化してしまう。(シネマトゥデイより)
山田風太郎の原作を下敷きに、「南総里見八犬伝」の華麗な空想世界と曲亭馬琴の28年間の執筆活動の実態を並行して描いた異色作だ。山田風太郎作品も馬琴原作も未読だし、少年時代に放映されていたNHK人形劇「新八犬伝」の内容もうる覚えだ。記憶に残っているとしたら1983年の映画「里見八犬伝」。薬師丸ひろ子のアイドル的作品を深作欣二監督が力技で新感覚のファンタジー時代劇に仕上げた。嗚呼、なんという初々しさ![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
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曲亭(滝沢)馬琴の生涯を綴った長編で、八犬伝の内容には深く触れていないが、滝沢家と彼らを取り巻く人々の交流を江戸時代後期の抒情と共に描いた佳作だ。この作品でそれまで知らなかった人間・馬琴の姿を知ることになった。
さて、本作は執筆に取り組む馬琴の実の姿と八犬伝を実写化した虚の世界で構成されている。ベテラン俳優を配置した重厚な人間ドラマが進むと思いきや、一転して売れ線フレッシュ俳優陣による「刀剣乱舞」色満載のアクション活劇となる。この落差がやたらと心地よい
昭和爺いも刀剣女子も楽しめるという意外な組み合わせは、新しい時代劇への潮流を予感させる。『ピンポン(2002年)』や『APPLESEED(2004年)』を手がけたベテラン曽利文彦の面目躍如たるところか。
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昭和チーム代表の小生としては「実話」のベテラン俳優による深い演技に心打たれた。役所広司、内野聖陽が繰り広げる馬琴と北斎の友情物語のリアル感は、この名優だから出せる空気感か。性格は正反対、絵描きと物書きの差はあれど、初老の頃から老爺の域に至るまで芸術に命を賭す狂人二人に流れる絆が見事に表現されていた。さらに馬琴の悪妻役・寺島しのぶの名演が絡んで滝沢家の実態が深掘りされていく。
頼りにしていた長男に先立たれ、緑内障でついに失明した馬琴は八犬伝の完成を諦める。だが、無教養で文盲の長男の嫁・お路が馬琴の執筆を手伝いたいと熱望してくる。全盲が文盲に文字を教えながら口述筆記をさせるという気の遠くなるような嫁と舅の作業が始まるのだった...果たして八犬伝は終幕を迎えることが出来るのであろうか...
杉本苑子の小説では一番胸が熱くなった部分だが、本作では黒木華が深い演技力で存在感を示してエンディングに花を添える。亡き夫の思いを必死で叶えようとする意志強き女性を、少ない台詞と僅かな出演機会で強烈に表現した。
これらの名優陣をメインにリアル部分だけで制作しても秀逸な歴史人間ドラマとして成り立ったであろうが、評価が分かれることを覚悟しつつ並行して描いた空想編が、本作を八犬士の持つ仁義八行の玉がごとく不可思議な光を放たたせるのだ。
とにかく八犬士はモデル級美男子が勢揃いなのである。正直、TVドラマの端役で何となく見覚えはあるがほとんど名前を知らぬ男優ばかりだ。少々調べると、元祖仮面ライダーの藤岡弘、元中日ドラゴンズの郭泰源の息子やら、見た目以上に歳がいっている苦労人ぽい俳優もいて、八者八様というメンバーだ。「刀剣女子よ、お好きなタイプをお選びください」という製作陣の声が聞こえる。そんな中で唯一知る俳優が非常に印象に残った。
昨年のNHK大河ドラマで井伊直政を演じた板垣李光人だ。女装での登場だったが、伏姫役の土屋太鳳、浜路役の河合優美(小生の推しではあるが)が霞んでしまう孤高の美しさに見惚れてしまった
こんな正義の美男子軍団に対抗する悪の権化が怨霊・玉梓の栗山千明だ![[がく~(落胆した顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/142.gif)
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刀剣男士に対抗できるのは元祖キル・ビル女子ということか、絶妙の配役だ
元美少女モデルがコメディからシリアスまで幅広くこなす円熟の女優となった。
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空想編では、曽利監督は作り物感を残したVFXを多用し、かつ俳優陣にも素人臭い演技を要求し「虚の世界」を強烈に演出しているように思えてならないのだが。
『サウンド・オブ・フリーダム』 [上映中飲食禁止]
一つの価値観をぶち壊してくれる力作
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この作品が単なるクライムサスペンス映画であれば、及第点ギリギリの評価だ。だが「実話を元に」のキャプションが付いただけで、劇的に作品の持つ意味合いが変わり、純度も迫力も桁違いとなる。過度な脚色がされているにしても、今現在も世界中で起きている犯罪の実態に驚愕を隠せない![[exclamation&question]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/159.gif)
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国土安全保障省の捜査官ティム(ジム・カヴィーゼル)は、国際的な性犯罪組織に拉致された少年少女の行方を追っていた。上司から特別に捜査許可を得た彼は、児童人身売買がはびこる南米・コロンビアに単身乗り込み、前科者や資金提供を申し出た資産家、地元警察と組んで大規模なおとり作戦を計画する。やがてティムは、尊い命を救うために命懸けで作戦に臨むことになる。(シネマ・トゥデイより)
国際的な児童人身売買に警鐘を鳴らすクライム・ストーリー。南米で誘拐された子供達が秘密裏に北米の裕福な小児性愛者(ペドフィリア)に売買され性的虐待の対象になっている現実が刻々と描かれて行く。ホンジェラスに住む幼い姉弟が芸能事務所のスカウトに言葉巧みに誘われ、多くの少年少女と共に面接会場から連れ去られる。
子役二人を捉えるカメラアイが際立っており、ノンフィクションにありがちな手ブレカメラを多用しなかったことでかえって「作品」としての説得力が増幅している。犯罪の実態を切々と描く見事な導入部だ。
アメリカ国土安全保障省の捜査官ティム(ジム・カヴィーゼル)は焦燥感に駆られていた。幾度となく人身売買に絡むペドフィリアを逮捕するが、事件は一向に減らず子供達が解放されるケースは稀だ。犯罪組織自体が盤石であり根本的な解決の目処は無い。ティムは、組織の壊滅と子供達の救出を目的に南米コロンビアに潜入捜査する提案をし、時間限定ながら上司に承諾される。本作の総指揮を務めたメル・ギブソン監督「パッション(2004年)」での主役以来、久々に拝見したジム・カヴィーゼルだが20年前と変わらぬ若々しさに仰天だ。家族を愛し、正義に燃える捜査官を熱演した。そして手段を選ばぬ違法スレスレの潜入捜査が功を奏し、組織を一網打尽にするシーンは実に爽快であり、事実とは思えぬ緊張感が漲る演出であった。特に悪徳トレーダー役の美女・イェシカ・ペリーマン、現地でティムの協力者となるバンピロ役のビル・キャンプが個性全開の迫真の演技で作品に映画的な華やかさを添える。
現地の犯罪組グループのボス達を逮捕し、50人もの子供達を保護して一件落着と思いきや、ティムの戦いはまだ終わらない。救出した子供の中に冒頭で連れ去られた姉が含まれていなかったのだ。彼は以前にアメリカ・メキシコ国境で保護していた弟と約束していたのだ。「お姉さんを必ず救う」と。
姉の売却先はなんと反政府ゲリラが活動するジャングル地帯だった。今まではアメリカ政府の後ろ楯によりコロンビア警察の協力も得られたが、このエリアだけは同国でも管轄できていない。彼は姉の救出に向け、たった一人で赤十字の医師に変装して無法地帯のジャングルへ向かうのであった。まさに事実は小説より奇なりの様相...果たして...
日本人の一般的な価値観を「ポキッ」と軽くぶち壊してくれた作品は、児童人身売買がビジネスとして成り立つ世界の現実を白日の元に晒す。金を持つ者が自己の性欲を満たす為に貧しき者から子供を奪う。力が無い人間は抑圧され蹂躙されるままであることを...
一方で、2018年に完成しながら公開に5年を要した経緯に、米国の政治的なきな臭さが取り沙汰されている。本作の製作陣には多くのQアノン信者が関わっているという。Qアノンとは、悪魔を崇拝する小児性愛者のエリートリベラルが集う影の政府がこの世界を動かしており、救世主ドナルド・トランプはその勢力と密かに戦っているという極右思想だ。アレハンドロ監督、ジム・カヴィーゼル、実際のモデルであるティム・バラードは熱狂的なトランプ支持者であり、メル・ギブソンは反ユダヤ主義者として有名である。そんな背景からアメリカ大統領選を前に、共和党VS民主党の低レベルの論戦にもこの作品は利用されている始末らしい。だが、分断化が進むアメリカの現状は決して特異なことではなく、平和ボケのニッポンの方が世界では異端の存在なのだ。
この作品から純粋に世界の犯罪の実態を学ぶも良し、製作の背景含めて平和ニッポンの有り難みを痛感するも良し。どちらに想いを馳せるかは個人の感性だが、多くの日本人の琴線に触れるのは間違いない力作であり問題作だ![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』 [上映中飲食禁止]
痛快
『令和版ニッポンの大活劇』
![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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シリーズ3作目との事だが、ほぼ予備知識無しでの初見である。例によって日経夕刊の映画評に惹かれての鑑賞だったが、昭和爺いは最近の若者の感性に素直に軽い衝撃を受けるのだった。日本のアクション映画もこの域まで来たのかと
超個人的傑作『キック・アス(2010年)』以来の快感![[ハートたち(複数ハート)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/139.gif)
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プロの殺し屋コンビである杉本ちさと(高石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)は、宮崎県で一つ目のミッションを終わらせ、バカンスを楽しんでいた。ちさとはその日がまひろの誕生日であることに気付くが、次の任務のために宮崎県庁へ向かう。しかしそこには、これまでに149人を殺害し、150人目として彼女たちと同じターゲットを狙う殺し屋がいた。(シネマトゥデイより)
道徳心のひと欠片も無いバイオレンス・アクション・コメディにタランティーノの香りを感じつつ、圧倒的な殺陣の迫力はジョン・ウイックをも凌ぐリアル感に溢れる。更に個性的な主人公二人が漫画チックかつドラマチックに作品を盛り上げる。
プロの殺し屋とは程遠いイメージの若手女優だ。天然系の陽キャラ・ちさとに髙石あかり、コミュ障の陰キャラ・まひろに井澤彩織だ。両名とも20歳の社会不適合者の設定で、経緯は不明だがプロの殺し屋としてコンビを組んでいる。
髙石あかり・・・舞台「鬼滅の刃」に抜擢され、本作第1作(2021年)でブレイクした21歳だ。今どきギャル全開のパフォーマンスに美しい黒髪と前髪垂らさぬ潔い額が魅力の美少女は小生好みなのであ〜る![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
井澤彩織・・・女優以前に本業がスタントパフォーマーであり、「キングダム」「るろうに剣心」等のスタントでも活躍した30歳の肉体派だ。同い年の設定の髙石と並んでも違和感無しの若々しさは不断の鍛錬の賜物か。当然吹替なしの彼女の戦闘シーンは、今作の魅力でもあるのだ。
この若き殺し屋コンビが宮崎県に潜伏するターゲットの暗殺指令を受け、本作がスタートする。簡単に仕事を終わらせ、南国宮崎を楽しむつもりの二人だったが、同じ標的を狙う殺し屋と鉢合わせをし、事態は混沌として行く。バカンス気分のゆるゆるモードから暗殺マシンに化す二人のギアチェンジは、過去の女性アクション名作にも多く見られるパターンだが、とにかく殺陣のレベルが半端無い。このギャルに立ちはだかる強敵が池松壮亮が演じる一匹狼の殺し屋・冬村だ。
「シン・仮面ライダー」で実証済みだが、池松もスタント無しに拘る若手アクション俳優の筆頭株だ。彼の登場により、格闘シーンが数段と研ぎ澄まされ、殺し屋同士の哀愁までをも漂わせていく。宮崎県庁内での初対決から最終決戦に至る吹替無しのリアルな殺陣は本作の白眉だ![[どんっ(衝撃)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/161.gif)
![[どんっ(衝撃)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/161.gif)
若手俳優陣の鍛錬と秀逸なカメラ技術が、ハリウッドやカンフー映画とは一線を画すジャパニーズ殺陣を生む
そして久々に登場の前田敦子がZ世代の二人に敵意を剥き出す先輩殺し屋を好演して華を添える。我々昭和世代が抱える今時の若者への違和感と羨望を代弁しているかのようだ。
![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
罪悪感ゼロで簡単に人の命を奪う二人が、相棒とだけは深い絆で結ばれる様は「テレマ&ルイーズ」を彷彿させ心を熱くさせるが、本作ギャルには悲壮感や切迫感が全く感じられない。行動や思考の天然的な「軽さ」が作品に独特のアンニュイなエンターテイメント性を生んでいるのだ。今風のユルユルながら本質がブレないギャル会話に思わずうなづき、スピード感溢れるアクションへの抑揚変化に舌を巻く。未だ28歳の阪元裕吾監督の感性が溢れる脚本・演出力に、まさしく羨望の眼差しを向けざるを得ない
ストーリー自体に特筆すべきものは何も無い単なる殺し屋同士の抗争劇だからこそ、鑑賞後にドップリと浸れる爽快感は格別だ
チャンバラからヤクザ映画に続く日本のバイオレンスアクション映画が、令和の若者の手により新感覚の活劇に進化した。ちさと&まひろコンビによる今シリーズは当分続くと思われる。今の世相を柔軟に受け入れる昭和爺いは、これからも二人を応援するのだ![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
![[パンチ]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/153.gif)
![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
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『ラストマイル』 [上映中飲食禁止]
![[かわいい]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/148.gif)
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TV連ドラの関連映画は滅多に鑑賞しない主義なのだが、小生のバイブルである日経夕刊コラムでの5星の高評価に惹かれて会社帰りに錦糸町へ。予想を覆すエンターテイメント性を兼ね備えた骨太の社会派ドラマに感無量
だった。独りよがりの思い込みは厳禁なり![[むかっ(怒り)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/152.gif)
![[グッド(上向き矢印)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/145.gif)
![[むかっ(怒り)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/152.gif)
ブラックフライデー前夜の11月、ビッグイベントにより流通業界が繁忙期を迎えようとする中、有名なショッピングサイトから配送された段ボールが爆発する事件が起きる。さらに事件は全国へと拡大し、日本中が混乱に陥る。巨大物流倉庫のセンター長に着任したばかりの舟渡エレナ(満島ひかり)は、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)と共に、未曽有の事態の収拾に追われる。(シネマトゥデイより)
TBS人気ドラマ「アンナチュラル(主演・石原さとみ)」「MIU404(主演・綾野剛、星野源)」(どちらも未見だが
)2作の製作陣が手がけたオリジナル作品だ。TVドラマの人気俳優が役柄そのままの設定で続々と端役で登場するが、TVファンへのリップサービス程度の賑やかしであり、本作の展開には一切影響がない。主役は満島ひかり。個人的には今や独自の色を放つ名女優として吉高由里子と並ぶFavoriet Actressなのだが、本作でも彼女の魅力全開である。
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
今や物流業界の常識を変えたAmazonを模した「デイリーファースト」の巨大物流センターの責任者・舟渡エレナ役である。彼女の赴任早々に事件が勃発する。最大のショッピングイベント「ブラックフライデー」の前夜に、デイリーファーストから配送された段ボール箱が爆発し、死傷者が発生する。エレナの勤務先に刑事が訪れセンターの関与を疑うが、彼女は世界一のセキュリティを誇るシステムに問題無しと一蹴して彼らを追い返すのだった。そんなエレナに当初は反発を感じながらも、共に見えない敵と戦うことになるのが、チームマネージャー梨本孔役の岡田将生だ。現在放映中の朝ドラに出演し、今後ブレイク間違いなしだが、元々は二枚目の割に渋い演技派俳優で「ドライブ・マイ・カー(2021年)」でも重要な役回りを好演している。小生はNHK「昭和元禄落語心中(2018年)」からお気に入りの男優だ。
エレナの確信は外れ、その後にも爆破事件が起こり、デイリーファーストからの出荷物の爆発に間違いなく、同社へ恨みを持つ者の犯行としてセンターに強制捜査が入る事態に進展していく。ブラックフライデー中での出荷停止は何とか避けたいエレナは、機転をきかせて難を逃れるが、相棒の梨本に一点の疑惑が生まれる。「センター内に協力者がいなければ犯行は不可能。まさかエレナが...」捜査の目が徐々に絞られ、爆弾製造者が逮捕され、12個の爆弾を受け取った依頼者がデイリーファースト元社員であることが判明した。だが、容疑者は5年前から植物人間状態になっており事態は混沌としていく...果たして真犯人は、そして残りの爆弾は何処に...
テンポの良いストーリー展開に時間を忘れる。導入部では現在の物流業界の一片を見せる。ネット通販市場の隆盛により顧客ファーストを掲げた大企業が高度かつ強力な宅配システムを構築した。だが一方でそれは集配センターの稼働効率優先の非人間的な業務を生み、安価な報酬による下請け宅配ドライバー達の苦しみに繋がった実態を観客の脳裏に植え付ける。そしてストーリーが進み、爆破事件の真相に迫るごとに、この社会問題に改めて気づかせる緻密な構成になっている。主人公でありながらエレナの正体を後半まで明かさないサスペンス並の展開もユニークで、人気ドラマを連発する塚原あゆ子+野本亜希子コンビの絶妙な技を随所で体感できる。ハラハラワクワクさせながら、気づけば社会問題を意識せざるを得ないという、まるで次元は違うが「ウルトラセブン」みたいなドラマなのだ。その観点からも、コメディエンヌの一面も出しながら本質はブレない骨太の演技を魅せる満島ひかるはハマり役といえるだろう。宅配業者親子を演じた火野正平・宇野祥平や刑事役の酒向芳もいい味を出して物語のリアル感に寄与していた。カメラワークも音楽も過度に走らず小気味よい。「テレビマンもやるじゃない!」を実感した映画である。既存TVドラマの有名俳優をチョイ役で使うあたりは少々白けたが、社会問題をエンターテイメント作に昇華させた見事な作品だった![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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『ルックバック』 [上映中飲食禁止]
胸に沁み渡る珠玉のアニメ![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
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小学4年生の藤野は学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメートから絶賛されていた。ある日、藤野は先生から不登校の京本が手掛けた4コマ漫画を学生新聞に載せたいと告げられる。そのことを機に藤野と京本は親しくなっていくが、やがて成長した二人に、全てを打ち砕く出来事が起こる。(シネマトゥデイより)
僅か58分間の衝撃の青春ドラマだ。二人の女子小学生の出会いと成長の物語に、美しい友情と運命の縁(えにし)を溢れんばかりの漫画愛を持って押し込んだ傑作といえよう。口コミの良さに惹かれて軽い気持ちでの鑑賞だったが、年甲斐も無く涙腺が緩くなった初めてのアニメ作品となってしまった![[たらーっ(汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/163.gif)
![[たらーっ(汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/163.gif)
![[たらーっ(汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/163.gif)
![[たらーっ(汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/163.gif)
感情表現豊かなキャラクターのコッテリとした描き方と絵画風の自然な背景美術に昭和劇画の香りを感じ、爺いにも非常に好印象だ。昨今のデジタルアニメのリアルティの高さには目を見張るものがあるが、手書き風のアナログ感を残した本作もまた世界に誇るジャパニーズ・アニメの真髄なのだ。
学校新聞の4コマ漫画をお互いに描いていた縁で親友となった二人の小学生。藤野は独創的な創作と作画が得意な明るい自信家、京本は精密な情景描写が天才レベルのコミュ障オタクだ。
藤野が小学校の卒業証書を登校拒否だった京本の家に届ける羽目になり、それが二人の運命的な出会いとなる。不登校ながら4コマ漫画の連載だけを続けていた京本の作画技術に驚嘆した藤野は、彼女に負けじと2年間に亘り猛特訓を重ねたが、結局能力の違いを自覚して漫画を諦めていたのだ。気配はあるが部屋から出ない京本に嫌気がさした藤野は、彼女を揶揄した4コマ漫画を書き殴って家を出る。と、追いかけてくる褞袍姿の少女。実は京本は藤野の独創力に憧れて、ずっと「先生」と崇めていたのだ。二人はお互いの長所を活かして大好きな漫画を共同で作る誓いをする。自分の能力をまだ測りづらい年頃の二人の少女がお互いを認め合った時に奇跡のコンビが生まれた。
中学在学中、藤野が物語の設定と人物描写、京本が背景描写全般を分担して「藤野キョウ」のペンネームで見事に雑誌社の漫画賞を獲得する。高校進学後は7本の読み切り漫画が掲載されるほどの将来有望なアマチュア作家へと成長していく。雑誌社から連載の要望も入り、藤野は卒業後にプロになる決意をする。一方、さらに絵画を極める為に京本は美大への進学を目指し、長年のコンビは解消となる。本音は引き留めて共に漫画を描き続けたい藤野だが、生まれて初めて自分の意思で社会に出る選択をした京本に驚きながらも嬉しさも隠せない。敢えて憎まれ口を叩いて藤本は彼女と別れるのだった。
プロデビューした藤野だが、有能なアシスタントに巡り会えず、連載作品の人気は伸び悩む。京本の凄さを再認識すると共に、作品には助手との信頼関係が不可欠であるのを痛感する藤野。できれば京本を呼び戻したいが、それがやっと飛び立った彼女の為にならないことを知る親友は、悶々と悩みながら独り作品に立ち向かう...そして連載漫画「シャークキック」は徐々に人気を得て、単行本11巻の頃にはアニメ化も決定した。ある日、人気絶頂となった漫画家「藤野キョウ」の元に驚愕のニュースが飛び込む。地方の美術大学に不審者が乱入し、多数の学生が殺傷されたという。その大学には京本が通っているはずだった...
得難い人との出会いも別れも偶然の産物ではなく必然であり、運命の縁(えにし)に導かれたものだ。永く生きていれば多くの大人が体験せざるを得ない定めが、二十歳そこそこの藤野に答えを迫る。「もし私が京本を外の世界に連れ出さねば...部屋の前で4コマ漫画さえ描かなければ...」藤野の『IF』がそのまま映像化され、観客も当惑したままその世界に引き込まれていく...そして現実に引き戻される無情までも共有する。
笑いを交えながら真逆の個性の二人の出会いをドラマチックに描き、序盤から観る者を一気に引き込む。藤野役の声優は、今年一気にブレイクした女優・河合優実だ。小生は昨年のBS連ドラから「推し」ているのだが、コメディからシリアスまでこなす幅広い演技力は最近の若手では頭抜けており、本作の主人公とも見事に一体化していた。中盤は二人の成長をスピード感溢れるテンポで綴り、特に不登校生の京本が外の世界に目覚める様が微笑ましい。そして驚愕の最終章で、普遍の理(ことわり)を通じて『運命を受け入れる尊さ』を歌い上げる。物語の展開は熾烈を極めるが、ラストに見せる黙々と漫画を描き続ける藤野の後ろ姿に涙を禁じ得ない。
原作はヒット作「チェンソーマン」(小生は未見だが)の藤本タツキの読み切り漫画だ。本作は過去の名作のオマージュを指摘され、その側面も否定できないが、1時間弱の尺の中に「人間が生きる意味」を焼き付けた圧倒的な漫画の力は紛れもなく本物だ。押山清高監督の細やかな脚本・演出の手腕も光る。音楽も主題に沿った自然なものだ。背負ってきた人生によって受け取り方は違うだろうが、年齢に関係なく「大事なモノ」を気づかせてくれる。素晴らしい作品と出会えた![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』 [上映中飲食禁止]
これぞ古き良きアメリカ
![[exclamation×2]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/160.gif)
人類初の月面着陸に挑むアポロ計画が始動して8年が経過した、1969年のアメリカ。ソ連との宇宙開発競争で後れを取る中、ニクソン大統領に仕える政府関係者のモー(ウディ・ハレルソン)を通して、PRマーケティングのプロであるケリー(スカーレット・ヨハンソン)がNASAに雇われる。手段を選ばないケリーのPR作戦が、NASAの発射責任者のコール(チャニング・テイタム)の反発を押し切りつつ成功を収める中、彼女はモーからあるミッションを指示される。(シネマトゥデイより)
「人類初の月面歩行の映像はフェイクだった
」・・・現在でもまことしやかに噂される米の都市伝説並みの「真実?」に迫るエンターテイメント作品だ。アポロ11号の快挙とその裏側で進む国家の陰謀を当時の世相を再現しながら、シビアかつユニークに描き切った。
![[exclamation&question]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/159.gif)
冷戦時代、「ソ連より早くに月に行く」史上命令の元に進んだアポロ計画だったが、ベトナム戦争の長期化により当初の遠大な目標は世論や議会の支持を徐々に失いかけていた。政府は失地回復に向け、腕ききの広告のプロフェッショナル・ケリーをNASAに送り込む。
彼女がスクリーンに現れるだけで、映画の色合いが鮮やかになり、観客を60年代のアメリカに連れて行ってくれる。アラフォーのスカーレット・ヨハンセンの咽せ帰るような色香が圧倒的だ。元々は小生のタイプではないのだが、お下品一歩手前のムチムチボディに爺いもイチコロなのでございます
そしてNASAのロケット発射責任者コールにチャニング・テイタム。朝鮮戦争で活躍したパイロットで、元軍人らしい生真面目な堅物を好演だ。初対面から惹かれ合う二人だが、仕事上では水と油の関係に陥る。ケリーの常識はずれの宣伝手法に辟易するコールと模本的過ぎる彼に不満が溜まる彼女の対比が楽しい。
![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
ケリーのPR作戦が功を奏し、アメリカ全土で月面着陸の夢が高まっていく。そしてソ連の宇宙開発の猛追に危惧するアメリカ政府は、国威発揚の為にさらに手を打つ。万が一、アポロが失敗した場合に備え、月面着陸の映像を作成しておけとの指令がケリーに下される。
前半部は人類初の偉業に向け一丸となったNASAの姿が克明に描かれ、過去のアポロ作品にもあるような王道の展開が進むが、陰謀が蠢く中盤からサスペンス要素も加味されていく。秘密裏に進むフェイク映像作りは至難を極めるが、ドタバタのコメディ調に描かれ、この陰謀自体が茶番であることを示唆するようなシリアス感ゼロの作り込みに好感度◎だ![[exclamation&question]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/159.gif)
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愛するコールに打ち明けられず苦しむケリー。実は彼女は国際的なプロ詐欺師であり、このミッションを成功すれば過去の経歴を全て帳消しする条件を政府のメッセンジャーから受けていたのだ。コールが宇宙飛行士になれなかった理由、アポロ1号計画で犠牲者を出した責任を背負った過去を知り、彼の夢を叶えさせたい想いが更に強くなるケリーはついにある決断をするのであった...
熱波を吹き飛ばす爽快な娯楽作だ![[わーい(嬉しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/140.gif)
![[わーい(嬉しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/140.gif)
ベトナム戦争の悪化、ケネディ暗殺と混沌が続く中で、夢を追い一丸となる国の姿に古き良きアメリカの姿を見る。世紀のフェイク映像が失敗しても結果良ければ全て良しで笑い飛ばす国家の陰謀のなんと軽いこと。この大らかな懐の深さは現在の分断されたアメリカは持ち合わせていないものだ。そして60年代ファッションを見事に着こなしたスカーレットがスクリーンいっぱいに弾けて繁栄のアメリカを魅せる。元軍人役のチャニングがアメリカの良心を象徴する。主題は実はシビアなのだが、ラブロマンスとコメディ色を強めた構成により、とにかく観ていて全く疲れず楽しめる、最近の話題作では稀有の『軽さ』が際立つ娯楽の王道のような作品だった。灼熱の夜はこんな映画がピッタリ![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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『メイ・ディセンバー ゆれる真実』 [上映中飲食禁止]
熟れたナタリー・ポートマンに![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
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![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
20年前、36歳のグレイシー(ジュリアン・ムーア)と13歳のジョー(チャールズ・メルトン)は恋に落ち、大きなスキャンダルになる。そのことで服役したグレイシーは、ジョーとの間にできた長女を獄中で出産し、出所後結婚した二人はさらに双子の兄妹を授かる。ある日、二人を題材にした映画が製作されることが決まり、グレイシーを演じる女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、役作りのリサーチのために彼らが住む街へとやって来る。(シネマトゥデイより)
かつてないサスペンス系人間ドラマ
「メイ・ディセンバー事件」とは90年代に起きた実話である。ワシントン州の小学校教師の既婚女性が6年生の教え子と性的関係を持ち妊娠・出産するが、彼女は児童レイプ法で逮捕され懲役刑に服すことになる。出所後、二人は晴れて結婚するが、この経緯がマスコミで取り上げられ全米で物議を醸したという。歳の差を超えた純愛か異常者の淫行か、真偽は闇の中のまま時は流れた...
この事件の映画化にあたり、主役を務めるエリザベス(ナタリー・ポートマン)が役作りの為に、今は静かに暮らすグレイシー・ジョー夫妻を訪ねるところから物語の幕が開く。実話に若干の脚色を加えており、事件当時36歳の主婦と13歳の少年が、現在は2女1男の親になって下の双子の高校卒業が間近という設定だ。この過去を乗り越え幸福そうにに見える家庭に異質な女優エリザベスが絡まり、過去を紐解くサスペンスさながらの展開を見せていく。
グレイシー役のジュルアン・ムーアはまさに貫禄の一語。どんな局面でもエリザベスに素顔を見せない胆力と時にガラスのように簡単に壊れる一面を併せ持つ掴みどころのない女性を自然に魅せる深い演技に圧倒される。コントロール不可の妻を優しく支える歳の離れた夫役のチャールズ・メルトンがハマり役で、グレイシー・エリザベスという強烈な個性の緩衝材的存在になった。そしてナタリー・ポートマンだ。30年前の「レオン」での可憐な幼虫が「ブラック・スワン」で孵化し美しい羽を持ち、神の子ソーの恋人役では暫く羽を休めていたが、本作では人を惑わす煌めく蝶となって華麗に舞うのだ。幼児体型と長らく揶揄されたが、スリムな肢体にはほんのりと油が乗り、身体から発するフェロモンは芳醇なワインのようだ。容姿・演技共に最強糖度に達した彼女へのドキドキが抑えられない![[揺れるハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/137.gif)
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今作でついに彼女は、女優が女優を演じるラビリンスを見事に克服してしまうのだ![[むかっ(怒り)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/152.gif)
![[むかっ(怒り)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/152.gif)
事件当時の関係者から刑事ばりに聞き込みを続け多くの情報を得たエリザベスは、グレイシーと対峙し何度も本音を聞き出そうとするが、逆に彼女の闇の世界に引き込まれそうになる。心理戦ともいうべきヒリヒリした展開は並みのサスペンス以上にスリリングだ。グレイシーがエリザベスに化粧を施し二人が同類であることを示唆させるシーンなどは、2大オスカー女優による鬼気迫る演技の応酬だった。
そしてエリザベスが起こした波紋は夫のジョーの心情も掻き乱し、初めて過去に向き合う契機を彼に与える。グレイシーに成り切ったエリザベスに20年前同様に「犯された」彼は、初めてグレイシーにありのままの自分をぶつけるのだが、果たして彼女は.....
役作りの為の取材旅行に来た有名女優が、夫婦の秘密に探偵並みに迫り、徐々に深みに嵌まっていく設定が極めてユニークだ。20年前の事件を純愛と公言し幸せな家庭を築いている夫婦の謎を一枚づつ剥いでいく過程はサスペンスそのものなのだが、実は夫婦が愛と信じていた時間に向き合っていく純粋なドラマとしても成り立っている。さらに、他者を演じることが生業の「俳優」という生き物の本質を暴く物語も盛り込んだ、複合的な構成になっている。一歩謝れば乱雑な作品になりがちだが、実話を下敷きにした上に、俳優陣の卓越した演技力により、リアルティー溢れる重厚な作品に見事に仕上がった。ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの磨き抜かれた演技から「人間の業の深さ」を垣間見れる秀作だ![[ぴかぴか(新しい)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/150.gif)
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