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『ドライブ・マイ・カー』 [上映中飲食禁止]

緊急事態宣言が解除されようが、全く変わらぬ生活を送っている。台風にもめげず、福岡出張をこなし、東京に戻れば普通に外食し、映画も観る。『正しく恐れる』行動を続けていれば、行政のお達しに振り回されてストレスを溜めることは無い。つむじ風流生活習慣だ。ただ日増しに街は人々が溢れ出してきたのを実感する。1ヶ月後の感染爆発が心配ではあるが、兎に角、飲食業が少し元気になるだけでも嬉しい。


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脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消える。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かう。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされる。(シネマトゥデイより)

原作が村上春樹の短編小説なので当然ではあるが、極めて文学的な香りが強い映画だ。だが凝りに凝った文芸作ではなく、主題を押し付けることなく自然に映像化された巧みな演出と俳優陣の煌めく演技が心地よい佳作である。原作未読だ。春樹信望者でもなく、チェーホフの戯曲にも精通していないが、映画の発するメッセージが心に響く。3時間の長尺に老体の集中力が耐えられるか心配であったが、全くの杞憂だった。

貞淑な妻の浮気...となれば愛憎渦巻くサスペンタッチと思われるが、さもありなん。壮年の脚本家の妻と舞台俳優兼演出家の亭主は双方とも売れっ子であり、二人は何不自由無く仲睦まじく暮らしていた。そして深い愛で結ばれていた。7歳で亡くした長女の幻影と共に。或る日、出張イベントが延期となり、急遽自宅に戻った悠介は、リビングであられもなく男と戯れる妻・音の姿を見る。彼女は自分の脚本がドラマになる度に、目ぼしい男優を自宅に招き入れていたようなのである。二人の愛に疑いは無いはずなのに妻の行動に悩み苦しむ悠介。そして、「今夜、話したいことがある」と言った音は、裕介が帰宅すると脳溢血で急死していた。

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愛し合っているのはずなのに、お互いの心のひだまで歩み寄れていなかった想いがのし掛かる。その言葉を発せぬまま失った妻を常に引きづりながら、裕介は創作活動を続けていた。

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前半は、裕介が抱えるトラウマの発端を丁寧に描く。少々陰気なインテリ芸術家を西島秀俊が違和感なく演じる。この自然さが実に巧い俳優だ。天才肌の女流脚本家を霧島れいかがミステリアスに魅せる。隠微な色気を押し隠したような容姿は小生は好みでは無いが、「声」が魅力的だ。中盤以降も、カセットに収められた彼女の朗読が何度も流されるが、本作の骨格である「言葉の意味」を問うた「声」であり、声質に拘ったキャスティングと思われる。

2年後、裕介は広島での公演を請け負い、現地でのキャスト募集と面接を行う。題材はチェーホフの戯曲であり、彼の得意分野だ。俳優は数々の外国人を多く登用し、それぞれの母国語で台詞を話す。舞台上では何ヶ国語が飛び交い、対訳が舞台上のスクリーンに映し出される独特の演出方法を使う。この中盤以降、裕介は多くの人間と関わりを持ち始め、妻の死で見失ってしまった答えを探し出すことになる。まず、キャストに募集してきた若手俳優・高槻。妻・音の最後の浮気相手だ。裕介とは真逆の饒舌家であり、他人との距離を縮めるのが得意だ、男女問わず。数多の言葉を使いながらも、自分の奥深くに眠る熱情と凶暴性を表現しきれない男を岡田将生が好演だ。TV連ドラの常連でもあるが、優しい顔立ちに似合わず、非常に芸風が広い将来有望な俳優だ。彼の存在が主人公の孤独感を際立たせたと言っても過言では無い。そして、裕介の専属運転手として雇われ、彼の愛車 ・サーブを操る寡黙な女性・みさきに三浦透子満島ひかりを更に不機嫌にしたような顔立ちがアンニュイ。喪失感を抱えた裕介と徐々に距離を縮め、お互いの孤独を共有し、ついにはぶっきらぼうなセリフに隠された心情を吐露して行く過程をごく自然に演じた。

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死んだ妻と心の交感を出来なかった悔恨を抱えた裕介は、そんな彼らとの交流を通してその呪縛から徐々に解き放たれて行く。「言葉を伝える」ことと「心を伝える」意味を知って行く。舞台練習の本読みを敢えて棒読みさせ、本番に向け少しづつ言葉に命と真実を乗せて行く展開が緊張感を孕みながら見事だ。特にプロモーターの聾唖の韓国人妻も彼の演劇に参加するのだが、手話での台詞回しが健常者以上に力強く伝わってくるのである。このユナ役のパク・ユリムの美貌と健気な手話は作品中でも異彩を放ち、その存在が「言葉の意味」を更に浮き上がらせた。

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後半からは静かなる怒涛の展開だ。公演直前に高槻が傷害事件で逮捕され、主人公役が不在となる。全ての台詞を覚えているのは演出家の裕介だけだ。多くの関係者は彼の舞台出演を願う。だが、彼は妻の死後は一度も舞台に上がらず、演出のみに専念していたのである。「言葉を伝え演じる」ことに恐怖を感じていたのだ。悩み苦しむ彼は、ふと運転手のみさきに言う、「君の生まれ故郷に行ってみたい」と。みさきは素っ気なく了承し、車は広島から一路北海道に向かうのだった...
裏山の土砂崩れで母を亡くしたみさきの生家は既に跡形もなく、家の残骸に冷たく雪が降りしきっていた。物憂げに眺めながらみさきは、母の前では「良い子を演じ」続けて苦しかった事、母が生き埋めになった時に助ける気にならなかった事を話す。何かを通じ合った裕介に魂の言葉を投げかけるみさき。裕介は「貞淑な妻を演じた」まま亡くなった音を想い、演じさせ続けた自分の不徳を知る。彼は舞台に立つ決意をするのだった。今度こそ心を伝える為に。

ラストの「言霊」が交錯する舞台初日は、これまでの積み上げられたストーリーと伏線が一気に凝縮して放射される至福のシーンとなる。179分間を脇目も振らさずスクリーンに釘付けする言葉の力と研ぎ澄まされた俳優陣の演技を、もののみごとに融合させた濱口監督の感性と手腕に感服する。原作を紐解けば更に違う感動が押し寄せたかもしれぬが、小生ような不勉強者にも十二分に堪能できた傑作だった。言葉を操る真の役者の凄さまで改めて気付かせてもらった。


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Labyrinth

まずは、地震は如何でしたか? ニュース見てますと気が揉めまする…!?

さて、満を持しての up …! ( ´艸`) ありがとうございます。
お蔭様で、後半の舞台の “熱気” がまざまざと思い出され、感動が蘇るようです♪
私的に… 色んな意味で心に残る作品です。
by Labyrinth (2021-10-08 01:26) 

つむじかぜ

> Labyrinth 様
御心配頂き恐縮です。
リビングで寝落ちしており、気が付いた頃には女房が薄型TVが倒れぬように支えておりました。「貴方は、どんな災害でも寝たまま幸せに逝けそうね」と飽きられました^^;
我ら夫婦には、この適度な溝がいいのかもしれません。映画と違って...
by つむじかぜ (2021-10-08 23:40) 

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