SSブログ

早稲田に行く② [寫眞歳時記]

早大に来たなら是非とも此処に立ち寄らなければいけない[ぴかぴか(新しい)]

20230827-DSCF6784-1.jpg

ドラード和世陀・・・梵寿綱(ボンジュコウ)の手によるテナント併設のデザイナーズマンションである。早大正門から歩いて3分程の交差点で異彩を放って佇んでいる。バブル景気に向かって日本経済が黒いマグマを溜め込んでいた昭和末期の1983年に竣工された。

規格化された高層マンションが乱立した高度成長期に、商業主義優先の建築様式を真っ向から否定した若き建築家・田中俊郎は独自の世界を模索していた。70年代から梵寿綱と改名した彼の創り上げる独創的な作品群は賛否両論を巻き起こしながらも、いつしか彼は「日本のガウディ」と評されていくのであった。ドラード和世陀はこの奇才の絶頂期の作品らしい。

今春に事前情報を元に気合を入れて訪れたのだが、外壁の補修工事の為に全面に足場が掛けられており、全貌を確認出来なかった。女房が一階のアンテックショップで小物を買い物しただけに終わったが、今回ようやくこの建物に向き合えた。建築マニアの間で垂涎の建物と言われるのも頷ける驚愕のデザインだ。左右非対称の曲線を多用したユニークな造形で色彩は落ち着いた白を基調にしている。驚くべきは外壁に施された無数のオブジェや壁画である。

20230827-DSCF6804-1.jpg

20230827-DSCF6883-1.jpg

20230827-DSCF6918-1.jpg

20230827-DSCF6872-1.jpg

20230827-DSCF6926-1.jpg

20230827-DSCF6939-1.jpg

20230827-DSCF6896-1.jpg

1F部分は美容室、画廊、アンティークショップがテナントとして営業しており、2F以上が住宅という構成だ。ゆえに建物内にはエレベーターホールの手前までは自由に入る事が可能だ。恐る恐るニンニク大王みたいな男の舌に誘われて侵入すると、外装以上に常軌を逸した装飾に驚愕し、カオス的な非日常に溺れてしまう。

20230827-DSCF6770-1.jpg

20230827-DSCF6767-1.jpg

20230827-DSCF6754-1.jpg

20230827-DSCF6821-1.jpg

後期のアントニオ・ガウディのような崇高な宗教性は全く感じられ無い。東洋と西洋の融合どころか節操の無い無国籍ぶりは見方によってはキワモノ系である。梵に共鳴した芸術家や職人十数人が自由気儘に制作したという造形の饗宴なのだ。
天井から垂れ下がる掌に触れると40年前の時流に反抗したクリエイター軍団の熱い血潮が脈打って聴こえたのは気のせいだろうか?

20230827-DSCF6845-1.jpg

梵寿綱の作品群は常に底知れぬパワーを発し、いつもでも見惚れてしまう魅力に溢れている。一方で「でも、このマンションの住民になる勇気は無いな」とアーチスティックになりきれない自分がいるのも確かだ。まことに異次元のクリエイターである。


nice!(43)  コメント(6) 
共通テーマ:地域

早稲田に行く① [寫眞歳時記]

20231022-DSCF8578-1.jpg

早稲田大学『稲門祭』に行ってみた。

残念ながら小生はW大OBでは無い。通うチャンスは高校・大学受験ともに一応あったのだが学力及ばずご縁が無かった学校である。今春、カミさんと展覧会の鑑賞に訪れたのが、「記念受験」以来実に44年ぶりの登校だった[あせあせ(飛び散る汗)]当日は展覧会場以外の校舎に入れなかったので、今回はじっくりとキャンパス内を回るつもりだ。目的は学園祭を楽しみに来た訳ではなく、早稲田の歴史的建造物の見学なのである。

20231022-DSCF8594-1.jpg

大隈記念講堂の内部に入るのも初めてだ。本日は終日コンサートが開催されており入場自由、もちろん無料。講堂内の意匠を眺めていたら、偶然にも中学時代の同級生に出会う。早稲田高等学院に奇跡的に入学した悪友で、確かに土壇場に勝負強い奴だった。無論、W大OBであり、今イベントの運営幹部の一人に収まっていた。お互いの近況を立ち話して別れる。昔の友人とは何年も会っていなくてもすぐ少年時代に戻れるものだ。

1927年竣工の早大の象徴とも云うべき様式建築の講堂は、材料一つ一つの重量感、内部の細かな意匠そしてホールの空間表現に至るまで、当時の建学への迸る精神を感じる迫力に溢れたものだった。

20231022-DSCF8592-1.jpg

20231022-DSCF8478-1.jpg

20231022-DSCF8486-1.jpg

會津八一記念博物館に移動する。2号館として1925年に竣工されて、長らく大学図書館の役割を担った建物だ。會津氏とは早稲田卒業の美術史研究家であり、1926年に同大の文学部講師となった人物である。70年の時を経て、彼のコレクションを始め多くの校友から寄贈された美術品を管理・公開する博物館に衣替えした。

20231022-DSCF8489-1.jpg

20231022-DSCF8492-1.jpg

20231022-DSCF8497-1.jpg

キャンパス内はテント露店が立ち並び来場者でごった返している。このうちW大関係者がどれほど占めているかは定かではないが、小生のような年配者はほぼOBと見て良いだろう。2号館を出るといきなりサンバ隊に襲われ、爺さんはドギマギしたりするのだが...どちらにしても恐るべしW大パワー。先の甲子園高校野球決勝戦で突如湧き出た慶應OBの応援が話題になったが、我が国の早慶伝説は未だ不滅のようである。

20231022-DSCF8508-1.jpg

気を取り直して、カメラ爺いはイベントにも露店にも目をくれずに歩を進める。と、突然、異彩を放つユニークなオブジェに囲まれた建築物に遭遇する。

20231022-DSCF8551-1.jpg

「村上春樹ライブラリー」と称された国際文学館である。4号館を隈研吾がリノベーションし、2021年に開館した。早大OBである村上春樹の全作品外国版含めた3000冊を収納・展示している。外観以上に内部の各部屋が示唆に富んでいる。作品をそのまま手に取れる読書ルーム、彼の音楽性をモチーフにしたJAZZ喫茶ルーム、今流行りの「聴く文学」室など、隈研吾がかつての堅苦しい文学資料館のイメージを払拭させ、村上ワールドを世代を超えて体感できるよう解き放った。隈氏は東大卒らしいが...とにかく彼らしい木の温もりを感じる美しいデザインだ。

20231022-DSCF8530-1.jpg

20231022-DSCF8521-1.jpg

20231022-DSCF8523-1.jpg

20231022-DSCF8526-1.jpg

国際文学館の斜には好対照なレトロ風の洋館が建っている。「坪内博士記念演劇博物館」は小説家であり早大教授も勤めていた坪内逍遥の功労を記念して1928年に創られた演劇専門の博物館で、学内では「エンパク」と呼ばれているそうだ。設計は會津八一記念館と同じ今井兼次で、16世紀のロンドンの劇場「フォーチューン座」を模して建てられたと云う。(此処だけは内部の撮影禁止であった。)他に類を見ない日本演劇界の歴史を網羅した展示は貴重である。

20231022-DSCF8546-1.jpg

20231022-DSCF8543-1.jpg

政治経済学部校舎の旧3号館前では、学内クラブのパフォーマンスが次々と繰り広げられていた。外の喧騒をよそに裏口から校舎に入ると少々驚かせられる。1933年に竣工した3号館の南側を残し、そこに覆いかぶさるように北側に地上14階のビルが建てられている。当然、新旧のビルは内部で連結されている。上野の「国際子ども図書館(安藤忠雄)」などに通じる、旧財産を保全しつつ最新設備のビルに立て替える工法であり、今更ながら最近の建築技術の凄さに圧倒されてしまった。

20231022-DSCF8572-1.jpg

20231022-DSCF8563-1.jpg

20231022-DSCF8566-1.jpg

最後に行動の裏に在る「大隈庭園」を散策する。大隈重信の別邸跡地であり、江戸期に在った大名下屋敷の庭園をモチーフに作庭されたと云う。丁度、庭園内で学生によるJAZZ演奏中で、大隈講堂と大隈記念タワーをバックに少し紅葉し始めた緑が夕日に美しく映えていた。

20231022-DSCF8603-1.jpg

140年間に亘り「私学の雄」として君臨する早稲田の歴史の重みを味わせてもらった。今はイベントにはしゃいでいる在校生にとっては日常の風景だろうが、君たちも40年後には分かるよ、と思いながら。


nice!(44)  コメント(6) 
共通テーマ:地域

『ジョン・ウィック:コンセクエンス』 [上映中飲食禁止]

爽快!超ノンストップ・アクション

362231896_792700992859295_1118795194792732874_n.jpeg

伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)は、裏社会のおきてを破りながらも粛清の包囲網を生き延び、全てを支配する組織「主席連合」と決着をつけることを決意する。一方、組織内での勢力拡大をもくろむ高官グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、裏社会の聖域だったニューヨークのコンチネンタルホテルを爆破。さらにジョンの旧友でもある盲目のケイン(ドニー・イェン)を抱き込み、ジョン狩りを始めようとしていた。(シネマトゥデイより)

シリーズ未見につき、前3作をNet配信でサラッと予習して臨んだ最終章である。Laby様のアドバイス通り、冒頭に前作までのあらすじが流れたので予習無しでも楽しめただろうが、やはりキャラへの思い入れの深さが違ってくる。寝不足になった価値はあったというものだ。

キアヌ・リーブスも気付けば還暦間近なのだ。「マトリックス(1999年)」での煌めく精悍さは影を潜め、その代わりに重厚さと貫禄を身に付けた。黒革のロングコートからダークスーツへと黒尽くめのファッションは同じままだが、身から発する圧倒的な存在感に息を呑む。ほぼ同級生のトム・クルーズと双璧の初老アクション・スターだが、未だに若さに固執するトム様とは似て非なる俳優である。

1612265011295-neostopsbullets.jpeg

john-wick-keanu-reeves-sword-suit.jpeg

長尺160分間の大半がアクション・シーンというより『殺戮シーン』の連続だ。銃撃とカンフーを組み合わせた「ガンフー」なるアクション分野を切り開いた同シリーズだが、大阪も舞台になった本作では更に「日本刀」がフィーチャーされ日本版殺陣・チャンバラの要素も加えられた。まさに「キル・ビル(2003年)」を彷彿させるノンストップ殺人が延々と続くが、タランティーノ節よりもはるかに小気味良く、まるでゲーム感覚のように死体が山積みだぁ[あせあせ(飛び散る汗)]

亡き妻の遺した犬が殺された事で現役復帰した伝説の殺し屋ジョンが、結局は組織から命を狙われる羽目になるのがシリーズの大筋である。世界の裏社会を牛耳る暗殺組織を敵に回し、高額の懸賞金目当てで押し寄せる同業の殺し屋たちを次々と撃破するキアヌ・リーブス。スタント無しの殺陣の迫力は彼の面目躍如であり、作品の魅力の骨格でもある。とにかく常に満身創痍の状態で戦いギリギリのところで命を繋ぐのが彼の勝ちパターンであり、観る者からも安心の筋書きなのである。何度刺されようが、何発銃弾を打ち込まれようが、何台の車に轢かれようが、立ち上がる人間離れしたタフネスさに、遂には呆れて笑いが込み上がるほどだ[わーい(嬉しい顔)]

シリーズを通じて「男の友情」も随所に織り込んでいるが、本作は過去作以上にその色彩を全面に押し出している。今回は二人のアジア人俳優がジョンの旧知の友人として登場する。

john-wick-4-keanu-reeves-cosa-mostra-scena-post-credit-ispirata-kill-bill-v3-641537.jpeg

言わずと知れたドニー・イエン真田広之が、ジョンと同業者であり親友役として登場する。香港・日本・アメリカを代表する盛りを過ぎたアクション・スター3名の年齢を感じさせない殺陣が圧倒的かつ沁みる。老いても弛まぬ努力で鍛錬を続けた俳優魂に脱帽すると共に、その妙技を見事に切り取ったカメラワークと精緻な殺陣構成が秀逸である。真田演じるシマヅはジョンとの義を貫き、ドニー演じるケインは愛娘を守る為に親友との戦いを選ぶ。ハリウッドのギャング映画にサムライ魂と香港ノワールのエッセンスを加え極上の『哀しき漢たちの物語』に仕上がっている。

bill-skarsgard-john-wick-4.jpeg

数多の窮地を乗り越えラスボス・グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)との最終戦に臨むのはお決まりのパターンだ。だが、クライマックスへの過程が実に緻密な演出が仕込まれており、思わず「そう、来るかい[exclamation&question]」と唸る。ラスボスの代理人に指名されたケインとジョンの一騎打ちの対決方法は、最後の土壇場でアメリカ伝統の西部劇風の拳銃勝負を用意する周到さだ。そして衝撃の決着[どんっ(衝撃)]このサクレ・クール寺院の決闘は、アクション映画史上の傑作シーンの一つになるかもしれない。

John-Wick-movie-last-fight-scene-2048x922.jpeg

残虐な殺戮シーンを小気味よく見せる映像の巧みさと殺陣の迫力、アクションシーンが大半でありながらも、その行間に流れる「男の哀愁」に胸が高まる。無理してでも過去3作をおさらいしておけば、貴方も明日から愛犬家[ダッシュ(走り出すさま)]007やM:Iシリーズとは一線を画すアクション映画の金字塔であり、納得感動の最終章だった。
そして今春に急逝した1作目からジョンの理解者として活躍したコンシェルジュ役のランス・レディックに合掌。


nice!(32)  コメント(6) 
共通テーマ:映画

初音【甘味・人形町】 [江戸グルメ応援歌]

一人で店に入ってスイーツを食べられるようになったのは何時からだったろうか?若い頃から大の甘党ではあったが、誰が見ている訳でも無いのに気恥ずかしくてあり得ない事だった。

それが今や、スーツ姿で独り山盛りのフルーツ・パフェを頬張り、おはぎ片手にあんみつを啜る有様だ。真に歳を取ると云うのは、見栄を張らずに自分の欲求に素直になることであろうか。こうして爺さんは子供に戻っていくのだ[がく~(落胆した顔)]

20221026-DSCF3911-1.jpg

初音・・・勤務先の人形町で昼食時に良く訪れる店で都内最古の甘味処と伝わる。なんと創業は天保8年(1837年)。京都の1,000年以上続く老舗と比べればお子様扱いだろうが、そもそも町が出来始めたのが江戸開府以降でその後の災害・戦災の多さを考えれば、此の地で200年近い商いを続けた暖簾の重さは並大抵のものでは無い。
人形町が芳町と呼ばれた江戸中期には、此の地域は歌舞伎小屋が立ち並び、庶民の憩いの場であった。天保の改革により芝居小屋が浅草に移転した以降は、芸妓の花街となり戦後まで料亭が立ち並び栄華を極めたと云う。
「初音」と云う名は歌舞伎の演目「義経千本桜」の中で義経が静御前に授けた「初音の鼓」が由来らしい。歌舞伎によって繁栄した町ならではの屋号だ。小生は落語の「初音の鼓」しか知らなかったのだが[あせあせ(飛び散る汗)]

軽い昼食を摂りたい時にこの店に伺い、「温麺」を注文する。暖かい出汁に素麺が浮かぶだけのシンプル極まりない料理だが、これが旨い、身体に沁みるのだ。器も洒落ていて、芳町時代の情景が思い浮かぶ。芝居見物帰りに江戸っ子もこんな風に啜っていたのかなと...

20221026-DSCF3895-1.jpg

だがこの食事はある意味でカモフラージュなのだ。甘味大魔王を自認してはいても、勤務中の真昼間からスイーツだけを注文するのは若干の抵抗を感じてしまうのだ。未だに腹を括れない自分に苛立ちながらも、気持ちはメインの甘味へ[揺れるハート]

20221026-DSCF3906-1.jpg

都内の甘味処の「あんみつ」は多くが黒蜜使用だが、初音は白蜜か黒蜜かを選ぶ事ができる。コクの黒か爽やかな白か、客は究極の選択を迫られる。まだ蒸し暑さ残る本日は『白』で攻める。淡麗な白蜜だと寒天の潮の風味がより感じられ、餡子の深い甘味が際立つ。白玉は作り置きせず注文されてから作っているようで、優しく噛めばえもいわれぬ弾力に奥歯が歓声を上げる。何気に存在を主張する求肥の腰の無い柔さも好きだ。

店奥では鉄釜から煮えたぎった熱湯が柄杓で急須に入れられ、頻繁に店員さんが各席のお茶を足して回る。当然滅茶苦茶に熱い。関西の老舗なら高級な味わい深い煎茶を低温で淹れるだろうが、此の店の流儀は逆だ。「甘みに溢れた口の中は熱々の苦過ぎる茶で濯ぎなさい」と云う侘び寂びとはかけ離れた大雑把さが200年の江戸の暖簾の重みなのだろう。

20230623-IMG_7077-1.jpg

江戸情緒を醸し出す店内の意匠や料理・季節によって変わる器に老舗の心意気を感じる。一見素っ気無く、さりげない気遣いの接客はソロ活の甘党爺いには非常に有難い。そして何よりも職人本気の手作りの江戸甘味は強い中毒性を持ち合わせている。小生の憩いの隠れ家なのである。




nice!(33)  コメント(8) 
共通テーマ:グルメ・料理

『ロストキング 500年越しの運命』 [上映中飲食禁止]

「一念岩をも通す」〜快作〜

main-2-793x1150.jpeg

上司から理不尽な評価を受けたフィリッパ・ラングレー(サリー・ホーキンス)は、別居中の夫(スティーヴ・クーガン)から生活費のために我慢して仕事を続けるよう言われる。苦悩の日々を送る中、彼女は息子の付き添いでシェークスピアの「リチャード三世」を観劇して衝撃を受ける。残忍さで名高いリチャード三世も自分と同じく不当に評価されてきたのではないかと疑問を抱いたフィリッパは、王の汚名を晴らすため、独自に調査を開始する。(シネマトゥデイより)

イギリス王室の謎に挑んだ主婦の奇跡の物語であり実話だ。シェイクスピア文学と英国の歴史に造詣が深ければ、更に深読みが可能だったろうが、ブリティッシュ・ロックしか興味の無い無学の小生でも十分楽しめた鑑賞後の爽快感抜群の作品だ。

リチャード3世・・・15世紀のイングランド王である。当時の王位継承に際し、様々な権謀術数を巡らせ、候補者を次々と残虐に暗殺して王位に就き権勢を極めたと伝わる。その後、リチャードによる暗殺から逃れフランスに潜伏していたヘンリーが挙兵し、1485年のボズワースの戦いでは味方の裏切りにあい壮絶な戦死を遂げた。遺体は丸裸で晒された後に川に捨てられ行方知れずとなった。

稀代の奸物と伝わる国王の悪行が、実はヘンリー7世の属するチューダー王朝が前王朝を否定する為の創作であり、シェイクスピアの戯曲がそれを助長したと主張する歴史愛好家グループが存在した。その団体にフィリッパ・ラングレーと云う一人の主婦が参加する。

c0db7ecaa2e51f53214887b821f6c47a.jpeg

演じるのはサリー・ホーキンス。アメリカ版「ゴジラ」シリーズの博士役で既知な女優であるが、個人的には「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人と恋に落ちる風変わりな女性役に強烈な印象を持った。本作でも、「こんな部下がいたらちょっと苦手かも」と思わせる、能力は高いが無愛想で少々偏執狂の傾向がある中年女性を見事に表現した。

脳脊髄炎というハンディを抱えながら家族を支えるシングルマザーのフィリッパは、仕事の正統の評価をされず落ち込んでいた時に、息子の付き添いで観た「リチャード3世」の舞台に心打たれる。突然湧き上がる興味に抗い切れず、数多の歴史書を昼夜を問わず読み耽り演劇の主人公の実像に迫る。そして疑問にぶち当たる、「悪名高き国王の評価は正当なのだろうか」と。そして、行方不明とされている彼の遺骨を掘り起こせば、真実に繋がる証拠も見つかるのではないかと。

Background 3 846.jpeg

我が国で言えば、本能寺の変で誅殺された織田信長の遺骨を発見すれば、日本史の常識として伝わる彼の歴史的評価と人間性が変わるかもと云う理屈だ。歴史とは勝者が作るものであり、以前の覇者の史実を歪曲させる事で時の権力者を美化し盤石なものにするのは古今東西、手法は変わらない。

休職届を出してまで研究に没頭してしまうフィリッパの元にリチャード3世(ハリー・ロイド)が度々現れるようになる。本物の亡霊かはたまた彼女の妄想か?生真面目な遺骨発掘ストーリーをユニークな探索劇に進化させたのは、寡黙で少々お茶目なナイスガイの登場が大きな力になっている。

FD4.jpeg

フィリッパは独自の研究と考察により、リチャード3世の遺骨は打ち捨てられておらず正式に埋葬されたと確信し墓地の場所の特定を急ぐ。そして「亡霊」の導きと己の直感は、それがレスター市の駐車場に眠ると指し示した。市役所とレスター大学に発掘の嘆願を執拗に行い、当初は全く相手にされなかった彼らを遂に説得し、学内の異端の歴史学者・バックリー博士と共に発掘事業が開始される。

zvQ.jpeg

資金が尽きかける危機を、別れた夫の協力とクラウド・ファンディングで乗り切り、そして遂にまさにリチャードの頭文字の暗示の如く駐車場の貸出済みのマーク『R』が書かれた地底から人骨が発見される。バックリー博士は教会の僧侶の遺骨と判定するが、フィリッパはリチャード3世だと対立、結果はDNA鑑定に託される事になる。この遺骨は、後世に伝わる悪虐王の容姿そのままに背骨が大きく湾曲した「せむし男」だった...

7PU.jpeg

一人の主婦の盲目的な「推し活」が引き起こす奇跡を、英国の歴史に疎い一般人にも理解しやすくユニークに描いた佳作だ。作品ではトントン拍子に進む展開だが、事実は想像を超えた地道な努力の積み重ねがあっての偉業と窺い知る。側から見て異常と思わせる程の者が偉大な発見をするのが世の常だ。その意味で、サリー・ホーキンスの偏執狂的な演技は見事の一言に尽きた。事実とは全く違う精悍な姿のリチャード王の亡霊との不可思議な親交に恋焦がれる少女の一面も垣間見せ、女性の持つ多面性までも表現した。そして、横しまな大学関係者に名声を横取りされても、我関せずの風で颯爽と歩む彼女の姿に拍手喝采のラストシーン、館内に爽風が吹いた瞬間だ。英国の歴史にも触れられ勉強にもつながった有難い作品であった[わーい(嬉しい顔)]




nice!(29)  コメント(4) 
共通テーマ:映画

『高野豆腐店の春』 [上映中飲食禁止]

[かわいい]藤竜也が好き[かわいい]
flyer_1.jpeg

広島・尾道の下町で、職人かたぎの店主・高野辰雄(藤竜也)と一人娘・春(麻生久美子)が切り盛りする高野豆腐店。父娘は早朝から工場に入り、こだわりの大豆を使って丁寧に豆腐を作る日々を送っていたが、あるとき辰雄は医師から心臓の具合が悪いことを告げられる。離婚歴がある春のことを心配した辰雄は、娘の再婚相手を本人に内緒で探し始める。辰雄の友人たちの協力により、春はシェフの村上ショーン務(小林且弥)と食事をすることになるが、実は彼女には交際中の相手がいた。(シネマトゥデイより)

最近お目にかかる事がめっきり減った、胸がほっこりと温かくなる家族ドラマの佳作だ。ストーリー自体は目新しいものではないが、頑固親父が男手ひとりで育てた娘の再婚騒動に右往左往するという昭和の王道パターンに懐かしさを覚えてしまう。小津安二郎向田邦子が描いた日本の家族の姿とも重なるが、昭和の巨人に共通する時折人間の裏側まで見透かすような冷徹な視点は排除し、愚直に暖かい陽の光のみを取り込んだ作品作りだ。そしてロケ地の尾道といえば古い映画ファンには想いが募る大林映画の聖地でもあり、作品全体から昭和映画へのオマージュが溢れているのだ。

takanotouhutennnoharu.jpeg

高野豆腐は「こうやどうふ」ではなく「たかのとうふ」なのだ。高野豆腐店は堅物親父と一人娘の二人で切り盛りする町の小さな豆腐屋だ。日々繰り返される早朝からの豆腐作り、店舗での接客、父娘の当たり前の日常を受け入れていた父・辰雄だったが、地元の友人達に焚きつけられ、娘の将来を真剣に考え始める。商売の存続よりバツイチ娘の幸せをと、彼女の再婚計画が仲間達と進められて行く。

takanotouhutennoharu3.jpeg

地元の悪友達とのドタバタ劇が展開し、漸く理想の結婚相手が見つかり結婚秒読みと思われた矢先に、娘の春から「一緒になりたい人がいる」と告白される。辰雄も知るその人物は、彼がもっとも気に食わないタイプの男だった...そして...

20230927-F3FJLplbUAUif0F-1.jpg

娘の再婚話と並行して、辰雄自身の老いらくの恋も描かれる典型的なホームドラマの展開だ。最近味わっていない安心感が何とも心地良くなってくる。その源泉は、藤竜也麻生久美子の魅力と演技力に尽きる。取り巻きの脇役人のコミカルな演技と対極にこの父娘の自然な振る舞いが心に沁みる。名優ほど演技を超越して「普通に魅せる」のだ。血の繋がらない父と娘の絆が押し付けがましくなく、すれ違う気持ちもリアルそのものだ。

実は昔から藤竜也の大ファンなのである。女優は古今東西、好きなタイプに推挙にいとまが無いのだが、惚れる男優は滅多にいない小生にとって別格の存在なのだ。初めて彼を知ったのは1978年のTVドラマ「大追跡」だ。当時の人気ドラマ「太陽にほえろ!」のコピーみたいな刑事モノで、加山雄三をボスに据え、藤竜也・沖雅也・柴田恭兵・長谷直美が部下を務める配役だった。

20220625212839.jpeg

酒と女が大好きな破天荒な刑事を演じる口髭の中年俳優に、高校生の小生は「渋いなぁ、このおっさん[exclamation×2]」と一目で憧れてしまった。当時の彼は映画俳優としての実績は既に十分だったが、この頃からお茶の間のテレビにも徐々に顔を出し始めていた。1981年の「プロハンター」で私の彼への想いは確実なものとなった。このドラマも松田優作の「探偵物語」の焼き直しのような作品なのだが、爽やかで華やかな草刈正雄とコンビを組む渋くてお茶目な藤竜也から目を離せない。



今では長老俳優3名の若かりし演技に笑いを隠せなくなるが、真っ白なTシャツに黄色のジャンパーを羽織り、サングラスをかけたまま横浜の繁華街を失踪する藤竜也の姿は際立っていた。そしてリバイバル上映されていた彼の出演映画を初めて観る。「愛のコリーダ」〜『芸術と猥褻』論争を起こした大島渚監督の問題作である。

w1500_38402636.jpeg

衝撃[がく~(落胆した顔)]だった。憧れの男優が、当時はボカシが入りまくりの映像ではあったが、局部モロだしで濃厚なラブシーンを頻繁に演じていたのだ。TVドラマでは見せない「雄の本能」の演技は18歳の青年には刺激的過ぎたが、彼の演技の熱量に感嘆し、憧れの想いに尊敬の念が加えられていった。吉行和子と共演した次作「愛の亡霊」で、それは確信に変わった。「こんなオッさんになりたい」と。
因みに彼の奥方は日活の大スター・芦川いづみだ。藤が無名時代に高嶺の花の芦川を口説き落とし、日活上層部の大反対を押し切ってゴールインした。当時のメディアには「格差婚」として大きく取り上げられたと云う。芦川は結婚を契機に人気絶頂のまま芸能界を引退し、その後一度も公式には姿を現さず藤を影で支え続けている。吉永小百合や原節子より芦川いづみ推しの小生は、女性の趣味が同様の彼に更に親近感と軽い嫉妬も覚えるのだった。

E9rlFbKUYAE_pCH.jpeg

以来40年近くが経過したが、彼は歳を重ねるごとに輝きと重厚さ双方を増して行き、邦画界には欠かせない存在になっていった。どんな役柄にもなり切れる技巧派の役者ではなく、役柄を自分の個性に重ねて人格を作る俳優だ。ゆえにストーリーに役が嵌った時は無敵だ。主役、脇役を問わず、彼の演技が醸し出す空気感は作品に自然な彩りを加えて行く。そして「男の色気に定年は無い」と世の壮年男性にエールを送ってくれるのだ。



齢82歳、彼の枯れない演技に久しぶりに触れて、今度は「こんな風に歳を取りたいな」と思うのだった。本筋からだいぶ脱線したが、自然と胸が温かくなり優しい気持ちになれる素敵な作品だった。昭和の爺婆に留まらず、多くの若い人たちにも見てもらいたい。


nice!(42)  コメント(8) 
共通テーマ:映画