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迎賓館赤坂離宮の夜 [寫眞歳時記]


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不覚にも通期で一般公開しているとはつゆ知らず[むかっ(怒り)]
国賓来日のニュースの中でしか観たことが無かった世界に初めて触れて来た。しかも本日は、本館がライトアップされる特別夜間公開日なのだ。カミさんも我が家に居座る身重の長女も都合が付かないというので、爺さん独りで颯爽と赤坂に出掛ける。夜間撮影を想定して、本日のお供は久しぶりにフルサイズのSony α7Rだ。

迎賓館赤坂離宮・・・明治42年に東宮御所として建設された宮殿である。赤坂離宮と呼ばれていたが、戦後に皇室から行政の財産となり、改修を経て迎賓館となる。我が国唯一のネオ・バロック様式の建築物であり、国威を懸け当時の技術の粋を集めた近代建築の到達点と言われている。2年間の大改修を経て平成21年に国宝に指定された。

西門から入場し厳重な手荷物チェックの後、チケットを購入して本館見学だ。当然ながら写真撮影厳禁。ベルサイユ宮殿がフラッシュ無しなら撮影自由なのに対し、この辺りがお国柄というか、ずれているというか、「一体、何から守ろうとしているのか?」がいまだに分からない。芸術家個人の著作権が存在する訳でもないのに、我が国の文化財への頑なな姿勢には辟易する機会が多い。と、カメラ爺いの独り言は置いておき、本館内部の豪華絢爛な装飾は筆舌に尽くしがたかった。

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「朝日の間」「彩鸞の間」「羽衣の間」「花鳥の間」と名付けられた各部屋を巡ると、共同記者会見や晩餐会などのニュースの記憶と重なる。そしてテレビからは伝わらない国の威信を賭けた見事な意匠に直接触れ、溜息が漏れる。富国強兵を叫ぶ明治期に、西洋の真似事から追い付き追い越せと国力を高めた日本の弛まぬ努力が見える。ベルサイユやバッキンガムの模倣ではあるのだが、日本独自のモチーフが埋め込まれたり、和の匠の技が随所に光り、日本人のプライドを擽る。外国に見栄を張るならトコトンやれだ、どうせ我々の税金だし[あせあせ(飛び散る汗)]

普通の洋館や美術館と違いショップも喫茶室も無いのであっさりと退出し、庭から建物全体を眺める。噴水と花壇がある本庭は、通常は外部から見ることが出来ない一般人側からは裏庭なのである。

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徐々に陽が落ちてきたので、通りに面した前庭に廻る。本日は特別公開なので庭園内でガーデンカフェが設置されていた。キッチンカーが何台か営業しており、ライトアップまでの時間に軽食を摂る。トルティーヤなんぞ初めて食ったわい[あせあせ(飛び散る汗)]

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すっかり帷が落ちると演奏会が始まった。ヴァイオリン2基とチェロによる調べが、美しいドレスを纏った3人の美女によって奏でられる。PAの調子が少々悪いのが残念だったが、一瞬ヨーロッパの古都の街角で聴いている錯覚に陥った。

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近代日本の至宝を目の当たりにし、幻想的な演奏会に触れた、素敵な非日常のひと時だった。雲に覆われ星も見えない夜空から一瞬半月が顔を出す。煌めく迎賓館を眺めに来たようだ。

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「東京交通会館」〜パスポート申請〜 [寫眞歳時記]

コロナ禍の最中に、夫婦揃ってパスポート更新を敢えて怠り失効していた。あの頃は海外旅行を夢見る心情には到底行き着かなかった。漸く今夏から4年ぶりに海外へ飛び立つ同胞が増え始め、地元のスカイツリーでは外国からの観光客でごった返している。そして唐突に「何時でも行ける準備をしておけ[どんっ(衝撃)]指令を出した女房の手には既に真っ赤な10年旅券が握り締められていた[あせあせ(飛び散る汗)]

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珍しく平日に代休を取り、午前中に年に一度の人間ドックを東銀座のクリニックで受診し、午後に有楽町に向かった。「やたらと混んでるから、半日がかりになるわよ[exclamation×2]」というカミさんのアドバイスに従ったわけだ。

久しぶりの「東京交通会館」だ。1965年竣工の知る人ぞ知るレトロビルだ。東京23区内のパスポートセンターは、新宿・池袋そしてここ有楽町の3カ所である。貧乏学生時代に初めてパスポートを取得して以来、更新手続きも常に此処で行っている。東京交通会館2階のパスポートセンターは40年前と全く変わらず風景のまま多くの人々でごった返していた。センター入口の手前では、向かい合ったショップが証明写真の客寄せに余念がない。若い姉さんが呼び込みの方の店に入り、流れ作業的に撮影されて瞬く間に無愛想な爺さんの写真を手にする。「3分間写真」の看板に偽り無しだ。

既に記入済の申請書類を持って受付に向かうが、まず発券機で受付表をもらう段取りらしい。館内の電光掲示板に現在の受付番号が記されている。なんと、自分の番号は120人先だ。カミさんの言っていた意味が分かった。検査の為に朝から食事を摂っていないので昼食タイムで時間を潰す事にする。

当ビルには多くの個性的な飲食店がテナントとして入居している。2Fのパスポートセンターは15年ぶりだが、地下1Fの食堂街には映画鑑賞帰りにたまに顔を出している。有楽町・銀座・日比谷一帯は多くの地下鉄のターミナルが地下道で繋がり、マリオンなどの主要なビルとも直結し、広大な地下街を形成しているのである。

検査の為に朝飯抜きの腹ペコ状態なので本日の昼飯はガッツリ行く[パンチ]

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大正期から続く精肉店直営の『キッチン大正軒』は、1965年のビル竣工と同時に開店した老舗だ。カウンター中心の12,3名で満席の小じんまりとした洋食店で、働き盛りのサラリーマンにピッタリ・コッテリのフライものメニューが充実している。盛りを過ぎた小生には重めに感じたが「ハンバーグ+ヒレカツ」セットを軽く平らげた。ただガムシャラに働いていた大手町勤務の20代の頃を思い出させる懐かしい昭和の味がした[わーい(嬉しい顔)]ビル内の書店をぶらつき、1時間半ほど経過したのでセンターに戻る。タイミングよく自分の受付順寸前だった。書類を提出すると、審査が終わって受理証発行まで更に2時間ほど待たねばならないらしい[がく~(落胆した顔)]

気長に行くしかないと割り切り、本日の気分はすっかり昭和レトロなので、今度は喫茶「ローヤル」へGOだ[exclamation×2] ビル15階の「銀座スカイラウンジ」でお洒落なティータイムも考えたが今日はこちらだ。因みに「スカイラウンジ」は創業以来、廻るレストランの草分けとして有名だった。丸いフロアが80分かけて一周し、客は銀座の景色の変化を一望しながら高級フレンチに舌鼓を打てるという、まさに昭和ブルジョワの発想も今となれば懐かしい。2年前のレストランのリニューアルと共に遂に半世紀の回転に終止符が打たれてしまったが...

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此処もビルと同い年の老舗の純喫茶である。店内奥のステンドグラスを背に珈琲を啜り煙草を蒸かす愉悦、そう私は戦う昭和の企業戦士なんて[ダッシュ(走り出すさま)]読みかけの小説を開きながら何とか時間をやり過ごすが、老眼の小生は1時間が限界なので、ビル内の撮影散策に出る事にする。鞄には常にコンデジのXF10を忍ばせているし...

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当ビルの目玉でもある壁画が、申請待ちで苛立つ人々の気持ちを和ませる。1Fから3Fの吹き抜けのメイン階段を飾る矢橋六郎による大理石モザイク壁画だ。「緑の散歩」「白馬」と題された作品は、ラスコー洞窟の古代壁画を彷彿させながら、大理石の様々な色の輝きがモダンな雰囲気を醸し出す。

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階段の形状がなだらかな山道を思わせ、人混みが一瞬消えた吹き抜けからは古の生き物たちの息吹が流れてくる。普段なら何気に通り過ぎてしまう階段に、建物との一体感に腐心したであろう当時の製作者の創意工夫と昭和の匠の技を感じざるを得ない。

正面エントランス部分も地下1Fから3Fまでの吹き抜け構造になっており、うねる様な螺旋階段の中央に葡萄状のシャンデリアが降臨している。そして、その果実は刻々と色を変えて行くのである。こちらも昭和レトロ感に溢れている。

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そして漸く受理証をゲット[exclamation&question]一週間後にこの書類と引き換えにパスポートを受け取れるわけだ。地下鉄に乗る為に再度地下1階の食堂街に降りる。と、いつも長蛇の列のラーメン店が空いているではないか。まだ午後5時ではあるが麺類なら食えるだろうと思い切り、カウンター僅か7席の残り1席に滑り込む。

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「麺屋ひょっとこ」は本日昼食を済ませた大正軒の隣にあるラーメン店だ。人気の「和風柚子柳麺」に性懲りも無く更に味玉を足して、初めて食す。昼食が油きつめだった為か、なおさら優しく感じてしまう和風スープに悶絶だ。細打ち麺がスルスルと胃袋に収まっていく。大ぶりなチャーシューがスッキリスープと調和して肉の味わいが丁度良い。人気店なのも納得だ。歳のせいか、沈んだ麺が目視できる透き通ったスープに出会うと嬉しい[わーい(嬉しい顔)]

此処まで来たら勢いで締めだ[パンチ]

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「甘味おかめ」に足が向かう。戦後間もなくから有楽町で甘党の舌を喜ばせてきた甘味処の老舗だ。普段はあんみつ三昧の小生ではあるが、本日は若干甘さ抑え目の「豆かん・おはぎ」セットだ。豆の風味の違いが楽しい。腹一杯でも此処の「おはぎ」はいくらでも食えそうな位に絶品だった。

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ほぼ半日をひとつのビルで過ごした不思議な1日は、約60年前のビルの佇まいを堪能し、かつ年齢無視のカロリーオーバーの一日でもあった。午前中の人間ドックの目的を思い出し我に返る還暦過ぎの爺さんは、気持ちだけは健康なのだ[あせあせ(飛び散る汗)]

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一週間後、無事に新パスポートをゲット[ぴかぴか(新しい)]受取だけは30分ほどの待ち時間で済んだ。
北斎の浮世絵が査証欄に透かし印刷されており、味気ないパスポートも洒落てきたと感心する。後は何時になったらこの旅券を使えるかだ。カミさんは行く気満々だが、小生の今の職場はお盆も正月もまともに休めない勤務体制だ。以前の職場のように長期休暇を取るのは無理なので、定年退職するまで辛抱かもしれない。その為にも健康第一、暴飲暴食を避けねばならぬのだが...[ダッシュ(走り出すさま)]




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「百段階段」に惑いながら② [寫眞歳時記]

雅叙園を出て5分ほど中目黒方面に車を走らせる。大通り沿いの駐車場に停め、住宅地を歩く。国内随一のアフタヌーンティー専門店を探すのだ。知る人ぞ知る人気店ゆえに予約無しでの入店は無理だろうし、そもそも営業日が不定期らしい。それでもこの店を探したのは建物自体に興味があったからだ。

Thre Tiers(スリーティアーズ)・・・2019年にオープンしたティーサロン。イギリス伝統のスタイルを踏襲したメニューは、ティーフーズから紅茶まで細部に亘って拘り抜かれており、築85年の洋館で戴くアフタヌーンティーは味・雰囲気共に格別との事だ。

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...だったが、やはり休業中だった[たらーっ(汗)]昭和12年に海軍軍医だった砂堀雅人が鎌倉から移築したと言われている。「旧砂堀医院」として2018年に登録有形文化財に認定され、翌年スリーティアーズが引き継ぎリノベーション後にティーサロンに生まれ変わった。切妻造平入を正面に妻入の別棟が奥に建てられている。縦長の窓枠が時代を感じさせてくれる。内装も素晴らしいのだろうが、残念ながら本日はそれが叶わない。

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こんな雰囲気の店内らしい(同店HPより)
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何とか営業日に伺って、爺い独りでは勿体無いのでカミさんと二人でブリテッシュ・ムードを存分に堪能したい。熱々の焼き立てスコーンにメープルシロップをぶっかけて紅茶で流し込む〜うん最高だな[わーい(嬉しい顔)]
 
更に高台の住宅地の奥に進んでみる。結構勾配がきつくて汗だくになる。最近漸く体重増には歯止めがかかってきたが、足腰は年相応に弱っているらしく坂道が辛い。標高が上がるごとに邸宅が豪華になって行く。「金持ちほど高い処に住みたがるのは人を見下ろしたくなるから」というのが下町育ちの小生のひねくれた私見なのだが、山の手の高級住宅地に来ると常に感じてしまう。そんな中目黒の高台に廻りとは少々異質な古いマンションが建っている。

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カーサ中目黒・・・1974年竣工のヴィンテージマンション。私のお気に入りの建築家・梵寿綱の作品だ。初期の製作であり、一目で彼と解る奇天烈なデザインはまだ影を潜めているが、随所に当時の新進の前衛建築家の爆発寸前の熱いマグマの息遣いが感じられる。とにかく彼の建築には意味不明のオブジェが多く仕込まれており、それを見つけるだけで楽しくなるのだ。

正面エントランス上の壁画に刺さる角笛?望遠鏡?
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駐車場に繋がる通路に唐突に現れる国籍不明の壁画
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他の彼の建物でも見かける謎のオブジェ〜私は豚ホルモンに見える[あせあせ(飛び散る汗)]
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ブロンズ天使の飛翔[exclamation&question]
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ホルモン?の塀の上をカタツムリが這う
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キリスト教会風だがアラベスク調とも言える??
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[かわいい]なんて楽しいマンション[かわいい]
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半世紀経ても色褪せない芸術家のパワー[パンチ]
このヴィンテージ・マンションの住民は、きっと作成者の魂に触発され、洒落心のある方々に違いない。ただ後期の梵が手掛けたマンションのユニークさは一段と常軌を逸しているので、住民にはそれなりの覚悟が求められる。彼の作品は被写体としても秀逸なので、これからも追い続けて行きたいと思う。

駐車場の近くの蕎麦屋で、もりそばを瞬間芸のように秒で食い雅叙園に戻る。生真面目な父ちゃんは時間厳守なのだ。テラスで珈琲を啜っていると、同窓生に囲まれて妊婦の長女がガニ股で歩いて来た。あと2ヶ月もすれば、初の外孫をこの手に抱いているはずだ。母子共に健康であるようにそっと祈る。

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「百段階段」に惑いながら① [寫眞歳時記]

腹ぼての長女が友人の結婚式に行くというので、優しき甘々父ちゃんは女房にもしないアッシー君(死語[あせあせ(飛び散る汗)])をするのであった。ホテル雅叙園東京まで安全運転で送り、お迎えは3時間半後だ。一旦、帰宅しても良かったが、カミさんに弄られるのも癪なので、この辺りで時間を潰すことにした。そう、此処には『百段階段』あるではないか[exclamation&question]5年ぶりに雅叙園の名所を訪ねてみる。

現ホテルの前身である目黒雅叙園は昭和6年に国内初の総合結婚式場として開業した料亭である。豪華絢爛の装飾が話題になり「昭和の竜宮城」と呼ばれた時期もあったが、平成3年には老朽化により大幅なリニューアルが成された。その後、経営母体が幾度も代わる憂き目に遭うも、昭和15年に竣工された目黒雅叙園3号館のみは往時の姿のまま保存された。99段の長い階段廊下の途中に7部屋の宴会場を備えた木造建築は、いつしか『百段階段』と呼ばれるようになった。

当日は企画展「和のあかり×百段階段 ~極彩色の百鬼夜行~」が開催されていた。各部屋ごとに現代アーチストの作品が様々なライティングで彩られ、戦前の意匠と令和の最新芸術が渾然一体となって、まさに異世界ムード満点の展示会に豹変だ。更に、以前の撮影厳禁が可能になっており、カメラ爺いにとって最良に時間を過ごす事になった[わーい(嬉しい顔)]

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天井や欄間に見られる昭和の匠の技だけを堪能するには照明のインパクトが激し過ぎる嫌いはあったが、令和の芸術家とのコラボと捉えれば圧巻の展示だ。浴衣を着飾った若い女性達や海外からの観光客からは感嘆の声が漏れていた。まさに「新しい魅せ方」に昭和爺いも納得だ[ぴかぴか(新しい)]

さて、お迎えの時刻まで多少間があるので、好奇心旺盛な親父はホテルの外に飛び出すのであった[exclamation&question]次回に続きます...[ダッシュ(走り出すさま)]


 

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「旧安田楠雄邸庭園」 [寫眞歳時記]

文京区千駄木の団子坂から脇道に逸れて住宅地を歩くと忽然と瀟洒な和風建築のお屋敷に出会える。春先の日曜日に女房と散歩中に見つけたのがこの「旧安田楠雄邸」だ。当日は閉館中だった為「いつか入りたいね」と言っていたが、年に2回の防空壕公開日に都合がつき、仕事が入った女房を泣く泣く置いて[ダッシュ(走り出すさま)]ひとりで訪れてみた。

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大正8年「豊島園」の創始者・藤田好三によって建てられ、同12年に旧安田財閥の創業者である安田善次郎の婿の善四郎が買取って以降、安田家の邸宅となった。善四郎の孫にあたる安田楠雄が平成7年に逝去され、翌年に未亡人により日本ナショナルトラストに寄贈された。莫大な相続税により売却を検討したが、取り壊しの危惧があった為に財団法人に寄贈し保存管理を委託した彼女の英断の賜物なのだ。現在、未亡人一家は広大な敷地の庭の片隅のみを相続し家を建てて住まわれているというのが、ボランティアの方の説明だった。

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大正8年に建てられた和風邸宅は、関東大震災と太平洋戦争の2度の被災を免れて、ほぼ完全な姿で現在も残されている。都内の戦前からの建築文化財の多くは、所有者の美術品を展示する博物館に衣替えしたり、テナントとして貸し出され飲食店やブティックなどに二次利用されているものも多い。この邸宅で驚くのは、人々の生活の香りそのものが今も感じられることだ。ことさら宝飾品・美術品を並べる事もなく、平成の時代まで暮らした家族達の調度品が昔のまま自然に飾られているからだ。大正モダン漂うデザイン、和洋の匠の技を感じる木材・ガラスの装飾、戦前からの電化製品などに目を奪われてしまう。

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こんな磨りガラスは今では作れないだろう
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やっぱり蓄音機はビクター
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お洒落な照明器具
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「アイランドキッチン」のはしり
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シャワー付きの浴室だ
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蚊帳が懐かしい
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邸宅奥の仏間にある防空壕に入って見上げてみる
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カミさんには申し訳なかったが、往時の大邸宅を存分に堪能させてもらった。営利目的ではない為に週2日(水・土)の公開だが、時間帯によってボランティアの方の説明が聞ける。不定期だが音楽会(蓄音機を聴く)などの小イベントが催されたり、桜・紅葉の時期は庭園が開放される。調度品を傷つけぬよう細心の注意が必要だが、館内写真撮影もOKだ。個人的には、都内の歴史的建築物の隠れた名所だと思う。代々の所有者の方がこのお屋敷に愛情を注いで住まわれたのが肌で感じ取れる稀有な建物だ。唯一、当然の事ながら当時のままなので冷房設備が無く、この日のような真夏日は少々辛かった。とにかく汗を吹き出しながらの鑑賞撮影だった。

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邸宅を出て自販機を探し日陰で麦茶を一気飲み状態。自宅に向かうも、まだ身体が水分を欲し誘惑に負けた爺さんは浅草・合羽橋の甘味処で途中下車なのだ[わーい(嬉しい顔)]

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浅草『菊丸』の「抹茶しぐれ」[どんっ(衝撃)] 宇治金時ミルクに濃抹茶アイス、小倉アイス、白玉をトッピングのなんでもありのカキ氷なのだ。嗚呼、無常の幸せ、カミさんには内緒[あせあせ(飛び散る汗)]この甘味処も隠れた銘店かつ観光地ずれしていない穴場だ。丁寧な仕事、小気味よい接客[かわいい]夏場以外なら当店オリジナルあんみつ「ベルサイユのばら」をご賞味あれ[ぴかぴか(新しい)]

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『松濤美術館』と周辺を歩く② [寫眞歳時記]

松濤美術館を出るとすぐに、向かい合った古い2棟のマンションに出会う。惚けて歩いていれば見過ごすところだが、最近の無機質な建物には無い温もりとレトロな装飾に誘われ足を止める。

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シャンポール松濤・・・1969年竣工のヴィンテージマンションだ。『日本のガウディ』と呼ばれる梵寿綱(ぼんじゅこう)の若かりし頃の設計である。早稲田にある「ドラード和世陀」を通りがかり度肝を抜かれて以来、この奇才に興味を持った。いづれ彼の足跡をじっくり辿るつもりだったが、今回偶然にも改名前の田中俊郎時代の作品に巡り会えた。梵寿綱を名乗る70年代中期以降の一目で彼と判る毒々しくもファンタジーな装飾は影を潜めているが、半世紀以上前のデザインとは思えぬ存在感を醸し出している。高度経済成長期において画一化され効率重視のマンションが乱立された事で建築の未来に危機感を覚えた彼は、この頃から独自の世界の構築へ歩を進めていたのである。そんな若き建築家の熱い意志が詰まった建物が現存し、今出会えた僥倖に感謝する。

シャンポールの向かいに在るのが「秀和レジデンス松濤」。大手デベロッパーの手によるものだが、1970年の完成であり1年前に建ったシャンポールに対抗したのか、コッテリ塗りたくった外壁と青い庇の取り合わせが美しい。

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松濤地区は、広大な敷地を持つ大邸宅が多く高層マンションは極めて少ない。この2棟のヴィンテージマンションはこの閑静な住宅地では珍しい存在だが、不思議とレトロなフォルムが街に溶け込んでいる気がする。下世話ではあるが、シャンポールの現在の価格を調べると、1LDKの分譲が6,000万円、賃貸で月額20万円だった。私の住む下町で築55年の物件ならば、せいぜい5,6万の賃貸料だ。流石、松濤、レベルが違う[がく~(落胆した顔)]

Bunkamura方面に少し歩くと、博物館並みの独特の形状の建物が見える。黒川紀章の手による『松濤倶楽部』(1980年竣工)だ。古代の宮殿に和の障子が重なったような瀟洒なデザインが印象的だ。「倶楽部」と謳っているが、なんと個人の邸宅らしい[がく~(落胆した顔)]

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少し歩いただけで次々と目を奪われる建物に出会うが、ほとんどが個人宅なのでじっくりカメラを向けるのは少々憚られる。洒落た洋館は「シェ松尾」の本店だった。「こんな有名な高級フレンチには縁がないね」と話したら「あら、昔、お友達とランチに来たわよ」と妻。「[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)][たらーっ(汗)](誰と来たんじゃ〜)」

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「ギャラリーTom」は1984年に内藤廣が手掛けた住宅兼ギャラリーである。視覚障害者でも触れて楽しめる作品を展示する小さな美術館だ。全く人気が無かったが入場してみると、年配の女性2名が何やら忙しそうに駆け回っていた。「すみません、休館中なんですよ、9月の展示会に向けてバタバタしてるんです」との事。内部は、吹き抜けのギャラリーに太陽光が降りそそ注ぎ、打ちっ放しのコンクリートと木材の展示台を際立たせていた。秋にはじっくり伺いたいと思い退散する。

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流石に汗だくになり、自販機で水を買って向かいの公園でひと休みだ。実はこの「鍋島松濤公園」の中にも見所がある。隈研吾デザインの公衆トイレだ。
渋谷区は「THE TOKYO TOILET」と銘打って区内17ヶ所に世界的なクリエイターの手による独創的な公衆トイレを設置した。そのひとつがこれなのだ。木材を使わせたら随一と言われる隈氏の遊び心溢れる一品だ。

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この公園のそばに、小生の敬愛する三島由紀夫が青年期に過ごした家が在った。戦前の中学生時代から「仮面の告白」を発表する25歳までの青春期に、この公園に来ていたでろう彼の姿を想像すると不思議な気分になる。この三島家(平岡家)の旧宅を音楽家の松本隆が購入し、新居を建てたのは知る人ぞ知る話し。古家は移築は叶わなかったが解体され、建具が岡山県の犬島精錬所美術館でアート作品となって今も息づいている。そして松本氏が新居建築を依頼したのが若かりし妹島和世なのだ。1997年に完成した音楽スタジオを備えた地上1階地下1階の邸宅は、外見はコンテナハウスのような無味乾燥を装いながら内部は光を大きく取り込んだ温もり溢れる素敵な構造となっていた。
M-HOUSE」と名付けられた建物は、その後、世界的建築家となった妹島氏の初期の代表作として語り継がれることになる。

ヒーロー乾電池(犬島精錬所美術館)此処も行きたい[exclamation×2]
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M-HOUSE
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M-HOUSEは松本氏の関西移転により2012年に売却される。買主には妹島氏の傑作なので取り壊さぬように頼んだと言われているが、1996年にはこの地は更地になった。個人の所有物である限り資産をいかに活用しようが、それは所有者の自由なのだから致し方無い事である。

文学や音楽の範疇の芸術は時代によって評価が変わっても消え去る事は無い。だが建築には寿命がある事に今更ながら気付いた。松濤の散歩から著名な建築家達の作品に出会い、三島由紀夫と松本隆と妹島和世の縁に辿りつき、有限の美の崇高さに思いを馳せる一日だった。
 



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『松濤美術館』と周辺を歩く① [寫眞歳時記]

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うだるような暑さの中、カミさんと松濤美術館の「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」展へ。松濤は渋谷の繁華街に程近いにも拘らず、人影もまばらな閑静な場所である。都内でも屈指の高級住宅地と云われ、広大な敷地に博物館かレストランに見紛う邸宅が立ち並ぶ。一流の建築家の手による建物も多く、土地代と建設費を想像しただけで目が眩んでしまう。ここまで桁違いのレベルを見せつけられては羨望も憧れを吹き飛んで、純粋に芸術品レベルの建築物を楽しめる街なのである。美術館鑑賞と共に松濤の町をそぞろ歩いてみる。

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渋谷区立松濤美術館はエントランスから圧倒される。戦前から活躍し「哲人建築家」と称された
白井晟一の手により1980年に竣工された。彼の現存する作品は少なく、都内で目にする事ができる貴重な建築でもある。一つの窓も無い薄いピンクの花崗岩の外壁が緩やかに凹み、銅板と垂木の半円状の屋根が迫り出している。アーチ状の入口に足を踏む入れれば、鮮やかなオニキスの光天井が迎えてくれる。

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地上2階・地下2階の館内中央は丸い吹き抜け構造になっており、1階の渡り廊下に出れば、上は抜けるような青空、下は噴水池が清々しく涼を摂ってくれた。

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展覧会は、日本の人形の歴史を芸術の枠にとらわれず網羅した内容だ。
人形(ニンギョウ)=ヒトガタと呼ばれる由縁は、そこに人間の魂が宿るからだ。展示には平安時代の呪具として使われたものから子供の成長に願いを込めた雛人形や五月人形が並ぶ。江戸期頃から美的な造形物として「彫刻」の概念が始まり、それらは「芸術」の域に向かうが、依然「人形」の価値観が変わる事は無かった。昭和に入り「人形芸術運動」の高まりと共に、庶民の愛玩の対象物から超絶技巧の美術品まで混沌とした時代に突入し、今やフィギュアの進化が市民権を得るなど、まさにボーダーレスな分野になった。

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思わず笑みが溢れる愛らしい姿や身の毛もよだつリアルな生人形、最近のフィギュアブームに繋がる原型などが目白押しで、非常に見応えのある展示だった。満足して出口に向かう途中の小部屋に「18歳未満鑑賞禁止」の貼り紙が...女房連れにて少々の不安があったが入室してみる。個人的には最大の衝撃[exclamation&question]ラブ・ドール』の部屋だった。昭和世代のスケベ爺いには「ダッチ・ワイフ」(死語だな[ダッシュ(走り出すさま)])と呼んだ方が馴染み深い。驚いたのは、中学生時代に成人雑誌の通信販売の欄で見かけた人形とは桁違いに精巧なのだ。まさにリアルな美少女以上に美少女なのだ。丁度、今読んでいる辻原登の小説がラブドールを題材にしており、主人公の想いと同期してしまった。至高の芸術品級のレベルに「う〜ん、これなら欲しい[揺れるハート]」共に還暦を越した夫婦とはいえ、真剣に見入る亭主の心情を悟られては困るので無表情を装う[たらーっ(汗)]

隠し女小春

隠し女小春

  • 作者: 辻原 登
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2022/05/11
  • メディア: 単行本
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今展示会のテーマでもある『芸術とは何?』を如実に表した「秘密の小部屋」を後にする。エレベーターを使わず、あえて階段を歩く。上階を見上げれば、白井晟一の手がけた美しい曲線に目を奪われた。これも芸術なのだ。

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周辺の散歩は次回に続きます。


 

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4年ぶり [寫眞歳時記]

隅田川花火大会が4年ぶりに開催された


コロナ禍以前の前回を思い起こす
認知症を患ったとはいえ母は元気だった
1歳の初孫は爆音に驚き泣きじゃくっていた
初めて彼氏を連れてきた長女に狼狽えを隠せない父親とは小生のことだ

今年は例年以上に凄い人出だ
マンションの隙間からギリギリ見える秘密の場所を一家で陣取る
母の姿はすでに無いがヤンチャ盛りの孫がひとり増えた
腹ぼての長女を旦那が気遣っている

月日の移ろいを噛み締めながら
夜空に開く大輪の花に家族安寧の願いを込める
一気にビールを飲み干す歳取らぬ女房に微笑みかけて



孫の相手しながらでは、写真の本気撮りは不可能なので、初めて動画に挑戦。
情け無いピントズレまくりのフィナーレの瞬間[あせあせ(飛び散る汗)]

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魅惑の神田須田町を歩く③ [寫眞歳時記]

須田町2丁目の柳原通りから神田川沿いを歩き、1丁目の飲食街に戻ってみる。

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この店に伺ったのは、前々回に載せた『まつや』同様に40年前のバイト学生の頃の一回きりだ。そば通なら誰でも知る江戸藪蕎麦御三家のひとつと云われる明治13年創業の『かんだやぶそば』である。蕎麦屋のくせに来る者を選り好みするような重厚な門構えを通り、格式の高そうな店内の雰囲気に威圧されながら、つむじ風青年は、せいろを1枚注文するのだった。正直、味は覚えていない。ただ、やたらと蕎麦つゆが辛く、麺が少なく、値段が高かった印象が残る。

10年前に関東大震災後に再建された木造店舗が焼失し、当時のニュースでも大々的に取り上げられたが、翌年には無事再建。今や燦然と輝く東京蕎麦のブランドとして連日、全国からの観光客が店前に長蛇の列を成している。そして今回、小雨降る夕刻に先客が居ないことを確認し40年ぶりに再訪してみた。店内は厳かさよりも清潔感が際立ち、バリアフリー化されていた。学生時代に感じた圧迫感は微塵も無い。これは私が歳とったせいかもしれんが。窓際のカウンター席に案内され、量が少ないのを承知していたので、せいろを2枚注文する。これは社会人の余裕だな。

一瞬、民謡のBGMが流れたと錯覚したが、仲居さんが注文された品を謳うように厨房に伝えている声だった。店奥に帳場があり、大旦那と若女将と思しき二人が並んで切り盛りしている。嗚呼、思い出したこの雰囲気、これが老舗の暖簾か[exclamation×2]

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少し緑がかった蕎麦が清々しく、食べやすいように真ん中が盛り上がった竹すだれが嬉しい。うん、喉越しの良い蕎麦だ、つゆは昔通りに関西人ビックリの超辛めだ。小生は蕎麦マニアでは無く、味わうというよりは気持ちよく啜れれば「うめぇ蕎麦」なので、老舗伝統の味など分からんが、その意味では美味い蕎麦だった。高めの値段設定は、非日常を味わせてくれる暖簾代として割り切ろう。

最近、江戸っ子の本当の蕎麦の食べ方がレクチャーされたりしているが、気の短い当時の江戸の職人がつゆをあまり付けずに啜ったのが「粋」だと勘違いされただけで、「こちとらも江戸っ子でぇ、好きに食えばいいんだよ!」が小生の持論である。元々、寿司と蕎麦は江戸期のファーストフードであり、格好つけて喰うもんではないのだ[パンチ]

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そして向かいに見えるビルに『ショパン』がある。昭和8年に開業した音楽喫茶の体裁を今でも守る老舗喫茶店だ。昭和61年に現在の場所に移転して来たが、薄暗い店内は創業当時の調度品とステンドグラスが飾られ、ショパンの調べが終日鳴り響いている。高額な音響システムを使用している訳ではなく、小さなスピーカーから会話の妨げにならぬBGM的な風情だ。そして売り切れ必須のアンブレス(餡子のホットサンド)をやたら濃い目の珈琲で流し込めば、戦前のエセ文化人みたいな背徳気分に浸らせてくれる[わーい(嬉しい顔)]これで喫煙可なら、つむじ風禁断サテンの殿堂入り間違いなしだ。

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神田川に並行してJR中央線(総武線)の高架が延々と続いている。赤いレンガが時代を感じさる。この辺りには昔、「交通博物館」があり、幼少の頃に親に何度か連れられてきた記憶がある。更に遡れば、博物館と繋がって旧国鉄の駅舎が此処に存在したのである。

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『万世橋駅』が開業したのは明治45年。東京から甲府を経由して名古屋を結ぶ中央本線のターミナル駅として、上野駅、新橋駅と並ぶ東京を代表する駅だった。赤煉瓦作りの駅舎は東京駅と同じ設計者・辰野金吾による豪華なもので、路面電車のターミナルとしても大いに賑わったと云う。連雀町(須田町)の繁栄には交通の利便性も大きく関わっていたのだ。

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大正8年に東京駅が開業し、更に近隣に神田駅・秋葉原駅も出来、ターミナル駅としての地位を徐々に失う。結局、昭和18年には博物館部分を除いて取り壊され廃駅となった。まさに無計画な当時の交通行政の所以であろう。平成18年に交通博物館も閉館、そして25年に博物館跡地にJR神田万世橋ビル(写真右)、廃駅跡を利用した商業施設「マーチエキュート」(写真左)が完成する。新ビルには往時を彷彿させるモニュメントが点在し、マーチエキュートでは洒落たショップと万世橋の遺構の融合を魅せてくれる。

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エキュートを出るとすっかり夜も更け、街にネオンが灯り始める。当時、駅前広場のシンボルだった広瀬中佐銅像の場所に一本のポールが立ち、周りを路面イルミネーションが飾る。

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帰路、JR秋葉原駅に向かって歩く。万世橋のたもとで、戦後の秋葉原の変遷を見つめ続けてきた『肉の万世』が毒々しいまでの輝きを放っていた。無性に「万かつサンド」が食いたくなったが、本日のカロリーオーバー確定なので諦める。学生バイト時代によく歩いた道は、コロナ禍を乗り越えて賑わいを取り戻し、メイド姿の女の子たちが気だるそうに客引きをしていた。人間の逞しさが街を作り、街を変え、人々の生活の彩りを鮮やかにする。

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おしまい





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魅惑の神田須田町を歩く② [寫眞歳時記]

靖国通りと中央通りが合流する須田町交差点に一際風格を備えたビルが聳え立つ。

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大阪の繊維卸売業・鷹岡株式会社の東京支店として昭和10年に竣工された5階建のビルだ。明治18年創業時の国産羅紗開発以来、現在も紳士服地販売をアジア圏中心に展開している。御影石とスクラッチタイルを組み合わせた外壁、浮き出しの社名看板、正面玄関上部のモニュメント等々、昭和モダニズムに溢れている。

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『まつや』のあるブロックから中央通りを渡り山手線のガードをくぐる。不可思議な自販機置き場を過ぎ、柳原通りに出ると都内でも有名な看板建築に出会える。

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『岡昌裏地ボタン店』は明治30年に古着屋でスタートし、戦後に裏地やボタンを扱う専門店となった。昭和3年に再建された店舗と共に商売も現役続行中である。店内を覗けば、ほぼ間違いなく店主と思しき白髪の男性が座っているはずだ。銅板張りの錆びた藍色が何とも味わい深く哀愁漂う。

明治20年創業の『海老原商店』も服飾問屋であり、岡昌と同じ昭和3年に現店舗が完成した。設計者の粋なセンスを感じさせる和洋折衷の外観は、当時のハイカラ文化から生まれた日本デザインの秀逸さを物語る。現在はアート・スペースとして若き芸術家に解放され、日時によって内部も見学可能だ。本業の継続はならずとも、現オーナーが引き継いだ貴重な資産の改修・保存に力を入れ、新しい命を建物に吹き込んだ。この日は、正面玄関で「集約されないパフォーマンス」という前衛ダンスが上演されていた。

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明治後期から戦後までこの地域一帯は繊維問屋が軒を連ね、行き交う人々の波が途切れる事が無かったと云う。今もなお残る数少ない建物達が、往時の喧騒を想い起こしてくれる。柳原通りの岡昌の斜向かいには小さな社があった。室町時代に江戸城近くで創建し1659年に此の地に移された「柳森神社」だ。此処には徳川綱吉の生母・桂昌院が建てた福寿神が祀られている。八百屋の娘でありながら3代将軍家光に見初められ次期将軍の母となった「お玉」が「他を抜いて輿に乗った」ことが「玉の輿」の語源となり、それにあやかり「たぬき」が崇められ始めたと云う。江戸期から多くの参拝者が御利益祈願にこの狸様に訪れたのだ。お稲荷様のお使いである狐や神前を守護する狛犬を奉るのは知るが、狸を祀るのは珍しいかもしれない。

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時が流れ、太平洋戦争を跨いで街は大きく変わったが、人々の営みは延々と続いている。先祖代々の商いを地道に続ける者、時代によって形を変えながらも志を貫く者、荒波に呑み込まれて消えゆく者。お狸様は全てを見てきたに違いない。須田町から馬喰町にかけて繊維問屋街の名残で今でもアパレル系の会社のビルが多く立ち並び、今回のコロナ禍の逆境にも粘り強く立ち向かったはずだ。

まだ続きます...




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