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『さかなのこ』 [上映中飲食禁止]

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毎日魚を見つめ、その絵を描き、食べ続けても飽きないほど魚が大好きな小学生の“ミー坊”。わが子が少々変わっていることを父親が心配する一方で、母親は彼を温かく見守り応援している。高校生になっても相変わらず魚に夢中なミー坊は、町の不良とも仲が良く、いつの間にか周囲の人々の中心にいるのだった。やがて、一人暮らしを始めたミー坊(のん)はさまざまな出会いを経験し、自分だけが進むことのできるただ一つの道を突き進んでいく。(シネマトゥデイより)

「さかなクン」の自叙伝を原作とした心温まるコメディの良作である。

ほぼ30年前に、『TVチャンピオン魚通選手権』に登場した高校生の彼をリアルタイムで視聴していた小生としては隔世の感ありの作品なのだが、本作はユニークな彼の半生を単純に映像化したものではない。特定の分野に秀でた能力を持ちながらも一般社会には適応しづらい人間・・・いわゆる”変わり者”の子供の成長を沖田修一監督が人間愛に溢れた優しい視線で描いた。

主役に敢えて女性の「のん」を抜擢した時点で、物語は「実話・さかなクン」ではなく「天才変態少女」のフィクションと化し、同時にこの映画の成功を導いたのである。「あまちゃん」の大ヒットにより時代の寵児となった能年玲奈だったが、その天才肌の言動が周辺から理解を得るには時間を要したようだ。「のん」と改名し復帰してからの活躍は、女優業を超越して稀代のクリエイターの天賦の才の発露だ。まさに「変人」が「変人」を演じるからこそ、物語の説得力に厚みが増した。

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幼少期から海の生物に異常なほどの興味を示していた”みー坊”。学校の成績は音楽と美術以外は惨憺たるものだが本人は全く意に返さない。周囲の心配をよそに我が道を行く彼女は、高校生になり更にその変質度に磨きがかかる。魚の知識は膨大となり、彼女の描く魚のイラストは皆を唸らせる。不良グループに絡まれても全く動じない彼女は、逆に彼らに魚の魅力を諭し手なづけてしまう。(高校生役に扮した柳楽優弥や磯村優斗、岡山天音は笑えるが[わーい(嬉しい顔)]

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高校卒業後、魚に関連した仕事に就くがどれも長続きしない。そう彼女には社会適応能力が欠けていた。そんな時、小学校時代の親友モモコが男に棄てられ一文無しで娘を連れて彼女のアパートに転がり込んでくる。みー坊は、馴染みのフィッシュ・ショップに何とか雇ってもらい、不思議な3人の生活を維持しようとするが心許ない。飼っていた魚を売って糊口を凌ぐが、それを察したモモコは娘の描いた魚の絵を残して去って行く。自暴自棄の彼女は泥酔し、街中で眠り込み、無意識に商店のシャッターに落書きをしてしまう。だが、それが大きな波紋を呼び起こす...

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カメラアイと装飾美術が秀逸だ。特に水中で泳ぐ魚達のリアルな撮影とCG加工の使い分けが非常に自然であり、セットやイラストのデザイン・配色は「さかなクン」本人の世界観を想像させるに十分な出来栄えだ。そして、天然ボケの演技を演技と思わせない「のん」の凄さに今回も脱帽だ。それに触発された共演陣も、ウイットに富んだ演出と共に極上の「絡み」を見せてくれる。「あまちゃん」オマージュや本物さかなクン出演も楽しい。
「さかなクン」の立身出世物語の体裁の中で、実は『子供の個性より社会適応力』を尊重する世間の風潮に疑問を投げかけた社会派ドラマでもある。そして何よりも「子供の頃から好きな事をやり続ける」素晴らしさを訴えた。そんな努力を続ける天才が日の目を見るには、家族の理解とそれを受け入れる大らかな環境が必要な事も。学校の親子面談でミー坊の母親役である井川遥が先生に対し放つ言葉「成績の良い子が居て、悪い子が居て、それで良いじゃないですか[ひらめき]」が、全てを物語る。母は偉大なり[ぴかぴか(新しい)]

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吉原の歴史を紐解く②〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]

昭和21年、GHQは民主化政策の一環として公娼制度を廃止する。焼け野原の吉原遊郭跡地では、風俗営業許可を取り飲食店の名目で営業する私娼宿が増える。娼妓は女給と名を変え、それらの店舗は『カフェー』と呼ばれた。そして昭和33年の売春防止法施行以後、多くのカフェーはアパートやバーに転用されていく...

ソープランドが立ち並ぶ華やかな通りを避けて一本裏通りに入ると、戦後の咽せ返るような雑踏の残り香が僅かに感じられる。古い木造建築の家屋と共にカフェーに会えるのだ。カフェー建築の外観の特色は、鮮やかなタイル張りの壁や曲線を多用した柱・庇だ。客同士がかち合わぬよう出入口が複数設置されているのも多い。一般の飲食店と一目で区別できるように敢えて派手な装飾が施され、60年以上経過した今でも垢抜けた雰囲気で何となく感じ取れる建物もあれば、改修されて判別不能なものも在る。ほとんどのカフェー建築物は老朽化により取り壊されており、現存するものの寿命も長くないと思われる。ソープランドの送迎で高級車が行き交う中、風俗街の裏通りを全く別の目的でカメラ爺いは徘徊する...

取り壊し間近の廃墟[exclamation&question]
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素敵なアール形状
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バリバリ現役の個人宅
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児童館として再利用されている
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何年前の羽子板だろう?
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アパートに転用したが空き家が多いような...
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2階にあった窓を潰したような?
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今回の探索で一番琴線に触れた建物
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現居住者の方が世話する鉢植えに心が和む

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隣の家屋が取り壊され旧入口の鮮やかな壁画が露わに
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著名な建築家や名工が手がけた建築物ではない為、芸術的価値も無く保存の必要性が議論されることも無い建物たち。血と汗と色と欲そして涙に塗れた香りを残す赤線跡は、決して忘れてはならない貧しくも逞しく生きた戦後日本人の足跡でもある。

赤線廃止以後、カフェーが消えた同地は特殊浴場という形態で風俗営業が継続されて行く。行政の本音と建前の最たる現象だ。トルコ風呂からソープランドと名称を変えた特殊浴場は、風営法や条例の規制により新規出店・新築が出来ないとされている。あと50年も経過すれば、これらの浴場も廃墟となり、平成・令和時代の遺跡になっていくのだろうか。お風呂違いだが、祖父が銭湯を営んでいた私は漠然とそんな事を考たりするのである。

最後に少し離れた南千住に在る「浄閑寺」に寄ってみる。安政の大地震(1855年)で多くの吉原の遊女が亡くなった折に、この寺に投げ込んで葬ったと伝えられ、別名『投げ込み寺』と呼ばれた。夕刻過ぎで残念ながら閉門していたが、山門脇のお地蔵さまにそっと手を合わせて来た。

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『LOVE LIFE』 [上映中飲食禁止]

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元夫との間に生まれた息子・敬太(嶋田鉄太)と、再婚相手の大沢二郎(永山絢斗)と共に幸せに暮らす妙子(木村文乃)。平凡だが穏やかな日々を過ごしていたある日、一家は思いも寄らぬ悲劇に見舞われる。突然の出来事にぼうぜんとする妙子、彼女を見守ることしかできない二郎の前に、妙子の元夫で何年も失踪していたパク・シンジ(砂田アトム)が現れる。(シネマトゥデイより)

衝撃のホームドラマだ。
そして柔らかい愛に包まれた近年では突出した邦画の傑作である[ぴかぴか(新しい)]
狂おしいほど優しい人間愛を描いた『淵に立つ(2016年)』の深田晃司監督が更に人間に切り込む。邦画らしいきめ細やかな描写によって人間の本質を炙り出しつつ、その視線は冷徹に見せるが、実は愛おしさに溢れている。

ホームレス支援のNPOで働く大沢妙子は、再婚した夫・二郎と息子・敬太と共に郊外の団地に住んでいる。向かいの棟には夫の両親が住み、お互いがベランダに出れば会話できる近さだ。連れ子を持つ女性との結婚を未だに快く思わない義父・誠(田口トモロヲ)の誕生日祝いと敬太の子供オセロ大会優勝祝勝会を兼ねて、二郎の同僚達も招いてささやかな宴が自宅で催されていた。序盤で、主要人物の人間関係と人柄をさりげなく描き切る。嫁を『中古品』呼ばわりする夫を嗜める義母・明恵(神野三鈴)は気遣いの姑だが、「二郎との赤ちゃんも早く見せてね」と妙子に囁く。継父となる役所勤めの二郎は敬太をこよなく愛しているが、宴会前に逃げ出した元カノの同僚・山崎理佐(山崎紘菜)への想いも捨て切れていない。そして妙子は、ホームレス達からの信頼も厚いNPOのリーダー的存在で、ソフトな容姿とは違い包容力に溢れ、行動力ある女性だ。

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宴もたけなわの頃、敬太が誤って浴室内で頭を打ちバスタブに落ちて溺死してしまう惨事となる。突如、新婚夫婦に襲う悲劇。そして沈痛な雰囲気に覆われた敬太の葬儀に薄汚れた格好の男がふらりと現れる。無言のまま喪主の列に進んだ彼は、妙子の頬を平手打ちし、そのまま立ち去る。泣き崩れる妙子の嗚咽の声が斎場内に響き渡る。その男は4年前に失踪した彼女の前夫であり、敬太の実父・パクだったのだ...そして韓国籍の聾者である彼はホームレス生活者でもあった。
悲劇の後、妙子の過去があからさまになり、表面上の家族関係に変化は無いものの、皆の心情までもが露わになって来る。この過程が非情なほど冷静な視線から描かれている。亡くなる直前に敬太がプレイしたゲーム途中のオセロ盤を石の配置そのままに遺骨と共に保管する母の心情。息子の亡くなったバスに入れなくなった嫁に、自分の部屋の風呂を提供する義父の本質的な優しさ。無意な日々を過ごす二郎と妙子は労わり合いつつも、お互いの本心を吐露し合えない。二郎は両親の引越手伝いを建前に、元恋人に会いに行く。妙子はパクを探し出し、両親の残した部屋に招き入れ、本来の自分を取り戻して行く。

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それでも夫婦の関係は崩れない。母国の父が危篤だというパクに旅費を渡し、釜山行きのフェリー乗り場まで彼を送る夫婦に、流石に小生の苛立ちが募るのも束の間、「彼を守れるのは私だけ」と言い、二郎を振り切って妙子は船に乗ってしまう...なんとか釜山郊外に辿り着いた二人だが、今度はパクの嘘が露呈する。振り回され続けた妙子が最後にとった行動とは、如何に[exclamation&question]

人間が持つ複雑かつ不安定な本質。誰からも好かれるような善人がふと見せるドス黒い悪意や冷徹非常な悪党が心の奥底に持つ熱い愛情など、刑事ドラマなどの題材によくなるモチーフだが、実際私たちの一般生活の中でも触れる機会が多い。「まさか、あの人にこんな一面があったんだ!」だ。そして多くの人は、自分の信じ込むアイデンティティとは異質な一面を他人には見せたくないものだ。そんな自分の全てを曝け出せる相手こそが「大事な人」なのだろう。
物語では、それは、妙子にとっては前夫のパクであり、二郎には元恋人の理紗だった。だが、この二人は元の鞘に戻る選択をせず、夫婦関係を継続させる。「居心地の良いだけの関係」ではなく、お互いが「もっと大事な人」になる努力をしようと誓う。妙子が優しく「これからは私の目を見て話してくださいね。」と二郎に放った言葉は強烈だった。団地のベランダに吊るした鳩除けのCDが反射して、陽光が部屋に佇む二人を優しく照らす。

いろいろな愛の形を示し、矢野顕子「LOVE LIFE」の歌声をバックに、人生の素晴らしさを静かに綴った作品だ。観る者によって受ける印象は様々だろう。小生は、違う人間同士の営みは難しいからこそ愛も深くなっていくのかもと感じさせた。そうなれば時間も距離も二人には大した問題ではない。
幸薄いお嬢様系女優だった木村文乃は、近年になってアクション・コメディ分野でも幅広く活躍しているが、今作でついに覚醒した感あり[exclamation×2]韓国語も手話もマスターし、難しい役どころを緻密かつ大胆に演じた。本作のもう一つの見せ所である。





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吉原の歴史を紐解く①〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]

赤線時代の名残を探しに浅草・吉原に潜入なのだ。

少々緊張する。

以前紹介した「鳩の街」と違い、此処吉原は赤線廃止後も国内唯一の風俗街として今も妖しげな光を放ち続けているのだ。徘徊カメラ爺いが客引きの兄ちゃんに絡まれたら面倒臭いなと思いつつ、真っ昼間の「原色の街」を散策する。

江戸幕府公認の遊廓街は現在の人形町地区で1617年に始まり「吉原」と呼ばれた。私の勤務先でもある人形町が、以前は「芳町」と呼ばれた花街だったのは、その名残のようである。1658年、幕府は吉原移転を実施する。浅草寺裏の広大な田圃を埋め立て三町四方の新遊廓街が完成したのだ。現在の台東区千束に位置した「新吉原」は、歴史ドラマや歌舞伎・落語の題材でも扱われる通り、江戸唯一の遊廓として永らく栄華を極めて行く事になる。

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吉原大門交差点のガソリンスタンドの脇に『見返り柳』がひっそりと佇む。この土手通りは車で通る事も多いが、今まで全く気づかなかった。遊廓帰りの客誰しもが、後ろ髪をひかれ思わず振り返ってしまったという逸話が残る。吉原の出入口は、この大門の一ヶ所しか存在せず、遊廓全体は四方を『お歯黒ドブ』と呼ばれる堀が巡らされていた。遊女の逃亡防止が目的だったと云われている。当然、現在は埋め立てられているが、僅かに堀の痕跡らしき物が見られる。

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遊廓側の敷地が平地より高めに埋め立てられているのが分かる。遊女達の使用したお歯黒の汁を捨てていた事から、この名称になった。
浅草地区は関東大震災と東京大空襲により、街のほぼ全てが灰燼に帰した。吉原でも、往時を彷彿させる戦前の建物は存在しない。
 
大正時代の吉原大門
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女房が嵌っている「鬼滅の刃」の「遊廓編」は吉原が舞台だ。このアニメは時代考証も割としっかりしており、震災前の華やかな吉原を再現している。(大門の天女像も素敵だ)

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明治期に吉原一格式の高いと言われた大見世「角海老楼」〜聳え立つ時計台は吉原のシンボル的存在だったらしい。この時計台は明治44年の吉原大火で消失した。

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特殊浴場の形態で現存している「角海老本店」。宝石業メインの角海老グループが経営しており、当時の大見世との関連は無いらしいが、堂々たる店構えだ。屋号だけでも往時を忍ばせる店舗は此処しか存在しないようだ。

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吉原には廓の守護神として5つの稲荷社が存在したと云う。明治14年に、その5つの社を合祀して「吉原神社」と名付けられた。昭和9年に現在地に移築・造営され、境内には吉原入口に在った「逢初桜(あいぞめざくら)」が植樹されている。遊客の出逢いを叶える桜の謂れで、昔の江戸っ子は遊び方ひとつにも洒落心が有ると感じる。

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此処から1分歩くと吉原神社の奥院である「吉原弁財天元宮」に着く。幾度も大火に見舞われた吉原だが、関東大震災では多くの犠牲者を出す事になる。地震により出火した遊廓街は一瞬のうちに火の海と化し、一ヶ所しかない出口の大門が人だかりとなった。逃げ惑う遊女達は廓北側の弁天池に飛び込むも、500人近くが溺死した。後に池は埋め立てられ、犠牲者の供養の為に此の地に観音像が建立されたのが謂れだ。

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此方の境内には吉原の歴史を記した資料が掲示されている。もちろん震災時の悲劇も詳細に。そして多くの妓楼が消失した大惨事を乗り越え、その後も戦時中に至るまで吉原は繁栄を続けていく。だが昭和20年3月11日の東京大空襲にて吉原は灰燼に帰し、敗戦と共に政府公認の公娼制度は廃止され、遊廓としての使命も終わる事となるのだったが...
 
静かに観音像に手を合わせる。
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戦後、焼け野原となった同地に飲食店やカフェの看板で風俗営業許可を取り、以前と同様の売春を糧とする店が乱立して行く事となる。こうして非公認ながらも行政が黙認する地域を、いつしか『赤線地帯』と呼ぶのであった。

次回は、今も僅かに残る赤線時代の遺構のレポートを。

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イマカツ【トンカツ・東銀座】 [江戸グルメ応援歌]

年に一度の人間ドックに行ってきた。

男の厄年(42歳)から、春の健康診断と共に秋に人間ドックを受ける事にしている。再度の厄年(60歳)を迎えても大病せずにいられたのは、その為とは言わない。ただ、歳の割には不摂生の極みの食生活を続けられるのは、学生時代の試験結果の如く受診後に届く診断結果のおかげなのだ。50歳からは念入りに、胃の検査をバリウムから内視鏡に変え、また愛煙家継続に向け肺CTスキャンをオプションで付けている。要するに、健康の為というより不摂生を続ける免罪符を戴く儀式みたいなものかもしれない。いつも女房に叱られるが...[ちっ(怒った顔)]

毎回、胃カメラが唯一の難関だった。喉を通るスコープを身体が拒絶して、えずきっ放しなのだ。自分の娘のような看護師に『ヨチヨチ、頑張ってくださ〜い』と背中をさすられ、涙・涎まみれのオッチャンのプライドは地に堕ちるのであった。だが、3年前から鎮静剤使用を決断してから難関が快感に変わった。当初は、強制的に眠らされて、そのまま目を覚さなかったらなどと不安がよぎったが、寝ている間に全てが終わるという簡略さを知ったら、もう後戻りできない。本日も、麻酔医が点滴の針を腕に射した3秒後に意識が飛び、軽く肩を叩かられて目を覚ましたら終了だ。「良くお眠りでしたよ」と看護師がにこやかに話ししたので、「大きいイビキ、かいてました?」と聞くと微笑みで返してくれた[あせあせ(飛び散る汗)]

全ての検査が終了し、街に出る。歌舞伎座タワー内の病院なので、東銀座の交差点界隈で昼食だ。検査のため朝食抜きだったので腹ペコだ。検査完了のご褒美に高カロリーの肉系がいい、そして食事場所はもう決めている。


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『イマカツ』銀座店・・・六本木に本店を置くトンカツ専門店だ。昨年の人間ドック終了後に偶然に飛び込んだ店だ。その時、トンカツメインであるのだが、この店のこだわりの一品である「ささみかつ」を食し軽い衝撃を受けたのだった。昨年は「ささみかつ膳」だったが、今回は「イマカツ膳」という盛り合わせランチを注文だ[exclamation×2]

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盛り合わせの内容は「ささみ2本、一口ヒレ、メンチ、カニクリーム、ナス」の6品にキャベツ・ライス(五穀米も可)・味噌汁だ。まずは、ささみかつを塩で頂く...蘇る感動[わーい(嬉しい顔)] 尋常ならざる鶏肉の柔らかみと極限まで薄く軽く揚げた衣が渾然一体となって口の中でとろけていく。フライ好きの小生は、串揚げ屋にも結構通うが、このレベルまで素材を活かして揚げる店は無かった。本来は旨味が薄いと言われるささみ肉の優しい味わいが存分に前面に押し出されて来るのだ。厳選された食材と独特の調理法の賜物と思われる。初めて食すヒレ肉とメンチも同様に絶品であった。
元々は、豚ロースの溢れ出る肉汁と粗いパン粉のザクザク感を濃厚ソースでガッツリ頂くのが私の本流なのだが、この店の一品は、そんな小生にカツの全く別の魅力を教えてくれた。そして加齢と共に、ますますこちらのお品に嵌るであろう事を予感させるのであった。

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とにかく、いつまでも美味しく肉を頬張れる健康は維持したいものだ。今回の人間ドックの通信簿はどうだろうか?来年の検査後もこの店でのランチを楽しみたいな。とりあえず腹囲ジャスト1メートルは昨年と全く同じであった...[ふらふら]




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