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『哀れなるものたち』 [上映中飲食禁止]


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若い女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶つが、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植され、奇跡的に生き返る。「世界を自分の目で見たい」という思いに突き動かされた彼女は、放蕩(ほうとう)者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体でありながら、新生児の目線で物事を見つめるベラは、貪欲に多くのことを学んでいく中で平等や自由を知り、時代の偏見から解放され成長していく。(シネマトゥデイより)

当然の18禁であり観る人を選ぶ作品だが、個人的に胸躍る傑作だった[かわいい]
エマ・ストーンの規格外の艶技に目のやり場を失くし、緻密で鮮やかな美術・装飾に目を奪われがちだが、一人の女性の成長をダイナミックに描いた脚本・演出が独特の世界観を見事に表現しており、それが比類なき完成度の高さなのだ。瞬く間に作品に取り込まれたのは言うまでも無い。

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19世紀のロンドン。身重のまま投身自殺を図った女性の遺体を手に入れた天才外科医ゴッドウィン・バクスターは、禁断の手術を施して彼女を蘇生させるのだった。胎児の脳を移植され外見は成熟した美女、精神は新生児並みの成人女性にベラ・バクスターと名づけ、博士は研究材料かつ愛娘として自邸で育て、その成長過程を医学生のマックスに詳細に記録させていた。

衝撃の冒頭だ[がく~(落胆した顔)]
つぎはぎだらけの顔を持つ外科医と機械仕掛けのような動きをする美女が実験室付きの屋敷に暮らしている。ゴッドウィン自身も偏執狂的な父の実験対象として身体中を切り刻まれていたのだ。そして父の異常性を引き継いだ彼もまた自らの手でベラという「フランケンシュタインともいうべき人造人間を生み出したのだ。その過程が描かれる序盤はモノクロ映像が続き、挿入される音楽はチューニングがずれたような弦楽器の軋みだ。閉ざされた世界で錯乱した精神のままのベラを婉曲的に表現する。ゴッドウィン博士を演じるウィレム・デフォーの存在感に圧倒され、野生動物のように粗野に振る舞うエマ・ストーンの演技力に脱帽する。

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中盤からベラのアドベンチャーが始まる。急速に成長を続け自我が芽生え始めたベラは外の世界に興味を持ち、遊び人の弁護士ダンカンに誘惑されてポルトガルのリスボンに駆け落ちしてしまう。画面はフルカラーとなり、ミニチュア風の作り物感満載の背景がベラが見る世界の変貌を物語る。知性より先に性の悦びを得るベラ。あの清楚なスパイダーマンの恋人が...ラ・ラ・ランドのファショナブルな美女が...淫らに肢体をくねらせる[揺れるハート]本作の制作にも関わったエマ・ストーンの本気度を激しいセックスシーンに感じざるを得ない。オスカー獲得には満足しない女優は更に表現者としての高みに昇って行くのだ[exclamation×2]

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ベラの知識欲は留まることを知らず、初めて出会うもの全てを吸収して行く。音楽、踊り、文学、そして格差社会を目の当たりにした彼女は、教養と審美眼を身につけたエレガントな貴婦人へと変貌していく。この件は「マイ・フェア・レディ」に多少通じる。当初は遊び半分だったダンカンだったが、魅力が増す彼女の虜になり、結局は無一文に堕ちぶれ棄てられるのだ。そして最後に辿り着くパリで、ベラは社会通念など一切関知せず、娼婦として楽しく生活を送るのだった。

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バクスター博士が重病との報を受け、急遽ロンドンに戻るベラ。倒錯した天才外科医を産みの親として受け入れ、博士の残り少ない日々を穏やかに共にする。彼女に恋焦がれていた助手のマックスからの求婚を受け入れ、博士の立ち会いのささやかな結婚式の最中に突如、闖入者が現れる。ベラをビクトリアと呼ぶ男はアルフィー・ブレシントン(クリストファー・アボット)と名乗る貴族で、行方不明になっていた妻を長年探して求めていたというのだ。当然、「生前」の記憶が無いベラだが、アルフィーの求めに応じて彼の豪邸に「帰宅」する決断をする。籠の鳥のような生活を妻に強要する元夫の異常な性格を垣間見たベラは、ビクトリアの自殺の原因を憶測せざるを得なかった。ついに彼女は父の元に帰る決断をするが、その前に狂った夫が立ち塞がる...

胎児の頭脳から驚異的な進化を遂げる女性の成長過程を劇的かつアーチスティックに描いた、他に類を見ない刺激的な作品だ。SF的な緻密で有り得ないような背景とエマ・ストーンが纏う奇抜な衣装に心をざわつかせる音楽が溶け込む。落ちたらエログロかパロディに嵌る塀の上をギリギリ歩くような快感に酔いしれる。ヨルゴス・ランティモス監督が操る絶妙な構成バランスと巧みな演出は観客を異世界に呼び込む魔法なのだ。

無垢な魂は、多くの個性的な人間と出逢い、反社会的な環境にも身を委ねながら、「生きる」ことを再学習して行く。一度は自ら命を絶った自分の過去を重ねながら、こんなに素晴らしくも理不尽な世界で「自由」を掴み切る力を身につける主人公に愛しさを覚えると共に羨ましく思えてしまう。それにしてもエマ・ストーンは凄かった。こんな俳優は今の日本には存在しない[exclamation×2]原題『Poor Things』の意味を紐解きながら、さぁ楽しい明日を夢見てとりあえず寝よう[眠い(睡眠)]

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『PERFECT DAYS』 [上映中飲食禁止]

[ぴかぴか(新しい)]やっと観れた[ぴかぴか(新しい)]
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東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山(役所広司)は、変化に乏しいながらも充実した日々を送っていた。同じような日々を繰り返すだけのように見えるものの、彼にとっては毎日が新鮮で小さな喜びに満ちている。古本の文庫を読むことと、フィルムカメラで木々を撮影するのが趣味の平山は、いつも小さなカメラを持ち歩いていた。(シネマトゥデイより)

役所広司が哀しみを湛えながらも爽快な笑顔を見せるラストシーンが全てを物語る。生きる事の辛さと喜びを淡々とした映像に落とし込んだ人間讃歌に、思わず胸が切なくなり涙ぐみ同時に大いなる力をもらい拳を握り締める。嗚呼、蘇る「パリ、テキサス」の情景[exclamation×2]

ある中年のトイレ清掃員の側からはなんの変哲もなく見える平凡な日々を閑かに描く。スカイツリーが間近に見える木造アパートの一室に暮らす平山は、規則正しく毎日を淡々と繰り返して送る。目覚まし無しで日の出と共に目を覚まし、缶コーヒーを片手に軽自動車に乗り首都高を使って渋谷に出て公衆トイレを何ヶ所も廻るのだ。昼食場所も毎日同じで、神社のベンチでコンビニのサンドイッチを摂り、そして懐からフィルムカメラを取り出し木洩れ陽に向かってシャッターを切る。夕方にはアパートに戻り、近所の銭湯で汗を流してから浅草の居酒屋で酎ハイを1杯飲んで帰宅し、古本を読みながら就寝する。休日は、コインランドリーで洗濯を済ませ、カメラショップにフィルムを出し前週のプリントを受け取る。古本屋で一冊100円の小説を買い、そして馴染みのスナックでお気に入りのママの歌声を聞いて彼の一週間は終わる。平山はこの生活パターンを一切崩さず、日常を淡々と繰り返しているのだ。

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作品の前半は孤独な平山の背景について多くは語らない。本人も固く口を閉ざす。我々は彼の過去経歴を憶測するしかない。後輩清掃員のタカシ(柄本時生)は、平山を古い洋楽好きの無口で生真面目なオッチャンぐらいにしか思っていないが、観客の認識もさほど変わらない。毎日を全く同じ行動パターンで過ごすことを旨とする平山だが、ストーリーが進むにつれ単調に見える彼の1日1日が他人との関わりによって少しづつ彩りが添えられていくのを我々は目撃する。

タカシがゾッコンのガールズバーの店員アヤ(アオイヤマダ)が初めて聴く彼の音楽を気に入り急に親近感を覚えたり(パティ・スミスに感動するZ世代に私も喜ぶ[るんるん])、トイレの鏡に挟まれたペーパーに記された3目並べを1日1手づつ書きこんで見ず知らずの人との交流を愉しんだり。平凡な日常が抱える虚無感など、心持ちひとつでそれが薔薇色にすることを彼は身につけているのだ。

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そんな彼の元に突然に姪のニコ(中野有紗)が訪れ、日常に少しさざなみが立ち始める。どうも母親と喧嘩をして家出をし、昔から大好きだった叔父さんを頼ってきたようだ。平山の妹であるケイコに久しぶりに連絡をとり、しばらくニコを預かることにする。ボロアパートに同居し、仕事場にも同行したニコは平山の変わり果てた生活に驚きながらも、不思議と居心地の良さを感じ、叔父への親愛の情を更に厚くするのだった。やがて、妹のケイコ(麻生祐未)が運転手付きの外車で平山のアパートに現れ娘を引き取りに来る。二人の会話から自然と平山の過去を憶測させる展開を迎えるのだった。

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ニコが去り、浅草のスナックに向かう平山。だが、開店前の店内で秘かに恋心を抱くママ(石川さゆり)が見知らぬ男と抱擁しているのも目撃してしまう。隅田川沿で黄昏れる平山に先程の男(三浦友和)が声をかけてくる。彼女の元夫と名乗る友山は、自分が末期癌であると告げ、彼女を頼むと言うのだった。返答せぬ平山は影踏遊びを友山に教えながら、夜の隅田川の穏やかな流れを見つめるのだった。そしてまた、平山の平凡な日常が続く...

小津安二郎を敬愛し、日本文化に傾倒するヴィム・ヴェンダース監督が描く現代と昭和の二つの顔の東京、そして一人の男の生き様。まず背景となったロケ地の設定を両極の東京の魅力を持つ下町と渋谷とした事が主人公の日常を鮮やかに際立たせた。小生の自宅から自転車で行ける下町の風景が目白押しで登場する一方、著名な建築家・デザイナーの手による渋谷区「THE TOKYO TOILET」と呼ばれるユニークな公衆トイレを役所広司が次々と掃除して廻る。昭和の哀愁と最新のジャパンアートの融合である。そしてヴェンダース選りすぐりの60〜70年代ロックが主人公の心情描写の如く流れ、東京の風景に溶け込んで行く。とにかく音楽、写真、小説、銭湯、と小生好みが連なり、下町の地元愛まで刺激されて、早々の時点で主人公と同化してしまった。極力、台詞を抑えた役所広司の演技は、僅かな表情の変化で喜怒哀楽を表現する神業レベルであり、この実力が世界レベルである事をカンヌが示してくれた。

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妹との会話から、平山が実父との確執で裕福な家業を棄て今の生活に及んだ事が窺い知れる。熾烈な競争の勝者のみが得られる富や名声を自ら否定し、目立たず黙々と働く質素な生活の中に生きる歓びを見出した一人の男。平山の生活を淡々と描きつつ、彼に関わる人々のそれぞれの人生まで思い起こさせ、生きる事の素晴らしさ、苦しさ、と一日一日の大切さを閑かに投げかけてくれた珠玉の傑作である。充実感に溢れながらも悔恨の情も滲ませたラストの平山の表情が今も忘れられない...





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『ナポレオン』 [上映中飲食禁止]

老将リドリー・スコット健在[exclamation×2]
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1789年、自由と平等を求めた市民らによってフランス革命が起こり、絶対王政が崩壊する。フランス国内が大きく揺れ動く中、軍人ナポレオン(ホアキン・フェニックス)は目覚ましい活躍を見せ、皇帝へと上り詰めていくが、妻のジョゼフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)との関係はもつれたままだった。その一方でナポレオンは軍を率いて次々と戦争を繰り返し、ヨーロッパ大陸を手中に収めていく。(シネマトゥデイより)

巨匠リドリー・スコット。2年前に「最後の決闘裁判」「ハウス・オブ・グッチ」を連発で製作し漲る創作意欲に拍手を送ったが、今回は欧州の歴史的偉人の大作を世に放ってきた。すでに86歳、脱帽というより驚愕である。C・イーストウッド監督は年を重ねるごとに心のひだに沁み入る老将らしい作品を送り出しているが、スコットは不変だ。グラディエーターの如き迫力でブレードランナーばりの精密な映像を作り上げている。40年前の作品の熱量と遜色ないのだ。敢えていうなら、紅き炎が蒼白き炎になったかもしれないが。

ナポオレオン・ボナパルトの激動の半生を160分間に押し込んだ。大河ドラマで1年かけても良い題材を、歴史上の英雄としか認識の無い東洋の島国の我々にも短時間で理解させる剛腕さが光る。断頭台に向かうマリー・アントワネットと熱狂に酔いしれる市民を捉える冷徹なカメラアイが、フランス革命の成就とその後の混乱を示唆するオープニングに一気に引き込まれる。そしてその後の王党派の反乱に乗じて頭角を現したのが、コルシカ島出身の青年大尉ナポレオンだ。この天下無比のカリスマに命を吹き込んだのがホアキン・フェニックスだ。

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勇敢な戦士と智略に富む政治家の両面を持ち合わせた英雄に纏う空気感共々に成り切った。グラディエーター(2000年)で野心家のローマ皇帝を演じた彼が、生みの親のスコット監督の元で20年後に伝説のフランス皇帝をオスカー俳優として演じる事に、二人にしか判らない絆がある気がしてならない。本作では皇帝ナポレオンの歴戦の勇姿を豪快に讃えつつ、人間ボナパルトの異常な偏愛ぶりを冷嘲する。その対象となるのが奔放多情な妻ジョセフィーヌだ。

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男を渡り歩きついに皇帝の妻の座を掴む彼女だが、それでもなお男を欲してしまう。亭主に愛され名声も得ながらも、満足しきれない不貞の妻をヴァネッサ・カービーが熱演だ。「ミッション・インポッシブル」シリーズでのホワイト・ウィドウが個人的にはハマり役で、史実とは違ってもブロンドでお願いしたかったのだが...[揺れるハート]

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男女の細やかな機微を描くのが得意な監督では無いので、長きに亘る二人の捻れた情愛に共感を呼ぶには至らない。だが、それを補って余りある戦闘シーンが本作の白眉なのだ。ナポレオンは生涯に61もの戦いの指揮をしたと伝わるが、その中でも彼のターニングポイントになった主な戦闘をダイナミックに再現する。出世の契機となったトゥーロン包囲戦での見事な夜襲やロシア遠征での焼け落ちるモスクワ、エジプト遠征のピラミッドへの砲撃など目に焼き付くシーンが続出だ。特にアウステルリッツの戦いでの氷上の敵を一掃するシーンは、ナポレオンの智略と残虐さが際立つ圧倒的な映像だった。

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当然VFXも多用しているが、人海戦術によるリアルティへの飽くなき追求が基本姿勢だ。8000人のエキストラと11台のカメラによる同時撮影は、近代期の戦争の壮絶さをものの見事に表現していた。多くの兵士の命が瞬時に消え去る近代兵器の恐ろしさと共に。

絶頂の期間は長くなく、ロシア遠征の失敗を契機に敗戦が続いたナポレオンは失脚しエルバ島に追放される。だが、秘密裡に島を脱出しパリに凱旋、帝位を復活させる。そして既にフランスには往時の国力は無い事を承知の上で、彼はイギリス・オランドを始めとした連合国側に再度の闘いを挑む。1815年、ベルギー領内のワーテルローに兵を進め、生涯最後の戦いの幕が遂に上がる[exclamation×2]

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「百日天下」の後に、セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンは二度と故国の土を踏む事なく51歳の生涯を終える。彼の最期の言葉は「フランス、陸軍、陸軍総統、ジョセフィーヌ」と伝わる。果てることのない戦いに一生を捧げながら、求めるものは一人の女性との愛の形だった。

今作でリドリー・スコットは人間ナポレオンの実像までは掘り下げきれていない。ただ、ラストに一連のナポレオン戦争での犠牲者総数が300万人に及んだ事実を静かに伝える。一人の天才的軍人の出現が、一国を揺るがし近隣の国家を蹂躙した血の歴史を生んだことを訴える。そして歴史は繰り返され、100年後にヒトラーが現れ、現在においてはロシアの独裁者が隣国に牙を剥く。それは民衆の中に眠る残虐性や生存本能が狂った『英雄』を産んでしまう危険をどんな国家も孕んでいることまで示唆しているようだった。

既に「グラディエーター2」を製作中らしい。この無骨で鋭気盛んな老将が作り上げる次作にも期待が膨らむ。




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『私がやりました』 [上映中飲食禁止]

[ぴかぴか(新しい)]フランソワ・オゾンの洒落た小品[ぴかぴか(新しい)]

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著名な映画プロデューサーが自宅で殺害され、新人女優・マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)が容疑者として連行される。彼女はプロデューサーに襲われて自分の身を守るために殺害したと自供し、親友の新米弁護士・ポーリーヌ(レベッカ・マルデール)と共に法廷に立つ。正当防衛を訴えるマドレーヌは人々の心を揺さぶる陳述を披露し、無罪を勝ち取ったばかりか、悲劇のヒロインとして一躍スターになる。そんな彼女たちの前にかつての大女優・オデット(イザベル・ユペール)が現れ、プロデューサー殺しの真犯人は自分だと主張する。(シネマトゥデイより)

売れない女優のマドレーヌと新米弁護士ポーリーヌはパリのアパートで二人で暮らす。収入が不安定な彼女たちは家賃も払えず汲々とした生活だ。だが、映画での大役を射止めというマドレーヌが帰って来れば、貧乏暮らしとも今日でおさらばだ。と、ポーリーヌがほくそ笑むのも束の間、マドレーヌが興奮した様子で帰宅する。強引に肉体関係を迫ってきた映画プロデューサーを咄嗟に殺してしまったと彼女は打ち明ける...

1930年代の華やかな巴里の情景と二人の魅力的な女優に心ときめく。美形パリジェンヌのネイティブなフランス語での会話は理解不明でも心にスッと寄り添ってくるようで、やっぱりフランス映画っていいなぁ、と冒頭からほっこりしてしまう。物語は殺人事件を発端にシリアスな法廷ドラマの様相なのだが、ファショナブルな装飾とブラックユーモアを随所に散りばめた脚本により緊張感は緩みまくり、エレガントなミステリーと言うべき展開に変容する。まさにオゾン監督の面目躍如たる処か。

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ブロンドのナディア・テレスキウィッツと黒髪のレベッカ・マルデール共に初見の女優だが出色の出来だ。性格は違うも将来を夢見る野心溢れる女性を、まさにエレガントかつ情熱的に演じた。マドレーヌの弁護を引き受けたポーリーヌは被告の正当防衛を訴えるのも、時代は男尊女卑の戦前のフランスだ。圧倒的不利な状況に追い込まれるが、最終の被告陳述で女優魂に火が付いたポーリーヌの一世一代の名演説により形勢逆転となり無罪を勝ち取る。

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時の人となったマドレーヌは人気女優の道を突き進み、ポーリーヌは辣腕弁護士として仕事の依頼が殺到だ。だが、二人がようやく掴んだ成功に暗雲が立ち込める。映画プロデューサーを殺した真犯人を名乗る初老の女性・オデットが現れる。彼女は知る人ぞ知る無声映画時代の大女優だった。

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役柄そのものの如くフランス映画界の至宝であるイザベル・ユペールではないか[がく~(落胆した顔)]フレンチ・ムービーには疎い小生でも「ピアニスト(2001)」での妖艶な演技は強烈に覚えている。この本物の大女優のキャスティングもオゾン監督の手腕によるものだろうが、彼女の登場により作品の純度がグッと上がると共に、展開そのものも予想不能な状況となり期待が膨らむ。

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オデットは二人が手にした富と名声は本来は私のものだと主張する。第一線への復帰を目論むかつての大女優と若き才能が弾ける名コンビとの熾烈な駆け引きの幕が開く[exclamation&question]果たして殺人者の名誉?を勝ち取るのは一体、誰...それとも...

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愉しみに溢れた映画だ。
作り手によっては低俗なドタバタ劇になる内容を、ものの見事にエレガントなサスペンスに昇華させたオゾン・マジックに脱帽だ。鮮やかな起承転結の展開の中に3人の女優の魅力を解き放ち、味付けとばかりにシリアスとユーモアとエロチシズムを絶妙に配合している。重いコース料理みたいなハリウッドの大作ばかり見ていると、こんなフレンチの魅惑の一皿が美味しく感じてしまう。まさに素敵な小品である。




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『ゴジラ ー1.0』 [上映中飲食禁止]

[ぴかぴか(新しい)]ゴジラは何度でも甦り、禍いと感動を日本人に与える[ぴかぴか(新しい)]
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ゴジラ生誕70周年を記念したシリーズ通算30作目だそうだ。円谷特撮映画で育った世代にとって、古希を迎えたゴジラの勇姿は感慨深いものがある。流石に1954年の第1作はこの世に生を受けていなかったのでリアル鑑賞は無理で、私が初めてこの怪獣を知るのは6作目あたりからの地球を救う正義の味方のゴジラ時代からだ。その後もどんな役柄にも対応する役者の如く、人類の敵にも味方にもなりきり、ハリウッドまで進出したゴジラは我々を楽しませてくれた。前作「シン・ゴジラ(2016年)」では庵野秀明が進化形ゴジラで破壊神伝説を復活させ、そして今回、山崎貴が「ALWAYS 3丁目の夕日シリーズ」ばりに昭和ゴジラを哀愁高らかに歌い上げるのである。

戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。(MOVIE WALKERより)

戦後日本の混乱期を舞台にゴジラの原点に立ち返ったような本作の主役は先のNHK朝ドラで好評だった夫婦役の二人だ。神風特攻から離脱した飛行士・敷島浩一に神木隆之介、赤子を連れて敷島の家に転がり込んだ女性・大石典子に浜辺美波が演じる。

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朝ドラの既視感が返って良い効果を生んでいるようで、偶然出会った男女が育む愛の形を自然と受け入れてしまう。特に大和撫子のしとやかさと男顔負けの行動力を兼ね備えた典子は、「らんまん」の槙野寿恵子と被るのだが、これは浜辺美波自身の素顔に近いのかもしれない。芸達者な二人を囲む共演陣も強力で、ピンで主役を張れる俳優が目白押しだ。特に山田裕貴安藤サクラは緊迫感一辺倒の展開に明るさと潤いを中和させる演技と存在感が際立っていた。

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特攻を放棄し機体の故障と偽って南の島の守備隊基地に不時着した敷島浩一は、その晩に体長15メートルの恐竜に襲われる。その島の伝説で「ゴジラ」と呼ばれる未知の生物は、敷島と隊長の橘(青木崇高)を除いて全員を斬殺して海に消える。この体験が敷島のトラウマとなり、戦後も永らく彼を苦しめる事となる。1946年、米国による世界初の核実験がビキニ環礁で行われる。これが海溝に生息していたゴジラの生体に異常をもたらし、体長50メートルの放射能を吐く巨大怪獣に進化させてしまうのだった。この経過は、第1作から綿々と続くゴジラ作品の最大のテーマに繋がる。人間のエゴによる自然破壊が最終的に人類破滅へと導くシナリオを既に70年前の円谷映画が訴えていたのだ。核によって強大な力を身に付けたゴジラは南洋から北上し、日米の艦隊をこともなげに壊滅させ、遂に東京に上陸する。

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ゴジラは「天災」ではなく「人災」として描かれる。異常気象で氾濫した大河が街を飲み込むように、東京に上陸した怪獣は銀座の街を市民共々に蹂躙して行く。我が国が誇る特撮技術は、70年前の円谷英二から始まり今作の山崎貴のVFXによって一つの到達点に達したのかも知れない。列車から典子が落ちるシーンやビルを薙ぎ倒す爆風などはハリウッドの二番煎じだが、ゴジラの圧倒的な存在感を生み出した映像は天下無比だ。

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米軍の協力が見込めなくなり、敗戦後の軍隊を持たない我が国は民間の力のみでゴジラ撃退に挑む。元海軍の有志を中心でに結成された組織の最大の切り札は、唯一のパイロットである敷島だった。日本軍が終直戦前に開発した最新鋭の零戦「震電」に乗り込んだ彼は、過去のトラウマを打ち払い、自分を守る為に爆心地で消えた典子を想いながら、ゴジラへの特攻を試みる...

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第1作では、平田昭彦演じる芹沢博士が自らを犠牲にしてゴジラと共に海底で消えた。今作はオリジナルのテーマに最大の敬意を表した構成になっているが、そこはヒットメーカー山崎貴の面目躍如たる所、感動のフィナーレを用意している。まさに「ALWAYS 三丁目のゴジラ」的な超娯楽作であった。『人類が過ちを繰り返せば災禍が再び襲ってくる』という警告もオリジナル同様、ラストに添えて...[パンチ]




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『愛にイナヅマ』 [上映中飲食禁止]

衝撃(笑撃)[ぴかぴか(新しい)]新感覚の家族ドラマの秀作[exclamation×2]

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良い役者[exclamation]切れるカメラ[exclamation]凄い脚本[exclamation]

新しい感覚に満ち溢れながら描くは邦画王道の人間愛なのだから非常に困る。久しぶりに目頭が熱くなり、この胸の高まりがずっと続くよう願ってしまうのだから。

26歳の折村花子(松岡茉優)は幼少時から夢見ていた映画監督デビューを控える中、空気は読めないが魅力的な男性・舘正夫(窪田正孝)と運命的な出会いを果たす。人生に明るい兆しが見え始めた矢先、彼女は無責任なプロデューサー(MEGUMI)にだまされ、報酬をもらえないまま企画を奪われる。卑劣な仕打ちに打ちのめされる花子だったが、正夫に励まされ、大切な夢を奪った理不尽な社会への反撃を誓う。そして正夫と共に、長らく疎遠だった父(佐藤浩市)と兄たち(池松壮亮、若葉竜也)のもとを訪れる。(シネマトゥデイより

物語は長引くコロナ自粛に日本人の心のあり様が少しづつ壊れ始めた最近の世相を下敷きに描かれて行く。高層ビルから飛び降り自殺を試みようとする男に群がる野次馬達。スマホを向けてはしゃぐ女子高生、「早く飛び降りろ!」とせきたてる男、警察に無事に確保され残念そうに解散する群衆に静かにカメラを向けていた花子(松岡茉優)は、自主映画界では名の売れた映画監督だ。ようやくメジャーデビューのチャンスを摘み、時代遅れの業界の慣習や能力の無いプロデューサー達に辟易しながらも自分を抑えて製作を急いだ。貧乏な彼女は金が必要だったし、自分の家族を題材にした今回の作品は必ずや自分の思う形に完成させたかった。だが彼女の類まれな洞察力・表現力は無能な業界人の理解の範疇を超えており、それが彼らには幼稚で非常識なアマチュアの評価になるのだった。

正男(窪田正孝)は既に誰も使わないアベノマスクをつけ、赤い自転車に乗って街を疾走する。食肉解体工場で黙々と肉を切り刻む単調な日々を送っているが、真面目に働き、友を大事にし、少しづつ金を貯めて正しく生きる事を旨としていた。彼の正義感は、時には空気の読めない変人として周りから見られるが、本人は一向に介さないのだった。

そんな二人が場末のバーで偶然に出会う。街中の撮影中に異彩を放っていた正男を見かけ、気になっていた花子は小躍りし、自ら彼に接近する。次第に酒が進み、社会の理不尽さを共有し合う二人が恋に落ちるのに時間は掛からなかった。小さな幸せのスタートを予感させるのも束の間、花子はプロデューサーに嵌められ撮影途中で監督を降ろされる。彼女が魂を込めた企画は能無しの助監督に奪われてしまう。一方、正男と同居していた役者志望の親友(仲野太賀)は唐突に自らの命を絶ってしまうのだった。

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花子と正男の出会いから挫折に至る序盤から石井ワールドに一気に引き込まれる。カメラワークが小気味よい。押しと引き、前景と背景の取り込みのセンスが秀逸で、今や名優の域に入った松岡茉優・窪田正孝の演技を一層際立たせている。二人の息遣いがそのまま聴こえるようだ。基本的にシビアな展開の中で、随所に笑いを忍ばせるセンスが抜群であり、観客の感情の振幅を大きくさせる脚本・演出が心憎いばかりだ。〈バーのマスター(芹澤 興人)最高[わーい(嬉しい顔)]昭和の邦画で、この絶望的な序盤ならば、終盤はドロドロの愛憎劇に落とすか大逆転の復讐劇で拍手喝采なのだが、今作が一筋縄で行かないのは後半の意外な展開で感動を呼び込む構成の巧みさにある[ぴかぴか(新しい)]
 
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稲妻走る嵐の中で、理不尽な社会への反撃を誓った二人が向かったのは花子の実家であった。変わり者同士の純愛物語から一転して、後半は不思議な家族の物語に引き継がれて行く。父・佐藤浩一、長男・池松壮亮、次男・若葉竜也の登場で雰囲気は一転、役者魂の激突に火花が散り、更にコメディ度も引き上がる。花子は盗用された映画を自身の手で作り直す為に実家に帰ったのだが、父は別の目的があって子供達を呼んでいたのだった。余命1年のガン宣告をされた父は、10年ぶりに集まった家族のひと時を味わううちに結局真実を隠し通そうとする。自分達を取り繕う形だけの家族団欒に業を煮やした正男は、持ち前の天然記念物的実直さで彼らの心に火をつけ、次第に彼らは「家族」を取り戻して行く。そして花子が幼少期に行方不明になった母の真実が明らかになり...

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シリアスとユーモアのブレンド具合が絶妙の演出に心躍る。練りに練られた言葉の応酬には字幕が欲しいと思わされるほどだ。そして個性豊かな俳優陣の魂の演技がスクリーンに叩きつけられ、圧倒的熱量に身を焦がされる。コロナ禍を通して一段と荒んだ日本の世相を冷徹に描き、自分を偽らずには生きられない日本人に送る風刺画だ。そんな理不尽な世界の中でも、大事な人を想う気持ちは不滅であると声高らかに歌う作品だ。テーマは純粋そのものながら、観せ方が示唆に富んでおり、感服、感激、久しぶりに涙腺が緩んでしまった。個人的趣向の今年度邦画ナンバー1はこれで決まり。エンディングに流れるエレファントカシマシ「ココロのままに」がやたらと沁みた[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)]







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『ジョン・ウィック:コンセクエンス』 [上映中飲食禁止]

爽快!超ノンストップ・アクション

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伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)は、裏社会のおきてを破りながらも粛清の包囲網を生き延び、全てを支配する組織「主席連合」と決着をつけることを決意する。一方、組織内での勢力拡大をもくろむ高官グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、裏社会の聖域だったニューヨークのコンチネンタルホテルを爆破。さらにジョンの旧友でもある盲目のケイン(ドニー・イェン)を抱き込み、ジョン狩りを始めようとしていた。(シネマトゥデイより)

シリーズ未見につき、前3作をNet配信でサラッと予習して臨んだ最終章である。Laby様のアドバイス通り、冒頭に前作までのあらすじが流れたので予習無しでも楽しめただろうが、やはりキャラへの思い入れの深さが違ってくる。寝不足になった価値はあったというものだ。

キアヌ・リーブスも気付けば還暦間近なのだ。「マトリックス(1999年)」での煌めく精悍さは影を潜め、その代わりに重厚さと貫禄を身に付けた。黒革のロングコートからダークスーツへと黒尽くめのファッションは同じままだが、身から発する圧倒的な存在感に息を呑む。ほぼ同級生のトム・クルーズと双璧の初老アクション・スターだが、未だに若さに固執するトム様とは似て非なる俳優である。

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長尺160分間の大半がアクション・シーンというより『殺戮シーン』の連続だ。銃撃とカンフーを組み合わせた「ガンフー」なるアクション分野を切り開いた同シリーズだが、大阪も舞台になった本作では更に「日本刀」がフィーチャーされ日本版殺陣・チャンバラの要素も加えられた。まさに「キル・ビル(2003年)」を彷彿させるノンストップ殺人が延々と続くが、タランティーノ節よりもはるかに小気味良く、まるでゲーム感覚のように死体が山積みだぁ[あせあせ(飛び散る汗)]

亡き妻の遺した犬が殺された事で現役復帰した伝説の殺し屋ジョンが、結局は組織から命を狙われる羽目になるのがシリーズの大筋である。世界の裏社会を牛耳る暗殺組織を敵に回し、高額の懸賞金目当てで押し寄せる同業の殺し屋たちを次々と撃破するキアヌ・リーブス。スタント無しの殺陣の迫力は彼の面目躍如であり、作品の魅力の骨格でもある。とにかく常に満身創痍の状態で戦いギリギリのところで命を繋ぐのが彼の勝ちパターンであり、観る者からも安心の筋書きなのである。何度刺されようが、何発銃弾を打ち込まれようが、何台の車に轢かれようが、立ち上がる人間離れしたタフネスさに、遂には呆れて笑いが込み上がるほどだ[わーい(嬉しい顔)]

シリーズを通じて「男の友情」も随所に織り込んでいるが、本作は過去作以上にその色彩を全面に押し出している。今回は二人のアジア人俳優がジョンの旧知の友人として登場する。

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言わずと知れたドニー・イエン真田広之が、ジョンと同業者であり親友役として登場する。香港・日本・アメリカを代表する盛りを過ぎたアクション・スター3名の年齢を感じさせない殺陣が圧倒的かつ沁みる。老いても弛まぬ努力で鍛錬を続けた俳優魂に脱帽すると共に、その妙技を見事に切り取ったカメラワークと精緻な殺陣構成が秀逸である。真田演じるシマヅはジョンとの義を貫き、ドニー演じるケインは愛娘を守る為に親友との戦いを選ぶ。ハリウッドのギャング映画にサムライ魂と香港ノワールのエッセンスを加え極上の『哀しき漢たちの物語』に仕上がっている。

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数多の窮地を乗り越えラスボス・グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)との最終戦に臨むのはお決まりのパターンだ。だが、クライマックスへの過程が実に緻密な演出が仕込まれており、思わず「そう、来るかい[exclamation&question]」と唸る。ラスボスの代理人に指名されたケインとジョンの一騎打ちの対決方法は、最後の土壇場でアメリカ伝統の西部劇風の拳銃勝負を用意する周到さだ。そして衝撃の決着[どんっ(衝撃)]このサクレ・クール寺院の決闘は、アクション映画史上の傑作シーンの一つになるかもしれない。

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残虐な殺戮シーンを小気味よく見せる映像の巧みさと殺陣の迫力、アクションシーンが大半でありながらも、その行間に流れる「男の哀愁」に胸が高まる。無理してでも過去3作をおさらいしておけば、貴方も明日から愛犬家[ダッシュ(走り出すさま)]007やM:Iシリーズとは一線を画すアクション映画の金字塔であり、納得感動の最終章だった。
そして今春に急逝した1作目からジョンの理解者として活躍したコンシェルジュ役のランス・レディックに合掌。


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『ロストキング 500年越しの運命』 [上映中飲食禁止]

「一念岩をも通す」〜快作〜

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上司から理不尽な評価を受けたフィリッパ・ラングレー(サリー・ホーキンス)は、別居中の夫(スティーヴ・クーガン)から生活費のために我慢して仕事を続けるよう言われる。苦悩の日々を送る中、彼女は息子の付き添いでシェークスピアの「リチャード三世」を観劇して衝撃を受ける。残忍さで名高いリチャード三世も自分と同じく不当に評価されてきたのではないかと疑問を抱いたフィリッパは、王の汚名を晴らすため、独自に調査を開始する。(シネマトゥデイより)

イギリス王室の謎に挑んだ主婦の奇跡の物語であり実話だ。シェイクスピア文学と英国の歴史に造詣が深ければ、更に深読みが可能だったろうが、ブリティッシュ・ロックしか興味の無い無学の小生でも十分楽しめた鑑賞後の爽快感抜群の作品だ。

リチャード3世・・・15世紀のイングランド王である。当時の王位継承に際し、様々な権謀術数を巡らせ、候補者を次々と残虐に暗殺して王位に就き権勢を極めたと伝わる。その後、リチャードによる暗殺から逃れフランスに潜伏していたヘンリーが挙兵し、1485年のボズワースの戦いでは味方の裏切りにあい壮絶な戦死を遂げた。遺体は丸裸で晒された後に川に捨てられ行方知れずとなった。

稀代の奸物と伝わる国王の悪行が、実はヘンリー7世の属するチューダー王朝が前王朝を否定する為の創作であり、シェイクスピアの戯曲がそれを助長したと主張する歴史愛好家グループが存在した。その団体にフィリッパ・ラングレーと云う一人の主婦が参加する。

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演じるのはサリー・ホーキンス。アメリカ版「ゴジラ」シリーズの博士役で既知な女優であるが、個人的には「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人と恋に落ちる風変わりな女性役に強烈な印象を持った。本作でも、「こんな部下がいたらちょっと苦手かも」と思わせる、能力は高いが無愛想で少々偏執狂の傾向がある中年女性を見事に表現した。

脳脊髄炎というハンディを抱えながら家族を支えるシングルマザーのフィリッパは、仕事の正統の評価をされず落ち込んでいた時に、息子の付き添いで観た「リチャード3世」の舞台に心打たれる。突然湧き上がる興味に抗い切れず、数多の歴史書を昼夜を問わず読み耽り演劇の主人公の実像に迫る。そして疑問にぶち当たる、「悪名高き国王の評価は正当なのだろうか」と。そして、行方不明とされている彼の遺骨を掘り起こせば、真実に繋がる証拠も見つかるのではないかと。

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我が国で言えば、本能寺の変で誅殺された織田信長の遺骨を発見すれば、日本史の常識として伝わる彼の歴史的評価と人間性が変わるかもと云う理屈だ。歴史とは勝者が作るものであり、以前の覇者の史実を歪曲させる事で時の権力者を美化し盤石なものにするのは古今東西、手法は変わらない。

休職届を出してまで研究に没頭してしまうフィリッパの元にリチャード3世(ハリー・ロイド)が度々現れるようになる。本物の亡霊かはたまた彼女の妄想か?生真面目な遺骨発掘ストーリーをユニークな探索劇に進化させたのは、寡黙で少々お茶目なナイスガイの登場が大きな力になっている。

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フィリッパは独自の研究と考察により、リチャード3世の遺骨は打ち捨てられておらず正式に埋葬されたと確信し墓地の場所の特定を急ぐ。そして「亡霊」の導きと己の直感は、それがレスター市の駐車場に眠ると指し示した。市役所とレスター大学に発掘の嘆願を執拗に行い、当初は全く相手にされなかった彼らを遂に説得し、学内の異端の歴史学者・バックリー博士と共に発掘事業が開始される。

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資金が尽きかける危機を、別れた夫の協力とクラウド・ファンディングで乗り切り、そして遂にまさにリチャードの頭文字の暗示の如く駐車場の貸出済みのマーク『R』が書かれた地底から人骨が発見される。バックリー博士は教会の僧侶の遺骨と判定するが、フィリッパはリチャード3世だと対立、結果はDNA鑑定に託される事になる。この遺骨は、後世に伝わる悪虐王の容姿そのままに背骨が大きく湾曲した「せむし男」だった...

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一人の主婦の盲目的な「推し活」が引き起こす奇跡を、英国の歴史に疎い一般人にも理解しやすくユニークに描いた佳作だ。作品ではトントン拍子に進む展開だが、事実は想像を超えた地道な努力の積み重ねがあっての偉業と窺い知る。側から見て異常と思わせる程の者が偉大な発見をするのが世の常だ。その意味で、サリー・ホーキンスの偏執狂的な演技は見事の一言に尽きた。事実とは全く違う精悍な姿のリチャード王の亡霊との不可思議な親交に恋焦がれる少女の一面も垣間見せ、女性の持つ多面性までも表現した。そして、横しまな大学関係者に名声を横取りされても、我関せずの風で颯爽と歩む彼女の姿に拍手喝采のラストシーン、館内に爽風が吹いた瞬間だ。英国の歴史にも触れられ勉強にもつながった有難い作品であった[わーい(嬉しい顔)]




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『高野豆腐店の春』 [上映中飲食禁止]

[かわいい]藤竜也が好き[かわいい]
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広島・尾道の下町で、職人かたぎの店主・高野辰雄(藤竜也)と一人娘・春(麻生久美子)が切り盛りする高野豆腐店。父娘は早朝から工場に入り、こだわりの大豆を使って丁寧に豆腐を作る日々を送っていたが、あるとき辰雄は医師から心臓の具合が悪いことを告げられる。離婚歴がある春のことを心配した辰雄は、娘の再婚相手を本人に内緒で探し始める。辰雄の友人たちの協力により、春はシェフの村上ショーン務(小林且弥)と食事をすることになるが、実は彼女には交際中の相手がいた。(シネマトゥデイより)

最近お目にかかる事がめっきり減った、胸がほっこりと温かくなる家族ドラマの佳作だ。ストーリー自体は目新しいものではないが、頑固親父が男手ひとりで育てた娘の再婚騒動に右往左往するという昭和の王道パターンに懐かしさを覚えてしまう。小津安二郎向田邦子が描いた日本の家族の姿とも重なるが、昭和の巨人に共通する時折人間の裏側まで見透かすような冷徹な視点は排除し、愚直に暖かい陽の光のみを取り込んだ作品作りだ。そしてロケ地の尾道といえば古い映画ファンには想いが募る大林映画の聖地でもあり、作品全体から昭和映画へのオマージュが溢れているのだ。

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高野豆腐は「こうやどうふ」ではなく「たかのとうふ」なのだ。高野豆腐店は堅物親父と一人娘の二人で切り盛りする町の小さな豆腐屋だ。日々繰り返される早朝からの豆腐作り、店舗での接客、父娘の当たり前の日常を受け入れていた父・辰雄だったが、地元の友人達に焚きつけられ、娘の将来を真剣に考え始める。商売の存続よりバツイチ娘の幸せをと、彼女の再婚計画が仲間達と進められて行く。

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地元の悪友達とのドタバタ劇が展開し、漸く理想の結婚相手が見つかり結婚秒読みと思われた矢先に、娘の春から「一緒になりたい人がいる」と告白される。辰雄も知るその人物は、彼がもっとも気に食わないタイプの男だった...そして...

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娘の再婚話と並行して、辰雄自身の老いらくの恋も描かれる典型的なホームドラマの展開だ。最近味わっていない安心感が何とも心地良くなってくる。その源泉は、藤竜也麻生久美子の魅力と演技力に尽きる。取り巻きの脇役人のコミカルな演技と対極にこの父娘の自然な振る舞いが心に沁みる。名優ほど演技を超越して「普通に魅せる」のだ。血の繋がらない父と娘の絆が押し付けがましくなく、すれ違う気持ちもリアルそのものだ。

実は昔から藤竜也の大ファンなのである。女優は古今東西、好きなタイプに推挙にいとまが無いのだが、惚れる男優は滅多にいない小生にとって別格の存在なのだ。初めて彼を知ったのは1978年のTVドラマ「大追跡」だ。当時の人気ドラマ「太陽にほえろ!」のコピーみたいな刑事モノで、加山雄三をボスに据え、藤竜也・沖雅也・柴田恭兵・長谷直美が部下を務める配役だった。

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酒と女が大好きな破天荒な刑事を演じる口髭の中年俳優に、高校生の小生は「渋いなぁ、このおっさん[exclamation×2]」と一目で憧れてしまった。当時の彼は映画俳優としての実績は既に十分だったが、この頃からお茶の間のテレビにも徐々に顔を出し始めていた。1981年の「プロハンター」で私の彼への想いは確実なものとなった。このドラマも松田優作の「探偵物語」の焼き直しのような作品なのだが、爽やかで華やかな草刈正雄とコンビを組む渋くてお茶目な藤竜也から目を離せない。



今では長老俳優3名の若かりし演技に笑いを隠せなくなるが、真っ白なTシャツに黄色のジャンパーを羽織り、サングラスをかけたまま横浜の繁華街を失踪する藤竜也の姿は際立っていた。そしてリバイバル上映されていた彼の出演映画を初めて観る。「愛のコリーダ」〜『芸術と猥褻』論争を起こした大島渚監督の問題作である。

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衝撃[がく~(落胆した顔)]だった。憧れの男優が、当時はボカシが入りまくりの映像ではあったが、局部モロだしで濃厚なラブシーンを頻繁に演じていたのだ。TVドラマでは見せない「雄の本能」の演技は18歳の青年には刺激的過ぎたが、彼の演技の熱量に感嘆し、憧れの想いに尊敬の念が加えられていった。吉行和子と共演した次作「愛の亡霊」で、それは確信に変わった。「こんなオッさんになりたい」と。
因みに彼の奥方は日活の大スター・芦川いづみだ。藤が無名時代に高嶺の花の芦川を口説き落とし、日活上層部の大反対を押し切ってゴールインした。当時のメディアには「格差婚」として大きく取り上げられたと云う。芦川は結婚を契機に人気絶頂のまま芸能界を引退し、その後一度も公式には姿を現さず藤を影で支え続けている。吉永小百合や原節子より芦川いづみ推しの小生は、女性の趣味が同様の彼に更に親近感と軽い嫉妬も覚えるのだった。

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以来40年近くが経過したが、彼は歳を重ねるごとに輝きと重厚さ双方を増して行き、邦画界には欠かせない存在になっていった。どんな役柄にもなり切れる技巧派の役者ではなく、役柄を自分の個性に重ねて人格を作る俳優だ。ゆえにストーリーに役が嵌った時は無敵だ。主役、脇役を問わず、彼の演技が醸し出す空気感は作品に自然な彩りを加えて行く。そして「男の色気に定年は無い」と世の壮年男性にエールを送ってくれるのだ。



齢82歳、彼の枯れない演技に久しぶりに触れて、今度は「こんな風に歳を取りたいな」と思うのだった。本筋からだいぶ脱線したが、自然と胸が温かくなり優しい気持ちになれる素敵な作品だった。昭和の爺婆に留まらず、多くの若い人たちにも見てもらいたい。


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『アステロイド・シティ』 [上映中飲食禁止]

まさに「ウエス・アンダーソンすぎる」作品[exclamation&question]

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1955年、アメリカ南西部にある砂漠の街「アステロイド・シティ」。隕石(いんせき)が落下してできた巨大なクレーターで知られる街でジュニア宇宙科学大会が開催され、カメラマンのオーギー・スティーンベック(ジェイソン・シュワルツマン)の息子・ウッドロウをはじめ、科学賞を受賞した5人の優秀な子供たちとその家族が街を訪れる。大会が開かれるものの、突如宇宙人が到来して人々は大混乱に陥り、軍によって街は封鎖されてしまう。(シネマトゥデイより)

4月に天王洲アイルで観た「ウエス・アンダーソンすぎる風景展」https://tsumujikaze3.blog.ss-blog.jp/2023-04-22)が非常に好評だったらしく、今秋に渋谷でリバイバル開催の予定だ。展覧会の「ばえる写真」に触発されて、それ以外の予備知識無いまま今作を鑑賞したら、多くの方々は失望するか、頭にしこりを残したまま家路に着くであろう。それほどW・アンダーソンは変態であり、彼の脳味噌は常人離れしているのである。

『グランド・ブタペスト・ホテル」『犬が島』のような抑揚のあるストーリー展開や明確なメッセージは仕込まれていない。前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』に似た難解さで、各エピソードと時間軸がズレながらも絡み合う構成だ。進化し過ぎて観客を置いてけぼりにする芸術家の典型的なパターンであり、小生は歯が立ちそうも無いこの手の作品に出会った時は無理をせず流れに身を任せる。まず、ウエス・アンダーソン過ぎる映像を愉しめば良いのだ[exclamation&question]

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冒頭のモノクロ映像でしっかり説明してくれるのだが、本作は「劇中劇」の構成である。メインストーリーである「アステロイド・シティ」という演劇が進行しながら、舞台裏からそれを取材するテレビ番組が随所に挿入される。現実がモノクロ、演劇がカラー仕立てなので区別はできるが、この構成の意味する所がまず理解できない、嗚呼、これだけで混乱する[あせあせ(飛び散る汗)]

ともあれ、出演者の豪華かつ渋めのラインナップとアンダーソン流映像に目を奪われる。彼の初期作品から常連であるジェイソン・シュワルツマンが元戦場カメラマンのオギーとして主役を務める。オギーと束の間の恋に落ちる大女優ミッジにスカーレット・ヨハンセン、オギーの義父スタンリーにはトム・ハンクスだ。これまたアンダーソン組勢揃いという感じティルダ・スィントンが天文学者ヒッケンルーパー博士、エドワード・ノートンは劇作家コンラッドを、エイドリアン・ブロディはディレクターを演じる。007でお馴染みジェフリー・ライトは鬼将軍、蝿男ジェフ・ゴールドブラムはなんとエイリアン役で盛り上げる。他にもマット・ディロンやマヤ・ホーク、ブライアン・クランストン、etc.....

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これら名優たちを際立たせるのが、現実には有り得ない目眩く映像美だ。荒涼とした砂漠の黄色を主体に全てをハイキーなパステルカラーに振り切ったアンダーソン風の彩色やシントメリーな描写が非日常感を増幅させる。

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1950年代、世界を牽引する輝けるアメリカの能天気ぶりを炙り出す。繰り返される原爆実験が日常茶飯事となる狂気、「我が子こそ天才」と思い込む富裕層家庭の滑稽さをシニカルに描く。娘を連れて「天才ちびっ子オリンピック」の会場であるアステロイド・シティにやってきたオーギーではあるが、妻を亡くした虚無感に今も苛まされている。そしてマリリン・モンローを彷彿させる大女優とのうたかたの恋の過程を宇宙人襲来のドタバタと絡めて淡々と描くのが主題だ。だが、これはあくまでも創作であって、この演劇に出演する俳優や裏方達の現実がモノクロ映像で並行して描かれる。オギーを演じる男優ジョーンズ・ホール(シュワルツマン)と劇作家のコンラッド(ノートン)は人目を憚る恋仲なのだが、制作中にコンラッドが急死し、現実でもジョンは喪失感を味わい、演技のありように悩み苦しむ。そんな時、オギーの妻役で出演予定だったが出番が無くなった女優(マーゴット・ロビー[揺れるハート])と鉢合わせし、演技の大きなヒントを得る。まるで劇中の亡くなった妻の亡霊に出会ったように...

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変態監督の頭の中は到底理解出来ないのだが、全編を通して彼の過去の映画人達への深きリスペクトの溢れているとを感じざるを得ない。盟友ロマン・コッポラとの共同原案には、F・F・コッポラの作品を始めとした半世紀以上前の名作のオマージュが織り込まれている。著名映画人の2世や血縁者が本作には多く絡んでいる処に彼流の映画愛が迸る。
アンダーソン監督は決して観客に迎合しない。自分の表現方法について来れない一般人は全て置き去りにしてしまう。本作は、虚構からリアルを生み出す彼の創作手法そのままに、彼の偏った映画論・演技論を抑揚無く淡々と映像化した、まさにアンダーソンすぎる、理解にくい構成だと感じた。結局、大好きな監督だから解らなくても雰囲気だけで十分と自分を慰める小生だが、次作はもう少し常人向きにも作ってもらいたいのが本音かなぁ[あせあせ(飛び散る汗)]




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