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下谷〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]

台東区下谷は浅草と上野の中間に位置する下町情緒が残る地域だ。昭和20年3月10日の東京大空襲で、東京市東部が焦土と化した。小生が住む墨東地区の建物ほぼ全てが灰塵となったが、奇跡的に焼け残った地域が永らく戦時の記憶と共にその遺構をとどめた。そんな幸運に恵まれた建物達も時代と共に徐々に建て替えられ姿を消して行く。小生の町の近所では、現在の台東区東上野から蔵前にかけてが戦災を逃れた家屋が多かったようで、街を歩いていて唐突にタイムスリップした建物に出会う。下谷もそんな場所なのだ。

下谷神社(社殿は昭和9年築)
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比留間歯科医院(昭和4年築)現役です[exclamation×2]
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住宅地には「銅板貼り家屋」が散在している。全て住居や飲食店として現役だ。
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戦後の建設と思われるが当時はモダンな建物だったろう
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 先日、亡母の戸籍を役所に取りに行ったが、出生時の戸籍が見つからず、交付できない旨の「告知書」が発行された。そこには、昭和20年3月10日の戦災で資料が焼失されたと記載してある。まさしく東京大空襲である。意外なところから77年前の戦禍に想いを巡らせる。

 今はウクライナ戦火のニュースに世界中の人々が心を痛めている。小生は、プーチンの主張も一聴に値すると思うし、ロシア・ウクライナのどちらが正しいとは言い切らない。そもそも歴史観も価値観も違う西側と東側に共通する「正義」などは存在しないのだ。我々ニッポン国はたまたま所属している西側の視線で判断しているのに過ぎない。
 但し、「戦争」が殺人行為であるのは普遍の真実であり、非戦闘員を標的としない紛争など詭弁である事は過去の大戦が証明している。隣国の人権を無視した時点で、プーチンは政治家としての資質を失い狂った暴君と化した。大義名分の有無に関わらず、殺人を推奨する為政者の存在を許してはいけない。プーチンはロシア人民によって裁かれねばならず、その為に世界は連帯して、武力以外の手段でロシアの国力を徹底的に削がなければならない。
 人類の繁栄と進歩は、飽くなき技術開発により成り立ってきた。先のオリンピックでも解るように人間の体力も進化し続けている。変わらないのは人間の穢れた「欲望」だけだ。征服欲・名声欲に塗れた権力者が弱者を搾取する構図は、有史以前から繰り返される。

 今回の紛争をAIで予想した結果に双方が納得して早く終わらせればいいのに。人命ほど尊いものはないのだから。3月10日を直前にして、そんなくだらないことを考えてしまう。

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