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『湯道』 [上映中飲食禁止]

[いい気分(温泉)]さぁ、身も心も温まろう[いい気分(温泉)]
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大正期に私の祖父は東京の銭湯に丁稚奉公する為に北陸から上京した。下働き、番頭を経て本所の地で晴れて独立を果たし、戦前には都内で4つの銭湯を持つほど商売を広げていたらしい。戦後の混乱で現在の向島の1店舗だけになり、私が大学生時の父の代で廃業した。言うなれば幻の風呂屋の3代目の小生としては、この作品を観ないわけにはいかないのだ[かわいい]

建築家の三浦史朗(生田斗真)が、「まるきん温泉」を営む実家にある日突然戻ってくる。彼は亡き父が遺(のこ)した銭湯を切り盛りする弟の悟朗(濱田岳)に、古ぼけた銭湯をマンションに建て替えると伝えるために帰省したのだった。ある日、悟朗が入院することになり、銭湯で働く秋山いづみ(橋本環奈)の助言もあって、弟の代わりに史朗が店主を数日務めることになる。(シネマトゥデイより)

詳細なストーリーを述べるほどの内容ではないのだが、個人的には幼少期の思い出とシンクロしまくりで、祖父の働く姿が瞼に浮かび、昭和の哀愁に包まれた。銭湯を舞台にしたTVドラマや映画は過去にも多く存在するが、風呂屋の裏側を知る身として今作は非常にリアリティーに富んでいると感じた。(あくまでも銭湯の日常の部分に関してなのだが)

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凝りすぎのセットではあるのだが、「昭和」を知る者の哀愁を呼び起こすには十分の装飾だ。そして肝心なのは、この「まるきん温泉」は源泉を引いている訳ではなく、井戸水を薪で沸かす正真正銘の『銭湯』であるという事だ。小学生時代、近所から貰った廃材をリアカーに積んで祖父と歩いた記憶が蘇る。ノコギリで廃材を燃えやすい長さに切り、釜の中の火種の具合を見ながら焚べていく。燃え盛る炎が地下から汲み上げた水をゆっくりと温めて行く。薪で炊いた湯は「柔らかい」と言われ、確証は無いのだが私はそう信じている。

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一番風呂はやたら熱い[どんっ(衝撃)] 生田斗真の体当たりの「裸の演技」が光る。水でぬるめようものなら、近所の御意見番に怒鳴られる。江戸っ子のマナーというより「掟」である。下町では毎日決まった時間に決まった客が来た。つむじかぜ少年は、小学校低学年まで番台に座っていたので良く判る。(異性を意識する高学年になってからボイラー室に廻されたのは我が家の健全な教育方針だった[あせあせ(飛び散る汗)])昔は「刺青禁止」など無いので上半身極彩色のオッチャン達も多かった。おかげで成人してからも、半社会的な方々とも違和感なく付き合えた。裸になれば皆同じなのだ。そして町の風呂屋は地元の大事な社交場でもあったのだ。

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窪田正孝が師範として演じる「湯道」なるものは現実には存在しない。企画・脚本の小山薫堂の洒落心から生まれたものだろうが、入浴マナーを究極の芸事に転じた発想から彼も相当な風呂好きと見た。銭湯の存続に揺れる兄弟の人情噺を中心に「入浴を極める」ことに異様な執着を持つ集団や日常的に地元の銭湯に集う人々そして温泉至上主義の評論家も絡めてのドタバタ劇である。若手からベテラン俳優、芸人、歌手、タレントと数多の出演者でごった返しているが、風呂上がりの開放感の如く皆が気楽に伸び伸びと演じているのが窺える。特にベテラン俳優陣の「気持ちいい〜」顔の演技が秀逸だ。潰えた家業に一抹の淋しさを覚えつつ、終始気楽に観られる娯楽作だった。一点苦言を呈するなら、『女優の皆さん、湯船に浸かる時は化粧を落としなさい[パンチ]



温泉、サウナに続いて今や銭湯ブームらしい。都内で生き残っている銭湯が何処も若者中心に賑わっている。宮造りの建物の意匠や煙突、富士山のペンキ絵、ケロヨンの風呂桶、瓶入りコーヒー牛乳までもが昭和レトロを醸し出して「映える」のが理由らしい。しかしながら、失われつつあるものは懐古趣味を誘う物質ではないのだ。銭湯とは地域住民の社交場であり、ある意味、コミュニティの中心を担っているのだ。我が家の銭湯の通りには、一杯飲み屋、中華料理店、八百屋、和菓子屋、氷屋、米屋、豆腐屋、パン屋が並び、風呂の行き帰りに町内の人々が立ち寄る処が多かった。銭湯廃業から40年、今や全ては一般住宅に建て変わり、私の息子の世代では誰が住んでいるかお互いが知らない。現在、銭湯を愉しむ方には、そこまで感じていただけると嬉しい。


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『逆転のトライアングル』 [上映中飲食禁止]

[ぴかぴか(新しい)]ブラックな諧謔味に溺れる[ぴかぴか(新しい)]
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モデルでインフルエンサーのヤヤは、恋人である男性モデルのカールと共に豪華客船のクルーズ旅行に招待される。リッチでクセの強い乗客はゴージャスな船旅を堪能し、客室乗務員は彼らから高額のチップをもらおうと笑顔を振りまきながら要望に応えていたが、ある夜に船が難破する。さらに海賊に襲われ、無人島に流れ着いた乗員乗客たちが食料、水、そしてSNSのない状況にあえぐ中、トイレ清掃員が圧倒的なサバイバル能力を発揮する。(シネマトゥデイより)

昨年の『チタン/TITAN』もヤバかったが、今年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作も小生好みの少々イカれた奥深い人生喜劇だ。

オープニングの男性モデルのオーディション風景から、今作が薄っぺらな現代社会を風刺したものであるのを予感させる。そしてそこに参加していたカールが、旬を過ぎた売れないモデルであるのも窺わせる。そんな彼の恋人ヤヤは超売れっ子モデルでインフルエンサーとしても大活躍である。本作はこのカップルを中心に3部構成で描かれていく。

高級レストランでの二人の痴話喧嘩。「昨晩、私が奢るって誘ったくせに伝票をそれとなく僕の方に押し付けた」といきりたつカール。言った言わないで揉め、「割り勘で」とヤヤが言えば「そういう問題じゃない」と拗ねるカール。業を煮やしたヤヤがカードで支払おうとするが、使用停止だと判り、結局カールが全額カードでお支払いという顛末だ。二人の役者の攻防が見事だ。表情、間の取り方、激しい言葉、まさに痴話喧嘩だ。不穏なムードのままホテルに戻るが、結局は元の鞘に収まる浪費癖の派手女とプライドだけ高い臆病男の姿を強烈に見せつける演出で第一部が終わる。

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今をときめくジェンダー問題の奥深さにも婉曲的に触れているのだ。男が女を守り、養うべきという封建的な思考より経済的に優れた者がリードすべきなのか?では男の価値とは、女の価値とは?
封建的家庭で育った小生は、結婚前のカミさんとのデートでも一回も彼女に食事代は払わせなかった。だが、結婚後は全ての財布を奪われ、小遣い亭主に成り下がっている。姉さん女房を娶った長男は、結婚前は稼ぎの良い彼女にほとんど奢ってもらっていたらしい。要は当人同士が納得していればいいだけで、社会規範などに照らし合わせる必要など無いと思うのだが...問題は、女性が男性と同等に働き稼げる環境が整備されているかなのである。

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第2部が個人的にお気に入りだ。
豪華客船クルーズに招待されたヤヤとカールは、世界屈指のセレブ達と極上の船上生活を愉しんでいた。カールはヤヤのネット投稿用の写真を撮りまくっている。完全に彼女の付き人兼ヒモを自覚しているが、周りからはいい女を囲ったエリートと見られたいと熱望している。1部に輪をかけてカール役のハリス・ディキンソンが情けない男を好演だ。ロシアの大富豪、武器商人の老人、IT業界の買収家など人生の成功者達は個性的な強者揃いだ、そして彼らへの極上のおもてなしを心掛ける客室乗務員達は全員白人で、多額のチップの為にどんな我儘な要望にも笑って「YES」と答えるのだった。優雅な船内の最下層には、人目につかないように働く清掃員や機関工員がいる。全て黒人やポリネシアンなどの有色人種だ。夢のような豪華客船が、歴然とした階級社会で成り立っている事を示し、船が地球そのものであるのを示唆している。

ある晩、船長主催のイベントである「キャプテンズ・ディナー」が盛大に催される。折しも海上は大しけとなり、徐々に客船の揺れが激しくなって行く。絶品料理がサーブされる中、気分の悪くなった客が徐々に席を離れ始め、一人の老婦人がテーブルに嘔吐したのを皮切りに、次々と吐瀉の連鎖が起こり、船内は阿鼻叫喚の地獄絵に様変わりする。セレブ達がゲロまみれでのたうち回る描写が非常に秀逸で小生は笑いが止まらない。(上品な方は正視できないと思われるが[あせあせ(飛び散る汗)])いくら金が有っても苦しみからは逃げられないし、どんな美食も上から出せばゲロだし下から出せば糞だと、俯瞰した北欧の奇才監督はのたまう。ほとんどの乗員が苦しみ喘ぐ中、アル中の船長とロシアの大富豪は意気投合し、泥酔しながら「ソ連の共産主義」を語り合う場面もシュールだ。
一夜明けて嵐が去り、落ち着きを取り戻したのも束の間、海賊に遭遇した客船はあえなく手榴弾で爆破され沈没してしまうのだった...(爆笑[わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]

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何とか一命をとりとめた数名が無人島に流れ着き、第3部が展開される。カール&ヤヤ、ロシア大富豪などセレブ5名と客室係チーフのポーラ、黒人の機関工員、そしてトイレ清掃婦のアビゲイルが水・食糧完備の救命艇で余裕で上陸して来る。途方に暮れるセレブ達の期待に応えようと仕事に忠実なポーラが指揮を執ろうとするが徒労に終わる。火を起こし、魚を素手で取るアビゲイルに皆は驚愕し、彼女にグループの生存を委ねて行く事になるのだった。機嫌を損ねれば食料を与えられず、皆はアビゲイルに従属して行く。カールは食料のためにとヤヤを諭し女王様の性奴隷に化す。2部から更に男を落とすハリスの迷演技が光る[exclamation&question]
階級の逆転のストーリーには既視感が付き纏うが、俳優陣の熱演と機知に富んだ演出で極上のブラックコメディに仕上がっている。特筆すべきは、彼氏を差し出しても微妙なバランスでアビゲイルと対峙するヤヤだ。そして彼女の弛まぬ精神力がラストのどんでん返しを生む[がく~(落胆した顔)]

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全編を通じて人間同士の普遍的な関係性を見せつけ、個人のアイデンティティを問う。複数の人間が集えば、支配する側とされる側に分類される。現代社会では富を多く持つ者が無き者を虐げ、無人島のような経済概念が通用しない世界であれば生き残る術を持つ者が君臨する。いつの時代もいかなるコミュニティにもピラミッド型のヒエラルキーが構築されるのだ。それは夫婦、恋人の男女の間にも同じく存在する。そして不思議とお互いの状態が居心地良くなってしまう人間の哀しい性を、本作は小気味よいほど諧謔味溢れる演出で描いているのだ。
多くの登場人物の中で、状況が変われど自己の存在位置が変わらなかったのはヤヤと認知症のセレブ妻だけだ。普遍の精神とは狂人のそれと同義であり、大多数の人間が配と被支配の関係に満足する共依存の本能を持っている事をアイロニカルに炙り出す傑作コメディである[exclamation×2]無人島で女王様となったアビゲイルが「元の場所」に戻る局面が訪れたラスト、抗いながらもふと安堵の表情を見せて、彼女はヤヤの頭に石を振り下ろそうとするのであった...[がく~(落胆した顔)]
アカデミー賞が世界標準ではないでしょう!と宣う方には、パルムドール連続受賞の奇才・リューベン・オストルンドの魔法にあえて嵌って戴きたい[かわいい]
 
作中の華は勿論、このブレないイカした女を魅力たっぷりに演じたチャールビ・ディーンだ。彼女の見事な肢体と豊かな感情表現が、通好みのブラックコメディに艶と生命力を与え、カンヌの栄冠まで引き上げたと言っても過言ではない。

カンヌ映画祭でのチャールビ
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今後楽しみな女優だったが、受賞後の昨年夏に細菌性敗血症で急逝してしまった。
黙祷...

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