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魅惑の神田須田町を歩く③ [寫眞歳時記]

須田町2丁目の柳原通りから神田川沿いを歩き、1丁目の飲食街に戻ってみる。

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この店に伺ったのは、前々回に載せた『まつや』同様に40年前のバイト学生の頃の一回きりだ。そば通なら誰でも知る江戸藪蕎麦御三家のひとつと云われる明治13年創業の『かんだやぶそば』である。蕎麦屋のくせに来る者を選り好みするような重厚な門構えを通り、格式の高そうな店内の雰囲気に威圧されながら、つむじ風青年は、せいろを1枚注文するのだった。正直、味は覚えていない。ただ、やたらと蕎麦つゆが辛く、麺が少なく、値段が高かった印象が残る。

10年前に関東大震災後に再建された木造店舗が焼失し、当時のニュースでも大々的に取り上げられたが、翌年には無事再建。今や燦然と輝く東京蕎麦のブランドとして連日、全国からの観光客が店前に長蛇の列を成している。そして今回、小雨降る夕刻に先客が居ないことを確認し40年ぶりに再訪してみた。店内は厳かさよりも清潔感が際立ち、バリアフリー化されていた。学生時代に感じた圧迫感は微塵も無い。これは私が歳とったせいかもしれんが。窓際のカウンター席に案内され、量が少ないのを承知していたので、せいろを2枚注文する。これは社会人の余裕だな。

一瞬、民謡のBGMが流れたと錯覚したが、仲居さんが注文された品を謳うように厨房に伝えている声だった。店奥に帳場があり、大旦那と若女将と思しき二人が並んで切り盛りしている。嗚呼、思い出したこの雰囲気、これが老舗の暖簾か[exclamation×2]

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少し緑がかった蕎麦が清々しく、食べやすいように真ん中が盛り上がった竹すだれが嬉しい。うん、喉越しの良い蕎麦だ、つゆは昔通りに関西人ビックリの超辛めだ。小生は蕎麦マニアでは無く、味わうというよりは気持ちよく啜れれば「うめぇ蕎麦」なので、老舗伝統の味など分からんが、その意味では美味い蕎麦だった。高めの値段設定は、非日常を味わせてくれる暖簾代として割り切ろう。

最近、江戸っ子の本当の蕎麦の食べ方がレクチャーされたりしているが、気の短い当時の江戸の職人がつゆをあまり付けずに啜ったのが「粋」だと勘違いされただけで、「こちとらも江戸っ子でぇ、好きに食えばいいんだよ!」が小生の持論である。元々、寿司と蕎麦は江戸期のファーストフードであり、格好つけて喰うもんではないのだ[パンチ]

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そして向かいに見えるビルに『ショパン』がある。昭和8年に開業した音楽喫茶の体裁を今でも守る老舗喫茶店だ。昭和61年に現在の場所に移転して来たが、薄暗い店内は創業当時の調度品とステンドグラスが飾られ、ショパンの調べが終日鳴り響いている。高額な音響システムを使用している訳ではなく、小さなスピーカーから会話の妨げにならぬBGM的な風情だ。そして売り切れ必須のアンブレス(餡子のホットサンド)をやたら濃い目の珈琲で流し込めば、戦前のエセ文化人みたいな背徳気分に浸らせてくれる[わーい(嬉しい顔)]これで喫煙可なら、つむじ風禁断サテンの殿堂入り間違いなしだ。

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神田川に並行してJR中央線(総武線)の高架が延々と続いている。赤いレンガが時代を感じさる。この辺りには昔、「交通博物館」があり、幼少の頃に親に何度か連れられてきた記憶がある。更に遡れば、博物館と繋がって旧国鉄の駅舎が此処に存在したのである。

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『万世橋駅』が開業したのは明治45年。東京から甲府を経由して名古屋を結ぶ中央本線のターミナル駅として、上野駅、新橋駅と並ぶ東京を代表する駅だった。赤煉瓦作りの駅舎は東京駅と同じ設計者・辰野金吾による豪華なもので、路面電車のターミナルとしても大いに賑わったと云う。連雀町(須田町)の繁栄には交通の利便性も大きく関わっていたのだ。

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大正8年に東京駅が開業し、更に近隣に神田駅・秋葉原駅も出来、ターミナル駅としての地位を徐々に失う。結局、昭和18年には博物館部分を除いて取り壊され廃駅となった。まさに無計画な当時の交通行政の所以であろう。平成18年に交通博物館も閉館、そして25年に博物館跡地にJR神田万世橋ビル(写真右)、廃駅跡を利用した商業施設「マーチエキュート」(写真左)が完成する。新ビルには往時を彷彿させるモニュメントが点在し、マーチエキュートでは洒落たショップと万世橋の遺構の融合を魅せてくれる。

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エキュートを出るとすっかり夜も更け、街にネオンが灯り始める。当時、駅前広場のシンボルだった広瀬中佐銅像の場所に一本のポールが立ち、周りを路面イルミネーションが飾る。

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帰路、JR秋葉原駅に向かって歩く。万世橋のたもとで、戦後の秋葉原の変遷を見つめ続けてきた『肉の万世』が毒々しいまでの輝きを放っていた。無性に「万かつサンド」が食いたくなったが、本日のカロリーオーバー確定なので諦める。学生バイト時代によく歩いた道は、コロナ禍を乗り越えて賑わいを取り戻し、メイド姿の女の子たちが気だるそうに客引きをしていた。人間の逞しさが街を作り、街を変え、人々の生活の彩りを鮮やかにする。

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おしまい





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