SSブログ

匝瑳の古木 [寫眞歳時記]


先の週末は久しぶりに好天に恵まれ、関東近県は花見のラストチャンス[パンチ]今回は目的地をお隣の千葉県にした。成田空港の先の匝瑳(そうさ)市に地元で有名な古木があるらしい。レトロ建築好きが高じて、最近は巨樹古木にも興味が出てきた爺いは東関道を突っ走る。

流石に古木では車のナビで検索しても見つからないので、スマホでググりながら交互通行が困難な一本道を彷徨いていると、地元風の手書きの看板が目に入りなんとか辿り着く。先客と思しき車があり、駐車スペースもなく逡巡していると、「足が悪くて此処に停めてごめんなさい。もう少し先に駐車場がありますよ」と車中のおばさまが声をかけてくれた。親切な方でなんだか気分が和む。

黄門桜・・・水戸光圀が当地の飯高寺を訪れた際に植えたと伝わる。樹齢300年のヤマザクラで、全高は7mほどだが黒い塊のような幹から枝が四方に向かって伸び華麗な花を咲かせている。ソメイヨシノは落花の後に葉が芽吹いてくるが、山桜系は花と葉が同時に付く。純白の花弁と渋柿色の葉に菜の花の黄色が被り、味わい深いコントラストを生む。樹勢はまだまだ盛なようで、周りの畑から肥料の養分を吸収しているおかげかもしれない。ずんぐりむっくりの幹が非常に印象的で、樹木の強い生命力を感じざるを得ない。

20171029-DSC00187-1.jpg

20171029-DSC00182-1.jpg

20171029-DSC00137-1.jpg

20171029-DSC00183-1.jpg

20171029-DSC00176-1.jpg

水戸黄門が訪れたと云う飯高寺が此処から近いようなので向かってみる。杉林に囲まれた坂道を上ってくと忽然と本堂と思しき大きな建築物に出会う。お参りを済ませると、階段に座っていた初老の男性に「どちらからですか?」と声を掛けられる。「東京の浅草の方からです」と答えると「遠い所からありがとうございます。お時間あれば此処の説明をさせて下さい。」実直そうなボランティアの方だった。広い境内で二人きり、この寺の由緒を暫く聞いた。

飯高寺(飯高檀林跡)・・・安土桃山時代に開かれた僧侶の学問所(檀林)が発祥と云う。日蓮宗の最高学府の位置付けで、当地に在った大小80の檀林の中心であり、今で言えば大学院だと彼は説明してくれた。卒業するには36年間が必要だったといわれ、仏教界で学問を極める事の厳しさを物語る。明治5年の学制発布により廃壇となるが、この体制と精神を引き継いだのが現在の立正大学だ。多くの施設はそのまま残され、貴重な文化財は現在の飯高寺に引き継がれて現在に至るそうだ。

20171029-DSC00223-1.jpg

20171029-DSC00225-1.jpg

20171029-DSC00241-1.jpg

もう一つの目的地を目指す。国内で五本の指に数えられる椎(しい)の巨樹だ。ナビ通りに到着したのは、どう見ても個人宅の裏庭だった。手書きで「無料駐車場」と書かれた板が掲げられていたので、2,3台分のスペースにとりあえず車を止める。今度は物置小屋の脇に「大シイはこちら」の立て看板を見つけ、個人の敷地内でも見学は自由なのだと確信して、それに従って歩いて行くと...
安久山(あぐやま)のスダジイ・・・樹齢1000年。幹回りは10m、近すぎて全景は確認出来ないが、樹高は25mになると云う。地表1mまで太い根がせり上がって、一部は平板状に変形している。こんな造形は人間では考えつかない、自然の為せる奇跡か。圧倒的な迫力に神々しさまで感じる。

20171029-DSC00256-1.jpg
 
20171029-DSC00273-1.jpg

20171029-DSC00270-1.jpg

維持管理協力金を求める木製の小さなポストに、200円のところを奮発して500円入れて帰り支度をしていると、小屋の裏から現れた男性にまたもや声を掛けられる。「どちらからですか?」いつもの如く答えると「明治に建てられた母家の中もご覧になりませんか。ご案内しますので」と言われる。私と同年代のこの敷地のオーナーであった。ご縁を大事にする性分なのでお言葉に甘え、お邪魔させて頂いた。

20171029-DSC00319-1.jpg

20171029-DSC00299-1.jpg

20171029-DSC00294-1.jpg

20171029-DSC00297-1.jpg

オーナーの平山さんは代々この地で暮らし僧侶を輩出する家系に生まれたそうだ。ご先祖には飯高檀林の本山である身延山久遠寺を立て直した高僧もいたとの事だ。この明治19年に建てられた家は、外装は茅葺き屋根を瓦屋根に変えるなどしているが内部は当時のままを維持している。随所に宮大工の匠の技が残っており、この家屋の保存に向けて「飯高まるごと体験博物館」として法人化したそうだ。欄間の精密な細工や洒落た磨りガラスなどは到底、現在では製作不可能だろう。古民家はレンタルスペースとして解放しており、昨年公開された映画「母性」ではロケ地に抜擢されたと、映画のチラシを渡してくれた。(残念ながら未見だが)しかし、普段はコスプレの撮影会がたまにある程度で経営は厳しい様だ。「市の文化財に申請すべきでは」と私が話すと「理解のある役人が居ても代わったらダメになるんでね」と過去に嫌な思いをされたのかも知れない。「息子夫婦も流山市に出たきり此処には興味が無いようでね。」次世代に家を継がせるという事は至難の時代なのである。同年代の親父の悩みをなんとなくお互いに共有し、この古民家を後にした。スダジイの大樹と古民家を一帯の美しい里山の風景と共に後世にまで残したいと願う平山さんにエールを送る[ぴかぴか(新しい)]

不思議とこの日は地元の人によく話しかけられた。小生が無警戒な風態なのか、この地の方々が総じて気さくなのかは定かでは無いが、気分が極めてよろしい。偶然出会った人との他愛のない会話にも一期一会を感じる年頃になったと云うことなのだろう。

20171029-DSC00303-1.jpg

20171029-DSC00311-1.jpg






 
 

nice!(32)  コメント(4)