『ブータン 山の学校』 [上映中飲食禁止]
慢性緊急事態症候群の東京都民の為、再度の延長戦にも狼狽えず、いつものようにマッタリと生活をしている。ただ、元来ナイトライフ主体の小生にとっては、夜の映画鑑賞と深夜喫茶での読書ができないのは少々辛い。なんとか間隙を縫って時間を作ろうとするのだが...
そんなわけで、都内のシネコンは全て休館な為、頑張っているミニシアターを目指す。久しぶりの「岩波ホール」で、心温まる良作に出会う。
岩波ホールでは最前列中央に座ると決めている。シネコンの大スクリーンでは後方中央寄り通路側が小生の指定席だが、当館のミニ・スクリーンではTV大画面を独り占めの雰囲気で味わえるベスト・ポジションなのだ。この時期に、こんなマイナーな文芸作品を鑑賞に来る客は20名ほど。何となく同胞意識をお互い持ったりして...
ある日、教師のウゲンは、ブータン王国で最も辺境の地であるルナナ村に転任するよう告げられる。彼はオーストラリアに行ってミュージシャンになりたいという夢を持っていたが仕方なく承諾し、1週間以上かけてようやくルナナ村に到着する。当初は電気もトイレットペーパーもない場所での生活を不安に思っていたウゲンだったが、次第に村になじんでいく。(シネマトゥデイより)
世界で一番幸せな国と言われるブータンだが、都会に住む若者の気性は世界共通なのかもしれない。首都ティンプーで教員見習い中のウゲンだが、仕事に全く身が入らない。怠惰な日々を送りながら、早くこの退屈な国を脱出して、オーストラリアで音楽で身を立てたいと考えている。そんな彼に、同国の教職制度らしいのだが、最後の研修地として僻地への赴任命令が下される。ビザの申請を済ませ、彼は、最後の仕事と割り切ってティンプーから8日間かかるというルナナ村に向かうのだった...
まず、ブータン人が日本人と酷似しているのに驚き、親近感を覚える。同じアジア系黄色人種でも、国によって微妙に人相の傾向が違うものなのだが、この国の人々とだけは相違点がほとんど感じられないのだ。お互いの先祖のDNAが密接に繋がっている以上に、国としての環境が似ている為かもしれない。豊富な水と緑に育まれた大地は四季折々の姿を見せ、仏教を国教とした立憲君主制度の王国は、まるで古き良きニッポンを見るようだ。まさに、人間はアイデンティティよりも、育った環境で人格が形成されるのを目の当たりした気分だ。
首都から2日間バスに揺られ、辺境の地方都市へ、そこから徒歩で6日間かけて標高4800メートルのルナナ村の学校にようやく到着するウゲン。彼は大歓迎を受けるが、電気も通っていない現代文明から隔離されたような地に違和感を覚え、早々に村長に辞退を申し込む。帰る準備に3日間かかると言われ、ウゲンはその間だけ、教材も黒板も無い教室で10人ほどの村の子供達に教鞭を振るう事にしたのだが...
出演者のほとんどは、現実のルナナ村の住民だそうだ。いくら山深い日本でも、8日間もかけねば行けない場所など存在しないが、これが今のブータン王国のインフラの実態であり、またルナナが如何に辺境の地であるかが窺える。村の子供達は「外の世界」を全く知らず、不定期に現れる都会からの先生が、唯一の彼らの世界を広げる扉なのだ。出演する子供達のピュアな眼差しと村人達の生活を捉えたカメラアイが非常に優しく、我々の心も解き放つ。実際の住民である9歳のペム・ザムちゃんの愛くるしさは筆舌に尽くし難い。今作の最大の見所だ
そして、ウゲンに現地の民謡を教える美少女・セデュ役のケルドン・ハモ・グルン。(彼女は首都ティンプーの学生らしいが)美しい歌声と笑顔が絶品だ
子供達との触れ合いの中で、予定の3日間が徐々に伸びていくウゲン。当初はひと時も手放さなかったスマホは、部屋の片隅で埃にまみれ、ソーラーバッテリーで充電出来ても、ゲームや音楽にも見向きもせず、教材づくりに励む。彼の荒んでいた心は徐々に浄化され、本来の優しさを取り戻していく。ウゲンは勉強を教えているつもりが、実はルナナの村人と大自然から、『大事な何か』を学んでいたのだ。結局、任務期間を全うした彼は、後ろ髪を引かれながら、小雪が舞い始めた学び舎を後にするのだが...
孫にしたいくらい可愛い