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消えゆくビルヂングに想う [寫眞歳時記]

日比谷から大手町に抜ける「丸の内仲通り」は、日中は常に歩行者に解放され、休日にもなればショッピングや食事を楽しむ多くの人々で賑わう。街路樹は新緑への衣替えを始め、等間隔に吊るされた鉢植えが行き交う者の目を楽しませてくれる。

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通りに面して高層の商業ビルがびっしりと立ち並んでいるのだが、有楽町側の一角で現在大きな再開発計画が進んでいる。久しぶりに歩くと、馴染み深い2棟のビルの入口が閉鎖され入館不可の状態になっていた。以前に撮り溜めた写真を織り交ぜて往時の姿を懐かしんでみる。

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有楽町ビル(1966年竣工)と新有楽町ビル(1969年竣工)である。ビルディングではなくビルヂングという言葉が嬉しい。ほぼ同世代のビルは道路を挟んで兄弟のように建っており、兄貴は洒落たワインレッドの壁が自慢の伊達者で、青いタイル張りの弟は無骨なナイスガイか。学生時代から有楽町ビルの2Fに在ったスバル座に映画鑑賞に通っていた為に、この界隈は馴染み深いのだが、5年前に映画館が閉館してからは自然と足が遠のいていた。ただ、この兄弟ビルヂングの内部の昭和ニッポンを彷彿させる意匠の素晴らしさは今も脳裏に焼き付いているのだ。味わい深いタイルの美しさと階段手すりの曲線が印象的だった。

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新有楽町ビルの向かいには同い年の「国際ビル(1966年竣工)」が建つ。帝国劇場の帝劇ビルと合築であり、実際は一つの建物だ。帝劇を含めたこのビルも来年の取り壊しが決定している。小生は帝国劇場よりも9階の出光美術館へ足を運ぶ機会が多く、国際ビル側のエントランスのデザインが好きだ。

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最後は「新東京ビル(1965年竣工)」だ。エントランスホールのモザイク画が圧倒的だ。以前紹介した東京交通会館と同じ矢橋六郎の手によるものだ。今の所、此処だけは取り壊しの予定は無いようだが時間の問題だろう。

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以前にも述べたが、近代建築というジャンルは保存性において他の多くの芸術品の中で圧倒的に分が悪い。絵画や工芸品はほぼ永久に残るし、法隆寺のように千年前の木造建築なら国が威信を賭けて守ってくれる。ビジネス目的や公共施設として造られる建築物は純粋な美術品とは違い期限付きの運命なのだ。だからこそ同じ時代を生き抜いた建物に愛おしさを感じてしまうのかもしれない。古いビルを無理して保存せよとは言わない。歴史は繋がり繰り返す。
丸の内一帯の地権者でもある三菱地所が行う今回の再開発で新しい風景と出会えるはずだ。そして100年後には「令和の思い出」として惜しまれながらまた消えて生まれ変わるのであろう。



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