『悪は存在しない』 [上映中飲食禁止]
貴方は衝撃のラストをどう受け入れるか
「ドライブ・マイ・カー(2021)」の濱口亮介監督の新作ゆえに単純には楽しめない覚悟はしていたが、まさかこれほどとは...衝撃のラストに絵も言われぬ寂寥感に包まれながら人間と大自然の関わりに想いを馳せる。これは神の思し召しなのか。
豊かな自然に恵まれ、高原にある長野県水挽町は東京へのアクセスもよく、移住者は近年増加傾向にある。代々この町で暮らす巧(大美賀均)と娘の花(西川玲)の生活は、自然のサイクルに合わせたつつましいものだったが、ある日巧の家の近くにグランピング施設を作る計画が持ち上がる。 経営難に陥った芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、彼らが町の水源に汚水を排水しようとしていることが判明して町は動揺し、その余波は巧たちの生活にも影響を及ぼす。(シネマトゥデイより)
空を見上げながら深い森林を歩くようなカメラワークが延々と続くオープニング。流れる音楽は、浮遊感漂う美しい弦楽器の調べが次第に重なり合うごとに不協和音が入り混じり、次第に息苦しさを感じさせる。本作の抑揚を暗示するような撮影、音楽は共に濱口氏の盟友が担当しており、映像詩さながらの繊細な作り込みに冒頭から引き込まれる。
長野県諏訪を舞台にしており、架空の水挽町は水と緑が豊かな自然に包まれた八ヶ岳山麓の集落という設定だ。森の中に暮らす巧と花の親子の日常と町の人々との交流を丁寧に描き、大自然と共生する町の特性を知らしめる。寡黙だが面倒見の良い巧は森の監視員的な存在であり、町民の中では頼れる兄貴分の立場だ。森のクマさんの容貌の素人俳優の大美賀均だからこそ先入観無しで田舎の親父そのものに見える。一人娘の花を演じる子役・西川玲にいたっては、まさに「北の国から」の蛍役の中嶋朋子を彷彿させる清楚な美しさに目が眩む。
そんな町に突如グランピング施設建設計画が持ち上がる。東京の業者による住民説明会から物語の振幅が大きく振れ始める。社長の命令により型通りの説明会で乗り切り工事着工を急ぎたい担当者とそれを見透かした住民の質疑応答のシーンは見事の一言に尽きる。素人・プロ俳優が入り乱れての展開は、まさに濱口演出の真骨頂であり、『映画的』なモノを排除した空気感が清々しい。地元の活性化に名を借りた森林開発の「今」を炙り出す。
男女2人の担当者(高橋、黛)の心の葛藤が終盤に大きな変化をもたらす。当初は、会社の利益の為に、問題点を浮き彫りにせず耳障りの良い応対で説明会をやり過ごす意図だったが、匠たちの真摯な話しを聞くうちに自分達の仕事自体に疑問を呈するようになる。無名の2人の俳優、小坂竜士・渋谷采郁の自然な演技が魅力的だ。「こんな人がこんな状況に遭ったらどんな行動をするか」を極めてリアルかつ自然に表現する、これも濱口マジック効果なのだろう。「我々も元々は外から来たよそ者です。森を切り開いて生活の場にしてきた。開発って、要はバランスだと思う。やり過ぎたらバランスが崩れる」巧の言葉が沁みる。
一旦東京の会社に引き返した二人は、社長とコンサルに計画の見直しを提案するが、逆に無責任な思い付きを押し付けられて、再度、巧を説得する為に長野県に向かわざるを得なくなる。高速道路を走りながら車中での高橋と黛の会話は、自然な人間臭さに満ち溢れ心地良い。巧に再会した頃には、三人は森の優しさに包まれて立場を超えて大事なモノを共有する同士になっていた。気持ちがホッコリする展開だが、悪人風が善人になったありがちな物語では本作は終わらない。
地元の蕎麦を啜り、森の中で湧水を皆で汲んでいた時、巧は娘の保育園の迎えの時間が過ぎているのに気づき、慌てて街中に向かう。だが、花は「いつものことだから」と、独りで帰ったあとだった。三人は花に追いつこうと森の中を探すが彼女は見当たらない。遂に町中で彼女の探索が行われることになる。陽が落ちかけた時、森の外れの雪原で巧と高橋は、猟銃に打たれて手負いの親子鹿を見つめる花の姿を見つけるのだった。だが実は...
題名「悪は存在しない」の意味とラストシーンの解釈は、全て観客に委ねられる。
大自然と人間の関わりを通して浮き彫りになる人間のエゴ。乱開発で自然を牛耳ったつもりでも、実は多くの命を操る自然にとっては瑣末な事なのかもしれない。大自然には善悪は無く「何が起きても」全ては自然な成り行きなのだ。自然と共に何事も達観して受け入れてきた巧でさえも狂わせる人間の哀しい性を描き、所詮、人間も自然に翻弄される生き物の1種類に過ぎないのを見せつける。
固定カメラで自然の中での人間の動きを俯瞰して撮影したと思えば、手持ちで人間の鼓動さえも捉えるカメラワークが秀逸だ。登場人物の演技は台詞含めて演出臭さを一切感じさせない究極の演出に支えられリアリティに富み、素人とプロの区別が出来ないほどだ。そして石橋英子による音楽が大自然の神々しさを際立たせる。個人的には「ドライブ・マイ・カー」以上に心震わせられた作品となった。自然への畏怖と生きとし生けるものの本質に迫った稀有な傑作である。自然への贄(にえ)となった花に怒り狂い、高橋を贄に差し替えようとした巧の行動も自然の思し召しと捉えられる。
多くの方に鑑賞してほしいが、ヴェネチア映画祭銀獅子賞を受賞した本作が都内で2ヶ所の劇場でしか上映されないのがどうにも合点にいかないのだが。
八丈島に初上陸 [寫眞歳時記]
GW後半に妻と八丈島に初上陸した。
夫婦での2泊以上の遠隔地への旅行はコロナ禍以降では初めてのことだ。ひと月前に離島特集のTV番組を見て「そういえば島には行ったこと無いよなぁ。八丈島って意外と便が良いんだな。」などと話していたら、翌日には「GW、八丈島予約しました」とカミさんからメールが...昔は旅行予約は旦那の専売特許だったが、昨年にネット予約の方法を教えてからの妻の成長は著しい。最近は「推しかつ」と称して仕事の間隙を縫って一人で札幌や大阪に知らぬ間に行ってしまう。今回もリーズナブルな旅程を押さえ、レンタカーまで予約する完璧ぶりだ。どうもいつかは世界一周を目論んでいるらしいのだが、その時に隣に小生が居るかは定かで無い
八丈島・・・羽田空港から55分の近くて遠い南国の島なのだ。当日は朝から強い風雨に見舞われ、現地の天候次第では羽田に引き返す場合もあるとアナウンスされる不安のスタートだったが、なんとか八丈島空港に昼過ぎに着陸。「品川ナンバー」(紛れなく東京都なのだ)のレンタカーに乗り換え、さてこの雨の中で何処に行くか悩む老夫婦
ひとまず空港近くの島カフェ「ジャージー・カフェ」で作戦会議だ。とろ〜り美味のジャージープリンを頬張りながら、雨天用の旅程を練る。それでも小生が「アレだけは見たい」と主張しビジターセンターに移動して...
小生と同年代の方ならご存知の『八丈島のキョン』なのだ。
嗚呼、「がきデカ」は偉大なり
そして向かうは「八丈民芸 山下」だ。店先の置かれた年代物の「ひょっこりひょうたん島」の乗り物が哀愁を誘う。三原山と八丈富士のふたつの山を持つ八丈島は、半世紀前のNHKの名作人形劇のモデルとも言われているのだ。
この店内でカミさんは「黄八丈」の織物体験をすると言うのだ
学生時代は工作赤点、老眼進行中の旦那は無謀な挑戦を諦め、妻を店に残して雨の中を付近をドライブである。島に来ても建物好きは変わらない。変わった建築を探しながら「大里の玉石垣」を見に行く。
1時間半ほど彷徨いて民芸店に戻ればカミさんの苦心の作がほぼ完成していた。20センチほどの布の切れ端を織るだけで素人ではこれほどの時間が掛かる。着物1反分にかける職人の技の凄さに改めて感服する。
我儘な女房に付き添ってくれた職人の方にお礼を言う頃にはすっかり夕刻になっていた。慌ててホテルにチェックインし、地元食材を使った夕食をたらふく戴いて爆睡の一日目が終わる。
翌日も降ったり止んだりの生憎の天候だ。ただ前日ほどの荒れ模様では無かった為に、森林探索をしながら温泉巡りをする行程にした。観光スポットに向かう途中に巨大な建物の廃墟に出会う。
日本3大廃墟の一つと言われる「八丈オリエンタルリゾート」だ。1968年に開業し、海外旅行が大衆化する以前に、八丈島観光の全盛期を支えたホテルだったと言われる。2006年に廃業したまま、取り壊しもされずに放置されている。私有地の為に一般人は進入禁止だが、内部を公開した映像がネットには多く上げられており、まさにゴージャスな廃墟なのである。「トリック劇場版2(2006年)」のロケ地に使用されており、後日視聴したが、往時が偲ばれると共に、人が住まない建物は僅か20年でも荒れ果てる事を痛感した。
車は細い山道をひた走る。対向車が来たら面倒なほどの隘路だが、こんな陽気に奥深い山道を走る観光客は奇特な夫婦だけだったようだ。
「ポットホール」・・・岩盤を流れる水路にできる穴のことだが、何万年もの時を重ねてできた甌穴群が形成されており、八丈島の天然記念物に指定されている。
八丈島は火山島であり、隠れた温泉のメッカである。島の南側を中心に7つの温泉施設が点在しており、全てが町営の日帰り温泉で地元の方々の憩いの場所にもなっている。まずはメディアにも取り上げられる絶景の「みはらしの湯」に行き、4つの温泉に入れる入湯証もゲットだ。
一つの施設が休業中だったが、個性溢れる3つの温泉を踏破し、夫婦ゆでだこ状態で「裏見ヶ滝」を探索する。
本州では見かけない巨大なシダの葉を見ると、改めて此処が南国であるのを再認識する。だが、行政区分としては紛れもなく「東京都」なのだ。
この滝のそばには秘湯「裏見ヶ滝温泉」があり、無料の混浴で水着着用が義務付けられている。女房の裸体を他人に見られたくはないが、水着で風呂に入ること自体に抵抗を感じる江戸っ子は潔くここはスルーだ
ホテルへの帰り際に「宇喜多秀家の墓」に行き手を合わせる。豊臣五大老の一人だったが、関ヶ原の敗戦で八丈島へ流罪となる。享年84歳と伝わるので50年に亘る長き隠遁生活だった。「きっと、この島が性に合ったんじゃない。奥さん(豪姫)と離れても結構楽しくやってたはずよ」と妻がさらりと言う。ん〜女の見立ては鋭い
こうして二日目も終了。最終日の天気予報はようやく「晴れマーク」だ。そして??回目の女房の誕生日を迎えることになるのだった。
こうして二日目も終了。最終日の天気予報はようやく「晴れマーク」だ。そして??回目の女房の誕生日を迎えることになるのだった。
久しぶりの快晴だ
悪天候でもそれなりの旅行の楽しみ方はあるのだが、好天に勝るものはない。女房へのお祝いのごとく、南国の神様が最後に青空のプレゼントを恵んでくださった。朝からご機嫌の妻は「今日こそ山に登るわよ〜」と早くも戦闘モードである。彼女の嗜好を当然知っている旦那は昨晩のうちから作戦を練っていた。なるべく楽なハイキングコースにするのだ。島内の二つの山である三原山と八丈富士を比較すると後者は1時間弱で登れる初心者向きコースだった。
「三原山は四十年前に噴火しているから万が一を考えて八丈富士にしよう。帰りの飛行機の時間にも余裕を持った方がいい」と誘導に成功する
八丈富士〜七合目の登山口まで車であっという間に到着だ。
ほぼ頂上まで整備された階段が続く登山道のようだ。ふしだらな生活で緩みきった爺いの肉体でも、ゆっくり歩けばなんとかなりそうだ...と思ったのが大きな間違いだった
15分も登った頃には、太腿が悲鳴を上げ始めると共に呼吸が荒くなる。座り込んだ小生の隣には汗ひとつ流さず余裕の妻の姿が...気を取り直し気合いで更に10分登るが、心拍数が限界に近づいているのを自覚する。「妻よ、俺の屍を乗り越えて先に行け」冗談混じりに話すと「じゃ、頂上でスケッチでもして待ってるわね」と颯爽と妻は消え去るのだった...
そこからは、3分登り5分休憩という恥も外聞も無い超スロー登山に切り替え、独り山頂を目指すのだった。実は40年前の学生時代は登山も趣味で、北アルプスなどを縦走していたのだが、よる年には勝てない。今の体力に見合っての行動が大事である。
そして.....約100分かけて登頂に成功
眼前には「お鉢」と呼ばれる火山口の絶景が飛び込んできた標高854メートルなので山頂まで緑深く、火口の中にはジャングルを思わせる深い森と池が見える。高山とは一味違う優雅な姿に感動する。付近を見渡すと、小高い丘に座った妻のスケッチがまもなく完成寸前だった。軽々と登頂したカミさんは、旦那が追いつくまでの1時間近くを自分なりに楽しんでいたのだ。