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『甲斐荘楠音の全貌』 [上映中飲食禁止]

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「甲斐荘楠音」と云う名の芸術家は全く知らないのだが、キテレツな名前とポスターのアンニュイな女性絵画に食指が動き、東京ステーションギャラリーに来た。東京駅でも八重洲口は年中通るのだが、丸の内北口は久しぶりだ。

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何気に通り過ぎているが、北口改札の復元された天井ドームをじっくり眺めていると見惚れてしまう。東京駅の見どころは他にも万華鏡の如くとりどりなので、後日じっくり攻めるとして本日は美術展なのである[ぴかぴか(新しい)]

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甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)・・・楠木正成の末裔と言われる一族に生まれ、大正から昭和にかけて活躍した日本画家と映画人の顔を持つ芸術家だ。彼の描く官能的な女性は一躍人気を博したが、滲み出る深きデカダンスが画壇では賛否両論の的にもなったと云う。

横櫛(1916年)
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躍る女(1920年)
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同じ大正ロマンに括られるとはいえ竹久夢二の退廃さとは根本的に違う。彼の描く美女の微笑みは『モナリザ』や古代ギリシャのアルカイク・スマイルに近い普遍的な幸福感を湛えつつ、決して男は開けてはならない情念の塊を孕んでいるようにも見える。

人気作家となった楠音だったが、画壇内での確執から強烈な個性の輝きを徐々に失い始め、映画監督・溝口健二との出会いを契機に映画界に転身する。以降約20年間に亘り、時代風俗考証家として活躍し、特に衣装デザイン面では彼の稀有な感性が遺憾無く発揮され、海外でも高く評価された。200本以上の参加作品の中でも『旗本退屈男』シリーズの衣装は彼抜きでは成立しないと言われた。市川右太衛門の派手派手な衣装のほとんどが彼の手によるもので、その一部が展示されていた。絵画のみならず、見る者を一目で引き込む斬新なデザインの力に圧倒される。当時の映画がモノクロだったなんて勿体無い[パンチ](宣伝用にチラシだけカラーなのだ)

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溝口監督が死去し映画界を去った彼は再び絵画の道に戻る。晩年は健康を害し制作数は極端に減るが、映画転身前の作風から毒が抜けたような清廉な美しさに目を奪われた。大作「虹のかけ橋」の制作期間は1915年から1976年だ。楠音は映画転身中も少しづつ筆を入れ、何度も花魁の顔を描き変えたと云う。そして辿り着いた「女の美」の境地。

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展示の最後は未完の屏風絵「畜生塚」である。この作品も制作を始めたのは1915年。20名の女性の下絵までしか描ききれておらず、顔と黒髪のみ彩色が施されている二人だけの表情が無情に際立つ。生涯をかけて美を追い求める芸術家の凄みの一端を見た思いだ。まさに甲斐荘桐音と云う一般には知られない芸術家の真髄を見せてくれた充実の展覧会だった。

明治期開業時の赤煉瓦を見ながら会場を跡にする。

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そして向かうは本日の夕食。東京駅地下街を少し歩きKITTE(旧東京中央郵便局)を過ぎると懐かしの看板に辿り着く。1947年、大阪発祥のカレーショップ『インデアンカレー丸の内店』だ。

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大阪単身赴任時代に何度かお世話になりました[わーい(嬉しい顔)]
そして注文するのは名物「インデアンスパゲッティ」だ。カレーライスは何処でも食べられるが、こんな裏メニュー的存在をメインにしてしまう大阪魂が好きだ[ぴかぴか(新しい)]

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[わーい(嬉しい顔)]ご馳走様でした[わーい(嬉しい顔)]




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