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『松濤美術館』と周辺を歩く② [寫眞歳時記]

松濤美術館を出るとすぐに、向かい合った古い2棟のマンションに出会う。惚けて歩いていれば見過ごすところだが、最近の無機質な建物には無い温もりとレトロな装飾に誘われ足を止める。

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シャンポール松濤・・・1969年竣工のヴィンテージマンションだ。『日本のガウディ』と呼ばれる梵寿綱(ぼんじゅこう)の若かりし頃の設計である。早稲田にある「ドラード和世陀」を通りがかり度肝を抜かれて以来、この奇才に興味を持った。いづれ彼の足跡をじっくり辿るつもりだったが、今回偶然にも改名前の田中俊郎時代の作品に巡り会えた。梵寿綱を名乗る70年代中期以降の一目で彼と判る毒々しくもファンタジーな装飾は影を潜めているが、半世紀以上前のデザインとは思えぬ存在感を醸し出している。高度経済成長期において画一化され効率重視のマンションが乱立された事で建築の未来に危機感を覚えた彼は、この頃から独自の世界の構築へ歩を進めていたのである。そんな若き建築家の熱い意志が詰まった建物が現存し、今出会えた僥倖に感謝する。

シャンポールの向かいに在るのが「秀和レジデンス松濤」。大手デベロッパーの手によるものだが、1970年の完成であり1年前に建ったシャンポールに対抗したのか、コッテリ塗りたくった外壁と青い庇の取り合わせが美しい。

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松濤地区は、広大な敷地を持つ大邸宅が多く高層マンションは極めて少ない。この2棟のヴィンテージマンションはこの閑静な住宅地では珍しい存在だが、不思議とレトロなフォルムが街に溶け込んでいる気がする。下世話ではあるが、シャンポールの現在の価格を調べると、1LDKの分譲が6,000万円、賃貸で月額20万円だった。私の住む下町で築55年の物件ならば、せいぜい5,6万の賃貸料だ。流石、松濤、レベルが違う[がく~(落胆した顔)]

Bunkamura方面に少し歩くと、博物館並みの独特の形状の建物が見える。黒川紀章の手による『松濤倶楽部』(1980年竣工)だ。古代の宮殿に和の障子が重なったような瀟洒なデザインが印象的だ。「倶楽部」と謳っているが、なんと個人の邸宅らしい[がく~(落胆した顔)]

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少し歩いただけで次々と目を奪われる建物に出会うが、ほとんどが個人宅なのでじっくりカメラを向けるのは少々憚られる。洒落た洋館は「シェ松尾」の本店だった。「こんな有名な高級フレンチには縁がないね」と話したら「あら、昔、お友達とランチに来たわよ」と妻。「[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)][たらーっ(汗)](誰と来たんじゃ〜)」

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「ギャラリーTom」は1984年に内藤廣が手掛けた住宅兼ギャラリーである。視覚障害者でも触れて楽しめる作品を展示する小さな美術館だ。全く人気が無かったが入場してみると、年配の女性2名が何やら忙しそうに駆け回っていた。「すみません、休館中なんですよ、9月の展示会に向けてバタバタしてるんです」との事。内部は、吹き抜けのギャラリーに太陽光が降りそそ注ぎ、打ちっ放しのコンクリートと木材の展示台を際立たせていた。秋にはじっくり伺いたいと思い退散する。

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流石に汗だくになり、自販機で水を買って向かいの公園でひと休みだ。実はこの「鍋島松濤公園」の中にも見所がある。隈研吾デザインの公衆トイレだ。
渋谷区は「THE TOKYO TOILET」と銘打って区内17ヶ所に世界的なクリエイターの手による独創的な公衆トイレを設置した。そのひとつがこれなのだ。木材を使わせたら随一と言われる隈氏の遊び心溢れる一品だ。

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この公園のそばに、小生の敬愛する三島由紀夫が青年期に過ごした家が在った。戦前の中学生時代から「仮面の告白」を発表する25歳までの青春期に、この公園に来ていたでろう彼の姿を想像すると不思議な気分になる。この三島家(平岡家)の旧宅を音楽家の松本隆が購入し、新居を建てたのは知る人ぞ知る話し。古家は移築は叶わなかったが解体され、建具が岡山県の犬島精錬所美術館でアート作品となって今も息づいている。そして松本氏が新居建築を依頼したのが若かりし妹島和世なのだ。1997年に完成した音楽スタジオを備えた地上1階地下1階の邸宅は、外見はコンテナハウスのような無味乾燥を装いながら内部は光を大きく取り込んだ温もり溢れる素敵な構造となっていた。
M-HOUSE」と名付けられた建物は、その後、世界的建築家となった妹島氏の初期の代表作として語り継がれることになる。

ヒーロー乾電池(犬島精錬所美術館)此処も行きたい[exclamation×2]
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M-HOUSE
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M-HOUSEは松本氏の関西移転により2012年に売却される。買主には妹島氏の傑作なので取り壊さぬように頼んだと言われているが、1996年にはこの地は更地になった。個人の所有物である限り資産をいかに活用しようが、それは所有者の自由なのだから致し方無い事である。

文学や音楽の範疇の芸術は時代によって評価が変わっても消え去る事は無い。だが建築には寿命がある事に今更ながら気付いた。松濤の散歩から著名な建築家達の作品に出会い、三島由紀夫と松本隆と妹島和世の縁に辿りつき、有限の美の崇高さに思いを馳せる一日だった。
 



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