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『PERFECT DAYS』を辿る(下町編) [寫眞歳時記]

先日鑑賞した映画『PERFECT DAYS』に触発されて、そのロケ地を巡ってみる。作品の設定では、主人公が住んでいる街というのが、ほぼ小生の生活圏と一致しており、休日の昼下がり、カミさんと自転車に乗って近所を走り回ってみた。

役所広司が演じる主人公・平山はスカイツリーが間近に見える下町の木造アパートに暮らしている。多くのシーンで見覚えのある場所が現れ、ロケ地が我が下町の東京墨田区だと確信したのであった。

亀戸香取神社の門前に行くと、看板建築を平成期に再現した店舗が並ぶ『勝運商店街』に出会える。

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ここを抜けて北十間川に沿って歩くと...「天祖神社」に着く。早朝、此の神社の掃除の音で平山は目を覚ます。

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神社の向かいには作品の通りに平山が暮らしたアパートが在った。毎朝、彼は軽自動車に乗って仕事場の渋谷の公衆トイレに向かうのだ。私が子供の頃は木造風呂無しアパートが標準だったが、今やこのタイプの部屋を探すのも困難な時代だ。それでも下町の裏通りを歩けば、運よくこんな建物に出会えるのだ。

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十間橋通りから「キラキラ橘商店街」を抜ける。昔の賑わいがすっかり無くなって少々寂しい気分になる。

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キラキラ橘の脇道に入ると、平山が仕事帰りに毎日浸かる銭湯が見つかる。創業100年を迎えた『電気湯」だ。電気風呂が無いのにこの屋号は、創業当時はガスではなく電気で湯を沸かしていたことから由来する。4代目主人は国連勤務経験のある20代の青年らしい。昭和の町の香りが、今、多くの若者の手により至る所で守られている。

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ここから一気に隅田川沿いに向かう。作品内でも平山は毎日、自転車を駆使して浅草と亀戸を往復していた。小生も負けてられないが、袋はぎが既に重い[ふらふら]

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1985年に完成した『桜橋』は、大川(隅田川)に最後に架かった小さな歩行者専用の橋だ。同時に河川敷の遊歩道も整備され、後年の下町ブームに一役買ったエリアでもある。ドラマなどのロケ地によく使用され、今作でも平山とニコが楽しそうに自転車並走していた。我が家から徒歩5分の至近距離だ。橋を渡りきり台東区側に到着したら、目指すは銀座線浅草駅だ。それにしても橋の傾斜が爺いにはキツい。

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以前のブログでこの地下街にある立ち食い蕎麦屋を投稿したが、まさに「THE昭和」の時が止まった空間なのである。

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雨漏りで廊下はびしょ濡れ、換気が悪いため焼き鳥の煙が充満している。格安床屋、謎の治療院、金券ショップ、中古DVD販売、占い屋etc.の合間に洒落た居酒屋が昼から営業するカオスandレトロな場所として最近は若者に人気らしいが、私にとっては懐かしさが募る秘密のエリアなのだ。平山が一日の最後に『福ちゃん』に訪れ、酎ハイ1杯を飲み干して家路に着く。

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やはり映画効果なのだろう。カミさんと焼きそばでも食べるつもりだったが、この店だけは大繁盛の満席の為に諦める。

ヴィム・ベンダース監督がこのような下町の穴場にまで詳しいとは思えず、監督の持つ古きニッポンのイメージに合わせて日本側製作陣が東京中から探し出したに違いない。本作の情景描写の素晴らしさは、地道かつ入念なスタッフの下調べも大きく寄与しているのだ。個人的には近所が多く登場し、単純に嬉しかったのだが...

近場のサイクリングでも意外と疲れる。帰り道は長〜い言問橋を利用した。緩い傾斜を登りきれず悪戦苦闘する亭主の脇を、カミさんが颯爽と追い抜いていった。持久力では完全に勝負ありの夫婦関係を素直に受け入れる爺いなのでした。次回は「渋谷区公衆トイレ巡り」を計画中。今度はLUUPを使おうかな[あせあせ(飛び散る汗)]

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド『Pale Blue Eye』


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドIII

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドIII

  • アーティスト: ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2010/11/24
  • メディア: CD

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『山の上ホテル』休館 [寫眞歳時記]

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古き良き時代のアカデミックな神田駿河台のシンボル的存在の一つだった「山の上ホテル」が来月に休館となる。老朽化が理由だが改築の計画は今のところ無く、このまま閉館・取り壊しの可能性が高い。

40年前の学生にとっては高嶺の花の高級ホテルだったが、友人との居酒屋帰りにホテル内のバーに立ち寄り優雅な大人を気取ったのも懐かしい思い出だ。女房との結婚披露宴会場の第一候補として下見に伺ったが、ウエディングドレスに拘る彼女の理想を叶えるには、近くの教会での定期的な研修参加が条件とのことであえなく断念した。嗚呼、若かった二人[あせあせ(飛び散る汗)]

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1954年開業で、設計は「天皇を守ったアメリカ人」と呼ばれるウィリアム・メレル・ヴォーリズだ。アール・デコ調の外観、幾何学的なクラシカルな内装は、まさに昭和モダンというべきか。総数30室ほどの小さな宿泊施設だったが、出版社がひしめく神田エリアという事もあり、昭和の文豪たちがカンヅメにされて執筆を強要された伝説が数多く残る「文化人のホテル」として名を馳せた。

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小生は宿泊経験は一度も無いが、プチ贅沢な食事処として家族のイベント時に施設内のレストランを利用していた。10年前の正月元旦、家族全員で墓参りの帰りにコーヒー・パーラー「ヒルトップ」で洋食を戴いたのが、亡き父との最期の外食だった。その父の7回忌には天ぷら「山の上」で孫を加えた新しい家族で会食した。

正月明けの夕方にカミさんとふらりと寄ってみたが、全てのレストランは予約で満席、ロビー喫茶も昼間に配布する整理券が無ければ無理との事だった。予想はしていたが、2月の休館に向けて一気に客が押し掛けているようだ。という事で、昨秋にカミさんに内緒で一人で「ヒルトップ」で食った『伝統のババロア』がこれです[ダッシュ(走り出すさま)]

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ババロア...脳内に響くなんて甘美な言葉[揺れるハート]そして昭和の子供のデザートが匠の技によって抽象画の如く色彩のハーモニーを醸し出す。美味いのは当然ながら、魅せるという付加価値をつける事こそ伝統と呼ばれる由縁なのだろう。

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現在の混雑状況では、閉館までに食事するのは困難かもしれない。しっかりと目に焼き付けながら、多くの思い出を共有した名ホテルに感謝の意を伝えておいた。


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銭湯でコヒーブレイク [寫眞歳時記]

祖父が創業した銭湯を父の代に廃業して40年以上が経過するが、私の風呂好きのDNAは完全に体内に刷り込まれている。街で銭湯を見かければ自然と足が止まり、まじまじと眺めてしまう。都内の銭湯の数は60年代後半のピーク時から2020年には9割が減り、典型的な斜陽産業の道を辿っているが、昨今は幾分状況が変わってきている。昭和レトロブームにあやかって激減した銭湯に若者が殺到していると云う。そして後継者不足で廃業した昔ながらのお風呂屋さんを事業継承する企業や独特の様式の店舗を引き継ぎ別の商売を行う若者も増えて来た。

江口のりこ主演の「ソロ活女子のすすめ」というドラマをNET配信で観ていた。独身OLが充実したオフタイムを堪能するコメディ調の作品で、既に4クール目突入の人気番組らしい。江口のりこが都内のレトロ銭湯を巡る回があり、その場所が割と近場だったのですぐさま訪問する事に...

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レポン快哉湯・・・台東区下谷の住宅地にひっそりと佇む銭湯をリノベーションしたカフェだ。宮造りの建築様式は東京の銭湯の特色だ。関東大震災以降、灰燼と化した東京では新築ラッシュが起こり、防火対策用に銅板履き建築の家屋が増える一方、銭湯や料理屋などは客集めの為に寺社に倣った唐破風の屋根を備えた宮造りが流行ったと云う。嗚呼、我が家の風呂屋もこんな感じだったと少々哀愁に浸る。下駄箱で当たり前のように靴を脱ぎ、曇りガラスの扉を開けて内に入ってみる。女湯の入り口だったが...

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脱衣場が喫茶スペースになっており、奥の浴場が共有のオフィスとしてイベントやテレワーク用に解放している。高い天井、木の温もり、ペンキ絵の富士山が往時の銭湯の雰囲気をそのまま残しながら、多くの本に囲まれたお洒落なオフィスとして成り立っている。時間が許せば、浴場内でずっと本を読んでいたい気にさせてくれる。

関東大震災で倒壊し1928年に再建された『快哉湯』は、戦争でも被災せず当時の姿のままを保っている。2016年に施設の老朽化を理由に廃業したが、オーナーのたっての希望で建物を残しままの条件で後継者に運営が任される事になった。

戦後70年が経過し、東京のビジネスエリア、繁華街では大規模な再開発が続く。老朽化した家屋やビルはまるで被災したように跡形も無く消え、機能的かつ独創的な高層ビルが立ち並び新しい街の顔へと変貌して行く。一方で、戦前からの建築物を保存しながら新しいビジネスにチャレンジする昭和を知らない世代が現れ、「町の記憶を繋ぐ」動きも健在だ。どちらも東京の魅力であり、この混沌さを私は愛してやまない。

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自家焙煎コーヒーと自家製アイスのマリアージュが評判のようだが、少々寒いのでガトー・ショコラとのセットを注文。銭湯でコーヒーの非日常を楽しみながら、在りし日の我が銭湯を思い出すのであった。



年内最後の投稿となります
稚拙ブログにお付き合い頂きありがとうございました
みなさま、良い年をお迎えください[かわいい]

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落葉の日比谷公園 [寫眞歳時記]

季節外れの暖気のお陰で関東の紅葉の寿命も延びたようだ。とはいえ暦の上では冬至を過ぎ、鈍足の冬将軍もそろそろ本気モードだ。週末の日比谷公園は今年最後の紅葉を楽しむ人々で賑わっていた。

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有名な「首かけイチョウ」は完全に葉が落ちていた。明治34年の日比谷通り拡張工事で伐採の予定だったが、当時の公園設計責任者が「首にかけても移植する」と上層部に主張し、現在地に無事に移されたと伝わる樹齢400年の古木だ。後ろの建物は『松本楼』、明治36年の公園開園と同時にオープンした洋食レストランの先駆けだ。

都内の紅葉はイチョウの独壇場で黄色のみが織りなすグラデェーションが魅力だが、たまにモミジの紅色が混ざる場所に遭遇すると京都の寺院にいる気分になって嬉しい。鶴の噴水を擁する雲形池の周りは、まさにそんな場所だった。

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東京のど真ん中でも秋の終わりを体感できる幸せに感謝する。都会のオアシスとは使い古された言葉だが、此処は明治から令和まで激動の首都で生き抜いた人々を癒やし続けた楽園なのかもしれない。公園内には市政会館、日比谷公会堂、野外音楽堂、日比谷図書文化館など歴史的建造物も多く、不肖カメラ爺いにとって常に憩いとトキメキを与えてくれる場所でもあるのだ。

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最近は建物や静物ばかり撮っていたけど、たまに人混に出て人物を取り込んでシャッターを切るのも楽しい。プライバシーを侵害しない範囲でスナップ写真も頑張りたいな。

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[かわいい]来秋に取り壊しの野外音楽堂のチケットゲット[かわいい]

20年ぶりに再結成のAJICO〜2024.3.30 日比谷野音〜
熟成された静かに燃えるロック[exclamation×2]
楽しみだぁ[黒ハート]

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麻布十番の裏道を歩く [寫眞歳時記]

最近お気に入りの麻布界隈を歩く。とは言っても今話題のスポットではなく麻布十番商店街から脇道に外れて旧きものを訪ねてみる。

この商店街は華やかな港区のイメージとは少々違い、私の住む下町に似た香りがする居心地の良い処だ。だが、有名な老舗飲食店は今日のところは置いといて、向かうのは善福寺という古刹だ。此処に東京最大のイチョウの大樹があるのだ。商店街のメインストリートから5分も歩けば都内では浅草寺に次ぐ古寺である「麻布山・善福寺」に着く。本堂左側の墓地の中から樹齢750年のイチョウが今まさに黄金色に光輝いて周囲を照らしていた。高さ20メートル、幹回り10メートルの堂々たる佇まいに圧倒される。

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気根が乳のように垂れ下がり、枝が逆さまに生えているように見えたことから「逆さイチョウ」といつしか呼ばれるようになった。戦時中の空襲で上部が焼け落ち枯死寸前となったが、住職や地元民の力で奇跡的に蘇った、まさに母なる大樹だ。都内の紅葉は既に終わりに近づいているが、親鸞手植えと伝わる古木は今日が一番の見頃のようだった。この幸運に感謝する。
 
善福寺の脇を抜け、だらだら坂を登って行くと忽然と石造りの建物に出会える。「安藤記念教会」である。大正6年に竣工したプロテスタント教会だ。大谷石による重厚な組積造りの外観と内部の礼拝堂の質素な様相が好対照だ。当時の工芸界の巨匠・小川三知の手によるステンドグラスの和のテイストを含んだ瀟洒なデザインに目を奪われる。

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一般的に教会は入場自由だが、日本人だと何となく神社仏閣よりも敷居が高く感じられてしまう。昔は小生も礼拝堂の扉を開けるのに逡巡した時期もあったが、神道や仏教とは違う厳かな礼拝堂の雰囲気を味わいたくて最近は図々しい程気楽に入場してしまう。この日も「アーメン」を唱えた後に写真を撮りまくっていたら、突然現れた神父様にパンフレットを手渡されて恐縮する不信心な仏教徒の私なのだった[あせあせ(飛び散る汗)]嗚呼、もうすぐクリスマスだ。

この辺りを彷徨くと麻布の起伏に富んだ得意な地形がよく判る。江戸時代に大名の下屋敷が在った高台には今、高級住宅や大使館・超高層マンションが立ち並ぶ一方で、台地に挟まれた崖下の窪地は開発されぬまま昔の路地が残る。

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再び高みに戻れば、摩天楼・元麻布ヒルズの広大なエントランス前に焼き芋カーが佇んでいた。

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ここからすぐに『暗闇坂』という夜間には絶対に歩きたくない名前の坂道があり、下れば商店街に戻れる。ふと脇道に目をやると古い洋館らしき建物が在った。

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大正13年竣工の建築家・阿部美樹志の自邸だった。安藤記念教会と同時期の建物ながら、外壁の意匠やステンドグラスが個人邸らしい手作り感に溢れている。有名なレトロ建築は事前に情報を得て伺う事が多いが、このように偶然に出会うと余計に胸が高まる。

麻布十番商店街に戻りそのまま帰るつもりだったが、結局は遅い昼食を摂る事に...何時も長蛇の列の蕎麦屋の前を通りかかると、なんと一人待ちではないか。反射的に並んでしまった。

創業1789年の『更級堀井』で啜るは当然「さらしな蕎麦」、お供に「卵焼き」だ。

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蕎麦の香りが立つ十割そばも悪くないが、私は断然、喉越しの良い更級そばが好きなのだ。蕎麦は舌で味わうというより、飲み込んだ時の喉越しを愉しむものだから。その足らない味覚に、甘ったるい卵焼きにたっぷり辛い大根おろしを乗せて食えば、これ蕎麦好きの極みなり。あくまでも個人的趣向だが...

そして、『サンモリッツ名花堂』でこれを見つけて衝動的に3個購入してしまうのだった。小生の「街のパン屋さん」の基準は今や絶滅危惧種『シベリア』を置いているかどうかなのである[exclamation&question]

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いやはや結局、食レポになってしまった[ふらふら]








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麻布台ヒルズよりも飯倉交差点 [寫眞歳時記]

『麻布台ヒルズ』が開業し、連日多くの観光客が押し寄せ人気を博している。大手デベロッパー「森ビル」が構想から30年をかけて完成させた複合施設は、麻布地区一帯を飲み込んだ新しい街となり、東京の新名所ともなる。オープン時の大混雑が予想できたので、実はひと月程前に下見を兼ねて神谷町界隈を探索していた。これが意外な建物の発見が多くて楽しめたので、その時の報告を...

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一番左の高層ビルがこの都度日本一の高さとなった森JPタワーだが、ヒルズの中で独特のフォルムで目を惹く低層の建物が、このガーデンプラザだ。英国のデザイナーが造ったランドスケープは巨木の根の如くビルに絡みつき、うねりながら地を這う。
ガーデンプラザ前の桜田通りに沿って南側に目を向けると先の交差点に存在感のあるビルが聳え立っている。

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飯倉交差点のランドマーク的存在の『ノアビル』だ。松濤美術館を設計した白井晟一の手により1974年に竣工されたテナントビルである。赤煉瓦を濃密に張り巡らせた底辺部にスッポリと黒光りする円筒状のビルが絶妙なバランスで乗っかっている。NOAのイニシャルが金色に光り輝く。

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半世紀を経ても全く色褪せないデザインと泰然とした威容に感動を覚える。通りを挟んでノアビルの対面の奥に巨大な建造物の屋根が見えたので行ってみる。

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1975年創建の霊友会釈迦殿である。こちらも現代風ビルに囲まれる中で異彩を放つ。まるでこのまま飛び立つ巨大宇宙船のようなフォルムは、当時の竹中工務店の技術を結集した作品でもあるのだ。

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また通りを渡り東京タワーに向かって少し進むと、今度はキリスト教会が並んで建っている。

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聖アンドレ教会は、福沢諭吉の庇護を得た宣教師が1879年に設立したと伝わる。1996年に香山建築研究所により現在の教会に建て替えられ、ファサードのシンプルな造形と眩いばかりの白亜の内装の取り合わせがなんとも清々しい。若いの男女の外国人が讃美歌の練習中だったが、美しい歌声が響き渡り心が洗われた。

その隣には一見、山小屋風の質素な教会が見える。1956年にアントニン・レーモンドの設計により建てられた聖オルバン教会だ。戦後の日本人建築家に多大な影響を与えたレーモンドの現存する作品の一つは、朴訥かつ温もりに溢れている。大使館の外車が並び、イベント中のようで内部で礼拝できなかったのが残念だった。

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更に東京タワーの根元に向かって歩くと...

芝浄水池跡地
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駐日オランダ王国大使館
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...など、飯倉交差点周りだけの散策でも十分楽しめた。目の前の東京タワーは改めて堪能するとしても、さすが港区だ、奥が深いのである。

耐用年数に限りある建築物は常に建て変わり、そこに住む人々の生活も移ろい、そして街は変遷を繰り返す。
麻布台の地権者との粘り強い交渉の末に広大な敷地を手中にし、一大プロジェクトを成した森ビルの執念と企業努力は賞賛に値すると思う。高台と窪地が入り組み古い木造家屋が密集していた麻布台は消防車輌も入れないような地域だったと云う。防災上の観点からはこの都市再生が誤りでないのは確かだ。だが、町の小さな商店や旨いレストランは一斉にこの世から消えうせ、戦前からのアールデコ調の旧麻布郵便局ビルの跡地には今、森JPタワーが建つ。複合施設内の最上階マンションは200億円といわれ、テナントには国内外の著名なショップ・レストランが入る。オープン時点では、ごく一部の超富裕層と観光客の為だけの施設にしか見えないのだ。果たして、この街に地域コミュニティは醸成されるのだろうか。森ビルが謳う「人々の営みがシームレスにつながる街」が虚しく聞こえる。

東京という都市の魅力はカオスである。古いモノも新しいモノも飲み込んで多種多様な人間が自由勝手に蠢き生活する混沌とした基盤が世界でも稀有な都市なのだ。統一性の欠如した町並みに不揃いな看板、計画性の無い電線が空に舞う風景とそれに溶け込む人間が魅力なのだ。洒落た超高層ビルに見せかけの緑地を組み合わせて一部の人間に高く売りつけるビジネスを「街づくり」と呼んではいけない。私は廃れゆく東京も構わないし、そこに悦びを見つけたい。


 

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飯倉片町から乃木坂へ [寫眞歳時記]

何歳になっても『限定モノ』には弱いのである。
定食屋での「限定10食」に飛びつき、好きなアーチストの同じCDが並んでいても「限定盤」を買ってしまう。仏像の「特別開帳」情報を知れば行ける限り足を運ぶ。

本日は2カ所の限定モノとレトロ建築巡りを兼ねて港区にやって来た。

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飯倉片町の交差点近くには1960年創業のイタリアンレストラアン「キャンティ」が在る。60年以上に亘り多くの著名人の舌を喜ばせ、文化人の社交場としても伝説的存在となった店だ。改装は何度も施されたが、躯体そのものは当時のままである。流石に敷居が高過ぎて未来店だが、お手軽な1Fのカフェなら伺いたいと思いつつ、本日の目的は此処では無い。「キャンティ」を横目に脇道に逸れ住宅地に向かう。

奥の路地に忽然とタイムスリップしたような洋風の住宅が現れる。

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『和朗フラット』という木造賃貸アパートで、昭和10年から13年かけて7棟が建てられ、現在も3棟が現存している。白い漆喰の壁にハイカラな木製ドア、幾何学的な窓枠...いつしかスペイン村と呼ばれたアパート群は90年近い時を経ても絶賛入居者募集中である[exclamation×2]

今日のお目当ては4号棟で営業するカフェ「ひなぎくきつね」だ。月に3日間しか開店しないクラシック菓子の隠れた銘店で本日が本年最終営業日なのだ。どの部屋なのか見分けがつかず、真ん中のアンティークショップで場所を聞く。一番右の部屋を恐る恐る訪ねると、薄暗い狭いフロアに4つのテーブル席が置かれた喫茶店だった。物腰の柔らかいマダムと思しきエレガントな初老の女性が現れる。女性3人組の先客が談笑していたが、喫茶タイムはすでに終了したと云う。菓子のテイクアウトをお願いすると、残り僅かなパウンドケーキの種類を丁寧に説明して頂いた。

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「山ガール」「緑と紅ルバーブのドイッチェ」というケーキを2個づつ持ち帰る事にする。帰り際にマダムから「良いお年を」と声を掛けられ何だか気持ちが温かくなる。素敵な方だ、この菓子も絶対に美味いに違いない。

この麻布台の一角は、超高層ビルが立ち並ぶ狭間でひっそりと時間が止まったように穏やかな時間が流れる不思議な住宅地だ。和朗フラットを含めたこのエリアの賃貸物件が多くの若者達に人気なのも理解できる。

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飯倉片町を跡にし次に乃木坂に向かう...

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桜の隠れた名所として個人的にお気に入りの「乃木神社」だ。明治期の軍神と崇められた乃木希典を祀った社に隣接して乃木夫妻が暮らした邸宅が現存されている。邸宅内部は原則非公開だが、年に8日間ほど一般公開され、本日が今年度の最後の日程なのだ。実は飯倉に向かう前に整理予約券を受け取り、夕方に戻って来たのである。

乃木大将自らが設計した和洋折衷の質素な邸宅である。地下1階部分の壁は白い大谷石、1、2階は黒の木材で作られて一見豪華な山小屋のようだ。内部は乃木夫婦の100年前の生活が窺い知れるようあまり手を加えず保存されているようだ。明治天皇崩御の際に夫婦で殉死した部屋もそのまま残されており、自刃した時の衣服が展示されていた。

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有名な203高地の攻防戦の司令官であった乃木は、後に日露戦争勝利の立役者に祀り上げられるが、自分の息子を含めて多くの犠牲者を出した戦いに戦後は悔恨の念を抱き続けたと伝わる。乃木大将の神格化の是非や当時の世相を述べるつもりは毛頭無い。ただ、国に、天皇に、殉じた精神が日本国中で讃えられた時代から未だ100年しか経っていない現実を噛みしめるのみだ。

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帰宅して、カミさんと娘夫婦で絶品スポンジケーキを戴く。一流パティシエの手による洋菓子とは対照的な自然な味わいに全員が目を丸くする。皆の脇では予定日より20日早く生まれた生後一週間の孫娘が寝息を立てている。TVではガザとウクライナの戦争の映像が繰り返し流れていた。憎しみの連鎖ではなく幸せの継承をと願う。

 



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早稲田に行く② [寫眞歳時記]

早大に来たなら是非とも此処に立ち寄らなければいけない[ぴかぴか(新しい)]

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ドラード和世陀・・・梵寿綱(ボンジュコウ)の手によるテナント併設のデザイナーズマンションである。早大正門から歩いて3分程の交差点で異彩を放って佇んでいる。バブル景気に向かって日本経済が黒いマグマを溜め込んでいた昭和末期の1983年に竣工された。

規格化された高層マンションが乱立した高度成長期に、商業主義優先の建築様式を真っ向から否定した若き建築家・田中俊郎は独自の世界を模索していた。70年代から梵寿綱と改名した彼の創り上げる独創的な作品群は賛否両論を巻き起こしながらも、いつしか彼は「日本のガウディ」と評されていくのであった。ドラード和世陀はこの奇才の絶頂期の作品らしい。

今春に事前情報を元に気合を入れて訪れたのだが、外壁の補修工事の為に全面に足場が掛けられており、全貌を確認出来なかった。女房が一階のアンテックショップで小物を買い物しただけに終わったが、今回ようやくこの建物に向き合えた。建築マニアの間で垂涎の建物と言われるのも頷ける驚愕のデザインだ。左右非対称の曲線を多用したユニークな造形で色彩は落ち着いた白を基調にしている。驚くべきは外壁に施された無数のオブジェや壁画である。

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1F部分は美容室、画廊、アンティークショップがテナントとして営業しており、2F以上が住宅という構成だ。ゆえに建物内にはエレベーターホールの手前までは自由に入る事が可能だ。恐る恐るニンニク大王みたいな男の舌に誘われて侵入すると、外装以上に常軌を逸した装飾に驚愕し、カオス的な非日常に溺れてしまう。

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後期のアントニオ・ガウディのような崇高な宗教性は全く感じられ無い。東洋と西洋の融合どころか節操の無い無国籍ぶりは見方によってはキワモノ系である。梵に共鳴した芸術家や職人十数人が自由気儘に制作したという造形の饗宴なのだ。
天井から垂れ下がる掌に触れると40年前の時流に反抗したクリエイター軍団の熱い血潮が脈打って聴こえたのは気のせいだろうか?

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梵寿綱の作品群は常に底知れぬパワーを発し、いつもでも見惚れてしまう魅力に溢れている。一方で「でも、このマンションの住民になる勇気は無いな」とアーチスティックになりきれない自分がいるのも確かだ。まことに異次元のクリエイターである。


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早稲田に行く① [寫眞歳時記]

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早稲田大学『稲門祭』に行ってみた。

残念ながら小生はW大OBでは無い。通うチャンスは高校・大学受験ともに一応あったのだが学力及ばずご縁が無かった学校である。今春、カミさんと展覧会の鑑賞に訪れたのが、「記念受験」以来実に44年ぶりの登校だった[あせあせ(飛び散る汗)]当日は展覧会場以外の校舎に入れなかったので、今回はじっくりとキャンパス内を回るつもりだ。目的は学園祭を楽しみに来た訳ではなく、早稲田の歴史的建造物の見学なのである。

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大隈記念講堂の内部に入るのも初めてだ。本日は終日コンサートが開催されており入場自由、もちろん無料。講堂内の意匠を眺めていたら、偶然にも中学時代の同級生に出会う。早稲田高等学院に奇跡的に入学した悪友で、確かに土壇場に勝負強い奴だった。無論、W大OBであり、今イベントの運営幹部の一人に収まっていた。お互いの近況を立ち話して別れる。昔の友人とは何年も会っていなくてもすぐ少年時代に戻れるものだ。

1927年竣工の早大の象徴とも云うべき様式建築の講堂は、材料一つ一つの重量感、内部の細かな意匠そしてホールの空間表現に至るまで、当時の建学への迸る精神を感じる迫力に溢れたものだった。

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會津八一記念博物館に移動する。2号館として1925年に竣工されて、長らく大学図書館の役割を担った建物だ。會津氏とは早稲田卒業の美術史研究家であり、1926年に同大の文学部講師となった人物である。70年の時を経て、彼のコレクションを始め多くの校友から寄贈された美術品を管理・公開する博物館に衣替えした。

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キャンパス内はテント露店が立ち並び来場者でごった返している。このうちW大関係者がどれほど占めているかは定かではないが、小生のような年配者はほぼOBと見て良いだろう。2号館を出るといきなりサンバ隊に襲われ、爺さんはドギマギしたりするのだが...どちらにしても恐るべしW大パワー。先の甲子園高校野球決勝戦で突如湧き出た慶應OBの応援が話題になったが、我が国の早慶伝説は未だ不滅のようである。

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気を取り直して、カメラ爺いはイベントにも露店にも目をくれずに歩を進める。と、突然、異彩を放つユニークなオブジェに囲まれた建築物に遭遇する。

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「村上春樹ライブラリー」と称された国際文学館である。4号館を隈研吾がリノベーションし、2021年に開館した。早大OBである村上春樹の全作品外国版含めた3000冊を収納・展示している。外観以上に内部の各部屋が示唆に富んでいる。作品をそのまま手に取れる読書ルーム、彼の音楽性をモチーフにしたJAZZ喫茶ルーム、今流行りの「聴く文学」室など、隈研吾がかつての堅苦しい文学資料館のイメージを払拭させ、村上ワールドを世代を超えて体感できるよう解き放った。隈氏は東大卒らしいが...とにかく彼らしい木の温もりを感じる美しいデザインだ。

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国際文学館の斜には好対照なレトロ風の洋館が建っている。「坪内博士記念演劇博物館」は小説家であり早大教授も勤めていた坪内逍遥の功労を記念して1928年に創られた演劇専門の博物館で、学内では「エンパク」と呼ばれているそうだ。設計は會津八一記念館と同じ今井兼次で、16世紀のロンドンの劇場「フォーチューン座」を模して建てられたと云う。(此処だけは内部の撮影禁止であった。)他に類を見ない日本演劇界の歴史を網羅した展示は貴重である。

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政治経済学部校舎の旧3号館前では、学内クラブのパフォーマンスが次々と繰り広げられていた。外の喧騒をよそに裏口から校舎に入ると少々驚かせられる。1933年に竣工した3号館の南側を残し、そこに覆いかぶさるように北側に地上14階のビルが建てられている。当然、新旧のビルは内部で連結されている。上野の「国際子ども図書館(安藤忠雄)」などに通じる、旧財産を保全しつつ最新設備のビルに立て替える工法であり、今更ながら最近の建築技術の凄さに圧倒されてしまった。

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最後に行動の裏に在る「大隈庭園」を散策する。大隈重信の別邸跡地であり、江戸期に在った大名下屋敷の庭園をモチーフに作庭されたと云う。丁度、庭園内で学生によるJAZZ演奏中で、大隈講堂と大隈記念タワーをバックに少し紅葉し始めた緑が夕日に美しく映えていた。

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140年間に亘り「私学の雄」として君臨する早稲田の歴史の重みを味わせてもらった。今はイベントにはしゃいでいる在校生にとっては日常の風景だろうが、君たちも40年後には分かるよ、と思いながら。


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迎賓館赤坂離宮の夜 [寫眞歳時記]


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不覚にも通期で一般公開しているとはつゆ知らず[むかっ(怒り)]
国賓来日のニュースの中でしか観たことが無かった世界に初めて触れて来た。しかも本日は、本館がライトアップされる特別夜間公開日なのだ。カミさんも我が家に居座る身重の長女も都合が付かないというので、爺さん独りで颯爽と赤坂に出掛ける。夜間撮影を想定して、本日のお供は久しぶりにフルサイズのSony α7Rだ。

迎賓館赤坂離宮・・・明治42年に東宮御所として建設された宮殿である。赤坂離宮と呼ばれていたが、戦後に皇室から行政の財産となり、改修を経て迎賓館となる。我が国唯一のネオ・バロック様式の建築物であり、国威を懸け当時の技術の粋を集めた近代建築の到達点と言われている。2年間の大改修を経て平成21年に国宝に指定された。

西門から入場し厳重な手荷物チェックの後、チケットを購入して本館見学だ。当然ながら写真撮影厳禁。ベルサイユ宮殿がフラッシュ無しなら撮影自由なのに対し、この辺りがお国柄というか、ずれているというか、「一体、何から守ろうとしているのか?」がいまだに分からない。芸術家個人の著作権が存在する訳でもないのに、我が国の文化財への頑なな姿勢には辟易する機会が多い。と、カメラ爺いの独り言は置いておき、本館内部の豪華絢爛な装飾は筆舌に尽くしがたかった。

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「朝日の間」「彩鸞の間」「羽衣の間」「花鳥の間」と名付けられた各部屋を巡ると、共同記者会見や晩餐会などのニュースの記憶と重なる。そしてテレビからは伝わらない国の威信を賭けた見事な意匠に直接触れ、溜息が漏れる。富国強兵を叫ぶ明治期に、西洋の真似事から追い付き追い越せと国力を高めた日本の弛まぬ努力が見える。ベルサイユやバッキンガムの模倣ではあるのだが、日本独自のモチーフが埋め込まれたり、和の匠の技が随所に光り、日本人のプライドを擽る。外国に見栄を張るならトコトンやれだ、どうせ我々の税金だし[あせあせ(飛び散る汗)]

普通の洋館や美術館と違いショップも喫茶室も無いのであっさりと退出し、庭から建物全体を眺める。噴水と花壇がある本庭は、通常は外部から見ることが出来ない一般人側からは裏庭なのである。

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徐々に陽が落ちてきたので、通りに面した前庭に廻る。本日は特別公開なので庭園内でガーデンカフェが設置されていた。キッチンカーが何台か営業しており、ライトアップまでの時間に軽食を摂る。トルティーヤなんぞ初めて食ったわい[あせあせ(飛び散る汗)]

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すっかり帷が落ちると演奏会が始まった。ヴァイオリン2基とチェロによる調べが、美しいドレスを纏った3人の美女によって奏でられる。PAの調子が少々悪いのが残念だったが、一瞬ヨーロッパの古都の街角で聴いている錯覚に陥った。

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近代日本の至宝を目の当たりにし、幻想的な演奏会に触れた、素敵な非日常のひと時だった。雲に覆われ星も見えない夜空から一瞬半月が顔を出す。煌めく迎賓館を眺めに来たようだ。

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