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初夏を疾る [寫眞歳時記]

GW前半の中日はカミさんに仕事が入り、野に放たれた爺いは愛車を操って独り白金方面へ疾走する。日中には三十度近い気温になった東京では、ビルの谷間の木々が新緑に眩く光り、夏の訪れを喜んでいた。

豪華なソロランチを目論んで白金台「八芳園」に向かう。元々は江戸時代の旗本・大久保彦左衛門の屋敷と伝わるが、現代では広大な日本庭園を持つ結婚式場の草分け的存在だ。当然、園内のレストラン・料亭は一流どころばかりで、一昨年には岸田・バイデンの夕食会にも利用された。

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全てのレストランは満席で予約無しでは無理とのことなので、日本庭園の散策のみに切り替えて次の場所に移動する。車は八芳園様に置かせて頂いて徒歩で大通りを渡る。とにかく下町と違いこの辺りは駐車料金も高過ぎるのだ。

『港区立郷土歴史館』と聞けば、どの町にもある面白みに欠ける行政施設を想像するが、此処は少々毛色が違う。1938年に竣工した国立公衆衛生院を港区が買取り、2018年に複合施設として復活再生させたのだ。

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常設展・企画展が常時催されているが、館内見学のみならば無料だ。ロックフェラー財団から日本政府に寄贈されたという建物はゴシック調の豪華な造りで、後世に残すべき部分は残しながら耐震補強とバリアフリー化を成した港区の努力に感謝である。1Fには洒落たデリカエッセンがあり、昼食は此処で摂ってから館内を探索した。当初の目論見より遥かにリーズナブルかつ納得のランチだった。

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日本中の市町村が地元の威信を懸けて税金を注ぎ込み閑古鳥が無く施設を作るが、港区のこのようなプロジェクトに触れると溜飲が下がる。
八芳園に隣接して明治学院大学があり、校内の古い施設を見学の予定だったが、関係者以外入場禁止とのことで諦めて車移動となる。

3分ほど走ると、「新・美の巨人」で以前に紹介されて気になっていた建物に出会えた。

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高輪消防署二本榎出張所だ。1933年に高輪消防署として落成し、解体の危機を乗り越えて今もなお現役バリバリの建物だ。設計者は全くの無名で当時の警視庁の一官僚というのも驚きだ。周りに高いビルが無かった戦前には高輪の街を見張る火の見櫓のように見えた事だろう。

三田方面に車を走らせ、今度は巨匠の手による作品に会いに行く。

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丹下健三の設計により1970年に竣工したクウェート大使館だ。真ん中が空間になっている斬新な構造で一度見たら目に焼き付く。代々木体育館や東京都庁もそうだが「世界のタンゲ」の作品には、単に奇を衒った軽さが微塵もなく、「圧倒的な存在感」があるのみだ。6年前に老朽化により解体が発表されたが、予算の問題で未だに着工されていない。「このままでいいぞぉ」などと思いじっくり眺めていたら、若い警官が現れて職務質問されてしまう。テロ対策の関係で身分証明を見せろと言う。良い気分を害された爺いは免許証を渡しながら、「お前、この建物を作った人を知らんのか!」「上の命令でしようがないが、自分で考えて行動することも覚えろよ!」などと訳のわからん説教親父に変貌するのであった...

駐車場に戻り、ふと思い出す。すぐそばに芝桜が有名な三田ツインビルが在った事を。2年前に訪れた時は3分咲きで堪能できなかったのだ。

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嗚呼、満開[わーい(嬉しい顔)]
災い転じて福となす〜終わりよければすべてよし

帰宅した女房に、若い警官に説教した話を自慢する。
「アンタ、逆ギレ爺さんの典型よ。公務執行妨害で捕まったらどうすんの[どんっ(衝撃)]
逆に説教されましたとさ...[あせあせ(飛び散る汗)]
GW後半は久しぶりにカミさんと旅行に行く予定だ。楽しみなような怖いような...










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消えゆくビルヂングに想う [寫眞歳時記]

日比谷から大手町に抜ける「丸の内仲通り」は、日中は常に歩行者に解放され、休日にもなればショッピングや食事を楽しむ多くの人々で賑わう。街路樹は新緑への衣替えを始め、等間隔に吊るされた鉢植えが行き交う者の目を楽しませてくれる。

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通りに面して高層の商業ビルがびっしりと立ち並んでいるのだが、有楽町側の一角で現在大きな再開発計画が進んでいる。久しぶりに歩くと、馴染み深い2棟のビルの入口が閉鎖され入館不可の状態になっていた。以前に撮り溜めた写真を織り交ぜて往時の姿を懐かしんでみる。

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有楽町ビル(1966年竣工)と新有楽町ビル(1969年竣工)である。ビルディングではなくビルヂングという言葉が嬉しい。ほぼ同世代のビルは道路を挟んで兄弟のように建っており、兄貴は洒落たワインレッドの壁が自慢の伊達者で、青いタイル張りの弟は無骨なナイスガイか。学生時代から有楽町ビルの2Fに在ったスバル座に映画鑑賞に通っていた為に、この界隈は馴染み深いのだが、5年前に映画館が閉館してからは自然と足が遠のいていた。ただ、この兄弟ビルヂングの内部の昭和ニッポンを彷彿させる意匠の素晴らしさは今も脳裏に焼き付いているのだ。味わい深いタイルの美しさと階段手すりの曲線が印象的だった。

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新有楽町ビルの向かいには同い年の「国際ビル(1966年竣工)」が建つ。帝国劇場の帝劇ビルと合築であり、実際は一つの建物だ。帝劇を含めたこのビルも来年の取り壊しが決定している。小生は帝国劇場よりも9階の出光美術館へ足を運ぶ機会が多く、国際ビル側のエントランスのデザインが好きだ。

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最後は「新東京ビル(1965年竣工)」だ。エントランスホールのモザイク画が圧倒的だ。以前紹介した東京交通会館と同じ矢橋六郎の手によるものだ。今の所、此処だけは取り壊しの予定は無いようだが時間の問題だろう。

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以前にも述べたが、近代建築というジャンルは保存性において他の多くの芸術品の中で圧倒的に分が悪い。絵画や工芸品はほぼ永久に残るし、法隆寺のように千年前の木造建築なら国が威信を賭けて守ってくれる。ビジネス目的や公共施設として造られる建築物は純粋な美術品とは違い期限付きの運命なのだ。だからこそ同じ時代を生き抜いた建物に愛おしさを感じてしまうのかもしれない。古いビルを無理して保存せよとは言わない。歴史は繋がり繰り返す。
丸の内一帯の地権者でもある三菱地所が行う今回の再開発で新しい風景と出会えるはずだ。そして100年後には「令和の思い出」として惜しまれながらまた消えて生まれ変わるのであろう。



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