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『青いカフタンの仕立て屋』 [上映中飲食禁止]

普遍の愛のかたちとは...
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ほとんど馴染みの無いモロッコ映画が綴るひとつの愛の詩に胸揺さぶられ、絵に言われぬ余韻に暫く浸った。欧米文化に感化した東洋の島国に住む私達にとってイスラム文化圏は未知の世界だが、「人を愛する」定義は国境や宗教・文化の違いにも左右されず人類共通だと思いを強くした。

モロッコの海辺にあるサレの街。ハリム(サレ・バクリ)とミナ(ルブナ・アザバル)夫妻は、カフタンドレスの仕立て屋を営んでいる。伝統を守る仕事をしながらも、自身が伝統からかけ離れた存在だと苦悩するハリムを、病気で余命わずかのミナは支えてきたのだった。ある日、そんな二人の前に若い職人ユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)が現れ、青いカフタンドレス作りを通して3人は絆を深めていく。(シネマトゥデイより)

カフタンとは中央アジアのイスラム圏で着用される伝統衣装で、袖が長い直線裁ちの襟のない服であり、日本の着物と同じく母から娘へ代々引き継がれるという。
ハリムは昔ながらの手縫いに拘るカフタン作りの店を営んでいた。とはいえ超絶な技術を持ち合わせている訳ではなく、単に丁寧な仕事で時間のかかる店として地元では有名らしい。そんな頑固な亭主を妻のミナは献身的に支え、店の切り盛りをしている。結婚20年近くになり子供は無いが常に仲睦まじい夫婦は避けられない問題を抱えていた。ミナは不治の病に冒され、余命いくばくも無かったのだ。そして、ハリムにはずっと妻に隠し通していた秘密があった。そんな時、腕利きの若い職人ユーセフが見習いとして二人の店で働き始めた。

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物語は3人の感情の機微をきめ細やかに表現しながら進む。日毎に体力を落としながらも店番に立つミナを常に気遣いながら仕事に励むハリム。だが彼は生まれながらのゲイだった。ミナに妻としてとめどない愛を注ぎながらも、性愛の対象は同性にしか向けられない。モロッコでは同性愛はタブーである以上に刑事犯罪とみなされる。体面を保つため彼らの多くは異性と結婚するのが同国の隠された慣習らしい。ハリムは病弱の妻を想いながらも、最近メキメキと腕を上げ自分に忠実な美形のユーセフに惹かれていく自分に気づき始める。そんな気持ちを振り払うように、公衆浴場に出掛けてはゆきずりの相手を探し、個室でひとときの快楽に身を委ねていた。(昔、歌舞伎町の某サウナが同性愛者の溜まり場だったのを思い出す。知らないで入って怖かったぁ[あせあせ(飛び散る汗)]

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夫婦のベッドシーンに特異な空気が流れる。病弱ながら性欲に燃えるミナに必死に応えるハリムの哀しそうな瞳。男女逆の描写は数多の作品で見かけるが、今作では自分の背負った性へのやるせない男の思いを繊細に表現していた。二人で過ごせる時間が少ない事を知る夫婦は、「普段通りの生活」の何気ない時間を温め合う。市場に出掛け妻の好物のタンジェリンを山盛り買う、腕によりをかけて夫の好きな料理を作る、喫茶店でタバコを吸い合う、そして毎日、二人で店で働く。

舞台となるサレの街の情景を効果的に切り取り、見知らぬ国の人々の生活の匂いが咽せ返るように伝わって来る。二人が住む旧市街には大量の洗濯物がたなびき、イスラムの伝統音楽が鳴り響く。市場の雑踏、公衆浴場もスポーツバーも日本のそれとは全く異なる雰囲気を醸し出し、夜間外出者に執拗に行われる警察の職務質問では同国の政治状況まで垣間見せる。背景描写が見事であり、登場人物の生活感をリアルに引き上げている。

だがミナの病状は悪化を辿り、店に通えないほど衰弱して行く。仕事場で二人きりとなったハリムとユーセフはミナという監視役を失い、いつ一線を超えてもおかしく無い状況だ。そしてついに、ユーセフの方からハリムに思いの丈をぶつけてくるのだった...

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ハリムは自分の溢れ出る想いを押し留め、ユーセフを拒絶する。彼はその場で仕事を放棄し、店を去ってしまう。ハリムは有能な部下であり恋焦がれた人を失ったのだ。ハリムは店を一旦閉め、寝たきりになったミナの看病に専念する決意をする。ミナを演じるルブナ・アザバルはハリウッド作品でも見かけるスリムなベルギー出身のベテラン女優だ。元々スリムな体躯だが、日に日に痩せ細る姿はまさに死に取り憑かれた病人そのものだった。ハリムの男色の傾向を感じつつも、命尽きる瞬間まで夫を愛し続けた女性を切々と演じた。

仕事場にも行かず、妻に付きっきりの憔悴したハリムの家に突然、ユーセフが訪ねて来る。ずっと店が閉められている事に気づいた彼は、辛い気持ちを振り払って駆けつけてきたのだ。ハリムは素直に妻の容体を教え、店番を頼む。翌日、ユーセフは自宅でも仕事が出来るよう仕上げ途中のカフタンを抱えてきた。目の覚めるようなブルーのサテンに金糸の刺繍を施した、最高傑作にしたいと二人で編んできた一枚だ。それからユーセフは毎日顔を出すようになり、仕事を再開したハリムは正気を取り戻して行く。そんな二人を見つめていたミナは、枕元にユーセフを呼び寄せるのだった...その日を境に、3人の奇妙な共同生活が始まる。ミナが天に召される日が近づいて来る中で、穏やかな幸せな時間が流れて行くのであった。そして青のカフタンが完成した時に...

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性的志向が一致しない夫婦は世界中にごまんといるだろう。今作のように、世間にもパートナーにもLGBTを隠し通す例もあれば、離婚の遠因とまことしやかに言われる「性の不一致」のカップルもそうだろう。それでも夫婦という形態を維持し続ける理由も千差万別のはずだ。本作は、その課題を端的な例で指し示し、ひとつの明快な答えで締めくくる。自分の死後に、夫の幸せを同性の男に託すミナの決意には、あまりにも映画的で訝しさを感じる部分もあるが、ここまでストレートに描かれると天邪鬼の小生も完敗だ。さらにハリムのミナに向ける感情には偽りや贖罪の要素は全く無く、純粋に「妻」を包み込む愛が貫かれているのだ。性を越えたお互いを愛しむ姿を神々しいまでに描いた秀作である。
生地を丁寧に織り込み、精細な刺繍を施す場面が頻繁に現れるが、カフタンの厳粛な佇まいと優しい手触りは、まさにこの夫婦の普遍の絆を物語っているようだった。
性的指向というより、加齢により性的機能が消滅しつつある小生[たらーっ(汗)]にとって、ハリムとミナが紡ぐこの物語は、憧憬であるとともに安堵と勇気も与えてくれるものでもあった[ぴかぴか(新しい)]




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