「土門拳の古寺巡礼」 [上映中飲食禁止]
恵比寿の東京都写真美術館で「土門拳」を観る。
学生時代に私が初めて心震わされた写真集が土門拳の「筑豊の子供たち」だった。それからは図書館に通って彼の作品を網羅した。土門拳は戦前から徹底してリアリズムを追求した報道写真家として活躍し、晩年に脳出血で車椅子生活になるも撮影を続けた昭和写真界の巨匠である。本展は、彼がライフワークとした「古寺巡礼シリーズ」に焦点を当てた企画展である。
彼に触発された学生時代の小生は、バイト代が貯まればペンタックスの一眼レフにトライXを詰めて、日本中の寺社への撮影旅行を繰り返したものだった。今の歳まで続く懲りない趣味の原点が、「土門拳の古寺巡礼」なのである。
「絶対非演出の絶対スナップ」を旨とした土門は、通常の撮影ではライカやニコンSP の35㎜カメラを使用したが、古寺の建築物や仏像には大型カメラで対峙した。半身不随になっても、助手に細かく指示し構図を決め、自らがシャッターを切ったと云う。極力絞り込み長時間露光で撮影した仏像には、一千年前に祈りを唱えた古の人々の息吹までも写し込まれているようだ。ほとんどが何度も眺めた既知の写真達が、書籍からでは到底味わえない大きさに引き伸ばされ、新たな感動を呼び起こしてくれる。
知らぬ間にデジタル慣れし、スマホやPC画面の中の写真しか見なくなったが、フィルムから大伸ばしされた写真に胸を熱く出来るのも昭和爺いの特権かも知れない。
当日は土門拳展の他に、2F「深瀬昌久」3F「TOPコレクション セレンディピティ」の展示会が催されていたので、早足に廻ってみた。
深瀬昌久が妻を日々写した連作や老境の自分を浴槽で撮ったセルフ・ポートレートに、芸術家の独りよがりな優しさと哀しみと狂気をみる。
著名な写真家の作品が並ぶセレンディピティ展で一番惹かれたのが齋藤陽道。障がい者プロレスラーの肩書も持つ聾の写真家だ。初見であったのだが、瑞々しい対称の捉え方と光の扱いが私の心の襞をざわつかせた。
当然、自分の感性によって作品の好き嫌いは出るものだが、今回の写真展は総じて素晴らしかった。写真家の年代も、機材も表現方法もみな違うのだが、「嗚呼、写真表現とは無限なのだな」と改めて感じさせてくれた。東京都写真美術館は、木・金曜日が20時閉館なのでサラリーマンには非常に有難い施設だ。まして写真専門の大規模な美術館は都内でも此処だけである。最近はご無沙汰していたが、もう少し通わねばいかんな。