「旧安田楠雄邸庭園」 [寫眞歳時記]
文京区千駄木の団子坂から脇道に逸れて住宅地を歩くと忽然と瀟洒な和風建築のお屋敷に出会える。春先の日曜日に女房と散歩中に見つけたのがこの「旧安田楠雄邸」だ。当日は閉館中だった為「いつか入りたいね」と言っていたが、年に2回の防空壕公開日に都合がつき、仕事が入った女房を泣く泣く置いてひとりで訪れてみた。
大正8年「豊島園」の創始者・藤田好三によって建てられ、同12年に旧安田財閥の創業者である安田善次郎の婿の善四郎が買取って以降、安田家の邸宅となった。善四郎の孫にあたる安田楠雄が平成7年に逝去され、翌年に未亡人により日本ナショナルトラストに寄贈された。莫大な相続税により売却を検討したが、取り壊しの危惧があった為に財団法人に寄贈し保存管理を委託した彼女の英断の賜物なのだ。現在、未亡人一家は広大な敷地の庭の片隅のみを相続し家を建てて住まわれているというのが、ボランティアの方の説明だった。
大正8年に建てられた和風邸宅は、関東大震災と太平洋戦争の2度の被災を免れて、ほぼ完全な姿で現在も残されている。都内の戦前からの建築文化財の多くは、所有者の美術品を展示する博物館に衣替えしたり、テナントとして貸し出され飲食店やブティックなどに二次利用されているものも多い。この邸宅で驚くのは、人々の生活の香りそのものが今も感じられることだ。ことさら宝飾品・美術品を並べる事もなく、平成の時代まで暮らした家族達の調度品が昔のまま自然に飾られているからだ。大正モダン漂うデザイン、和洋の匠の技を感じる木材・ガラスの装飾、戦前からの電化製品などに目を奪われてしまう。
こんな磨りガラスは今では作れないだろう
やっぱり蓄音機はビクター
お洒落な照明器具
「アイランドキッチン」のはしり
シャワー付きの浴室だ
蚊帳が懐かしい
邸宅奥の仏間にある防空壕に入って見上げてみる
カミさんには申し訳なかったが、往時の大邸宅を存分に堪能させてもらった。営利目的ではない為に週2日(水・土)の公開だが、時間帯によってボランティアの方の説明が聞ける。不定期だが音楽会(蓄音機を聴く)などの小イベントが催されたり、桜・紅葉の時期は庭園が開放される。調度品を傷つけぬよう細心の注意が必要だが、館内写真撮影もOKだ。個人的には、都内の歴史的建築物の隠れた名所だと思う。代々の所有者の方がこのお屋敷に愛情を注いで住まわれたのが肌で感じ取れる稀有な建物だ。唯一、当然の事ながら当時のままなので冷房設備が無く、この日のような真夏日は少々辛かった。とにかく汗を吹き出しながらの鑑賞撮影だった。
邸宅を出て自販機を探し日陰で麦茶を一気飲み状態。自宅に向かうも、まだ身体が水分を欲し誘惑に負けた爺さんは浅草・合羽橋の甘味処で途中下車なのだ