早稲田に行く① [寫眞歳時記]
早稲田大学『稲門祭』に行ってみた。
残念ながら小生はW大OBでは無い。通うチャンスは高校・大学受験ともに一応あったのだが学力及ばずご縁が無かった学校である。今春、カミさんと展覧会の鑑賞に訪れたのが、「記念受験」以来実に44年ぶりの登校だった当日は展覧会場以外の校舎に入れなかったので、今回はじっくりとキャンパス内を回るつもりだ。目的は学園祭を楽しみに来た訳ではなく、早稲田の歴史的建造物の見学なのである。
大隈記念講堂の内部に入るのも初めてだ。本日は終日コンサートが開催されており入場自由、もちろん無料。講堂内の意匠を眺めていたら、偶然にも中学時代の同級生に出会う。早稲田高等学院に奇跡的に入学した悪友で、確かに土壇場に勝負強い奴だった。無論、W大OBであり、今イベントの運営幹部の一人に収まっていた。お互いの近況を立ち話して別れる。昔の友人とは何年も会っていなくてもすぐ少年時代に戻れるものだ。
1927年竣工の早大の象徴とも云うべき様式建築の講堂は、材料一つ一つの重量感、内部の細かな意匠そしてホールの空間表現に至るまで、当時の建学への迸る精神を感じる迫力に溢れたものだった。
會津八一記念博物館に移動する。2号館として1925年に竣工されて、長らく大学図書館の役割を担った建物だ。會津氏とは早稲田卒業の美術史研究家であり、1926年に同大の文学部講師となった人物である。70年の時を経て、彼のコレクションを始め多くの校友から寄贈された美術品を管理・公開する博物館に衣替えした。
キャンパス内はテント露店が立ち並び来場者でごった返している。このうちW大関係者がどれほど占めているかは定かではないが、小生のような年配者はほぼOBと見て良いだろう。2号館を出るといきなりサンバ隊に襲われ、爺さんはドギマギしたりするのだが...どちらにしても恐るべしW大パワー。先の甲子園高校野球決勝戦で突如湧き出た慶應OBの応援が話題になったが、我が国の早慶伝説は未だ不滅のようである。
気を取り直して、カメラ爺いはイベントにも露店にも目をくれずに歩を進める。と、突然、異彩を放つユニークなオブジェに囲まれた建築物に遭遇する。
「村上春樹ライブラリー」と称された国際文学館である。4号館を隈研吾がリノベーションし、2021年に開館した。早大OBである村上春樹の全作品外国版含めた3000冊を収納・展示している。外観以上に内部の各部屋が示唆に富んでいる。作品をそのまま手に取れる読書ルーム、彼の音楽性をモチーフにしたJAZZ喫茶ルーム、今流行りの「聴く文学」室など、隈研吾がかつての堅苦しい文学資料館のイメージを払拭させ、村上ワールドを世代を超えて体感できるよう解き放った。隈氏は東大卒らしいが...とにかく彼らしい木の温もりを感じる美しいデザインだ。
国際文学館の斜には好対照なレトロ風の洋館が建っている。「坪内博士記念演劇博物館」は小説家であり早大教授も勤めていた坪内逍遥の功労を記念して1928年に創られた演劇専門の博物館で、学内では「エンパク」と呼ばれているそうだ。設計は會津八一記念館と同じ今井兼次で、16世紀のロンドンの劇場「フォーチューン座」を模して建てられたと云う。(此処だけは内部の撮影禁止であった。)他に類を見ない日本演劇界の歴史を網羅した展示は貴重である。
政治経済学部校舎の旧3号館前では、学内クラブのパフォーマンスが次々と繰り広げられていた。外の喧騒をよそに裏口から校舎に入ると少々驚かせられる。1933年に竣工した3号館の南側を残し、そこに覆いかぶさるように北側に地上14階のビルが建てられている。当然、新旧のビルは内部で連結されている。上野の「国際子ども図書館(安藤忠雄)」などに通じる、旧財産を保全しつつ最新設備のビルに立て替える工法であり、今更ながら最近の建築技術の凄さに圧倒されてしまった。