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鳥越・おかず横丁〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]

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台東区鳥越にある「おかず横丁」
戦前の面影をいまだに残す都内でも数少ない商店街だ。
小生の中学生時分の賑やかな雰囲気はすでになく
休日の午後の為に休業の店舗も多くなおさら寂寥感が募る
それでも戦災を免れた奇跡的な建物達が激動の時代を語りかけてくれる

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GILLE(ジル)・・・小生の大好きな歌声[揺れるハート] 声帯ポリープの為、一時活動休止していたが、「JILLE」に改名し復活。いまだブレイクせずとも一部の熱狂的なファンに支持されている本物志向のアーチストだ。

TREASURES(初回限定盤)(DVD付)

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  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2014/08/13
  • メディア: CD

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『やがて海へと続く』 [上映中飲食禁止]

                           [ぴかぴか(新しい)]無性に愛おしさが募る珠玉の作品[ぴかぴか(新しい)]
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引っ込み思案の真奈(岸井ゆきの)と、自由奔放なすみれ(浜辺美波)は親友同士だったが、一人旅に出たすみれはそのまま行方知れずになる。親友がいなくなって5年が過ぎても、真奈は彼女の不在を受け入れられずにいた。そんな折、真奈はすみれと以前付き合っていた遠野から、すみれが大事にしていたビデオカメラを渡され、そこに残されていた彼女の秘密を知る。(シネマトゥデイより)


限るある命と永遠に続く人の想いを、パステル調の絵本に柔らかい文体で綴られた詩のごとく映像化された美しい映画だ。現在売り出し中の若手女優である岸井ゆきの浜辺美波の競演が、この重厚なテーマを清らかに優しく染め上げて行く。

大企業傘下のレストランでフロア長として働く真奈の回想として物語が始まる。大学入学時のサークル勧誘の喧騒の中で二人は出会う。内向的な真奈は、奔放なすみれに常に振り回されながらも憧れと親しみを感じ、二人が親友となるのに時間は掛からなかった。

岸井ゆきの・・・三十路には見えない外見の幼さを持ちながら大人の柔らかい色気を内に秘めた女優だ。万人受けする正統派美人ではないが、ごく一部の男性が熱狂的に嵌るタイプで、朝ドラ「まんぷく(2018年)」出演時の配役がまさしくそうだった。製作陣からも玄人受けしているようで、地味な印象の女優だがTVドラマ、映画の主要役で最近は引っ張りだこだ。表情ひとつから感情表現が豊かかつ自然な演技が優れており、今作のような詩的な作品で彼女の力は一層際立った。

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浜辺美波・・・知名度からしたら彼女が主役かもしれない。愛くるしいキャラが似合うアイドル的な扱いの若干21歳、若くして多くの映画賞を総なめしている女優だ。素顔はソバカスが目立つ純日本人体型で、スタイリッシュなモデル系美人ではない。だが近所にいそうな可愛い元気な女の子的な親近感に合わせて、岸井同様の演技の引き出しの多さは同年代女優の中では抜けており、昨今の人気も十分に頷ける。その彼女が脇役にまわり、想いを隠したまま消えた親友役を演じた。TVのラブコメ系ドラマでは滅多に見せなかった彼女の隠れた実力が発揮され、美しき本作により深い彩りを添えた。10年前の吉高由里子以来久々の『ワンピースが似合う若手女優』の筆頭格であり、小生垂涎の未完の大器[揺れるハート]

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学生生活を謳歌した後、一時距離が空いた二人だったが、或る晩突然にすみれが真奈の部屋に転がり込み同居生活が始まる。お互いの心の隙間を埋め合わせるような幸せな日々が続いたが、1年後に彼氏と同棲するという理由ですみれは真奈の部屋を出て行くのだった。その後暫くして、「東北に一人旅してくる」と真奈に言い残したまま、すみれは二度と帰って来る事は無かった。2011年3月上旬だった...

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東日本大地震から5年が経過し、すみれの元恋人・遠野(杉野 遥亮)から真奈に連絡が入る。自分は結婚するので、部屋に残ったままのすみれの遺品を整理したいから手伝えと言う。すみれの愛用したビデオカメラを引き取りながら、過去と決別し前に進む遠野に違和感を覚えつつ、真奈自身の時計が5年間全く進んでいない事に気付く。時を同じくして、真奈の勤務先の上司・楢原(光石研)が自殺をする。親会社のエリートからドロッアウトし子会社レストランの店長に収まっていたが、決して卑屈にならず、和やかな店づくりをスタッフ全員と取り組んでいた矢先だった。毎日、顧客の雰囲気に合わせて自分の持ち込んだCDを選んでBGMを流すような楢原に、真奈は尊敬と親しみを感じていたのだった。だが、新しい店長は効率的な働き方を従業員に提案し、BGMも有線に変わる。それでも何も無かったように繁盛し、賑わいが続く店に真奈は戸惑いと絵に言われぬ寂しさに捉われる。

真奈は密かに想いを寄せていたシェフリーダーの国木田(中崎敏)を誘い、東北旅行に出掛ける。すみれが最期に歩いた地で彼女と向き合う為に。すみれの吐息が聞こえるような海岸線で、偶然に二人は震災行方不明者の家族の会合に出会す。画面は一転、家族達のインタビューに変わる。かけがえのない人と別れたままの家族が、それぞれの想い(俳優による演技とリアルな会話と思われる)を語る映像が続く。荒天の晩、現地の民宿で別々の部屋で夜を明かした二人は壁越しにお互いの命の息吹を感じる・・・本作の隠れた名シーンだ。翌朝の雨上がりの海は雄大かつたおやかで、まるで真奈との決別を喜ぶ外連味のないすみれの笑顔のようだった。すみれの死を受け入れた真奈は前を向こうと思った...

これでエンドクレジットと思いきや、自宅に戻った真奈がすみれの残したビデオを初めて観る場面に変わり、大学入学時からのすみれの回想が展開される。押し隠していた彼女の一途な真奈への想いが切々と描かれていき、胸が苦しくなるほどだ。すみれの熱き魂は、肉体はかき消されようが、海と同化し雲となり雨となり数多の生き物の糧となり、また海へと戻る。そして延々と続くループの中で優しく真奈を見つめる様を、淡い色調のアニメーションが示唆して物語は終わる。

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誰もが経験する大事な人との永遠の別れ。それが唐突であればなおさら当事者は受け入れられずに永く喪失感に苛まされる。だが容赦無く時間が流れ、世間の日常はあいも変わらず続くのである。
先立つ者と残された者の関係を、最近流行りの「スピリチュアルな現象」に頼らずに真正面に捉えた秀作だ。人間の出会いと別れという根源的なテーマを大自然の繰り返される過程になぞる。水が姿を変えながら数多の生物に命を吹き込むように、人間の失われた魂も残された人の生きる糧になり、人間同士の営みとはその繰り返しであると諭す。
哲学的もしくは説教風になりがちなストーリーが、新進女優二人の透明感溢れかつ深い想いを秘めた演技によって、美しい一編のポエムとなり観る者の心を震わせる。アニメーションの導入やインタビューの唐突な挿入など演出面で凝りすぎた面も否めないが、それを持って余りある映画の力。静謐でありながら魂が熱くなる邦画の秀作である。





◎おまけ

小生が浜辺美波を見初めたのは、映画でもTVドラマやCMでもなく、Aimerの1本のMVからなのである。深夜アニメ『恋は雨上がりのように』のエンディング曲「Ref:rain」での歌声に興味を持ち、彼女が小生の愛しのCoccoに傾倒しているのを知り、CDを購入したのだった。同時期にこれまた小生が嵌まった劇場アニメ「Fate/stay night [Heaven's Feel]」の主題歌も彼女の作品だったいう「奇遇」までも感じ、完全に虜になった。その映画宣伝用のMVに出演していた美少女が浜辺美波なのである。もう4年以上前の両名ともがブレイク前の作品だが、小生好みが詰まった思い出の作品なのである。








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今荘【うなぎ・神保町】 [江戸グルメ応援歌]

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威容を放つ外観に惹かれ、一度は伺いたいと思っていた鰻屋さんだ。平日ランチタイムのみの営業の為、小生の勤務地からさほど遠くもないのだが意外と機会が無かった。ようやく、余裕のある昼間に地下鉄に乗って3駅で辿り着いた。

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今荘・・・明治30年創業。現在の建物は昭和8年の竣工である。独自の和洋折衷のデザインで、唐破風(玄関部分)と千鳥破風(上層部)が混在した意匠で中間の丸窓が不思議なアクセントになっている。創業当初は牛鍋店だったが、昭和50年代にうなぎ専門店に転身したらしい。その時期は小生がこの街を徘徊していた学生時代にあたるが、残念ながら記憶には無い。当時の私には、鰻もすき焼きも高嶺の花だし、今ほど古い建物にも興味が無かった。朽ち果てかけた木製の看板は創業当時の一世紀越えの代物とみた[目]

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12時ちょうどに入店、外観から想像した通りの「昭和の食堂」風景だ。厨房を囲んだL字カウンター席と大座敷にテーブル席が8卓だが、コロナ仕様の一席空けルールによりMAX20名収容だろうか、満席だったが10分ほどでカウンター席に案内された。年配女性2名と職人1名の少数精鋭の体制で切り盛りしている。お品書きは1点〜うな重3,500円のみで、希望のご飯の量だけ伝えれば良いという、なんと潔い商売[exclamation×2]
小生より一回り上と見える女性コンビの動きが小気味良い。注文聞きからお重へのご飯詰め、吸い物作り、配膳・片付け・会計全てをこなす。焼き場は2人前しか同時に焼けない広さのようで、蒸し方・焼型を一人でこなす職人さんも大忙しだ。しきりと仕込んだ鰻串の数を確認し、残数を女性に伝えている。当日は小生の後に並んだ5人で売り切れ御免と相なった。1日に決めた仕込み以上は調理しない方針らしく、人気店ゆえもっと稼げるはずなのに無理をしない。女性陣の年齢を考慮すれば現実的でもあり、江戸っ子らしい割り切り方というべきか。そして幸運にも初訪問でありつけた鰻重の味は...

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江戸のうなぎじゃ〜[わーい(嬉しい顔)] そして懐かしい昔の鰻重の味がする。今ほど鰻が高額では無かった幼少の時代、それでも年に一度くらいしか家族では食べられなかった憧れの味が蘇った。そう、普通に美味しい鰻重なのだ。入手困難な食材を使用したり、職人の巧みな技が窺える訳ではない。米も特別に拘っていない。適度な柔らかさの蒸し加減が甘すぎないタレと調和して川魚本来の鰻の風味を引き出す。とにかくこのテリ加減を見れば、江戸っ子には十分過ぎるのだ。お吸い物もしっかり「肝吸い」であり、一品メニューの鰻屋の心意気を感じる。今のままマイペースで末長く商売を続けて欲しい店だ。働き者の顔ぶれと戦前の香り残す建物と共に。
高コスパの店を見つけたとはいえ、やはり鰻は頻繁に食せる金額の料理では無い。でも月1は食いテェな〜。普段の昼飯は立ち食い蕎麦でいいから...[ぴかぴか(新しい)]




マンボー終了から1ヶ月近く経過し感染再爆発の足音がヒタヒタと忍び寄る中、東京の外食業界は少しづつ息を吹き返している。今までは一部の有名店のランチタイムのみにグルメ達が殺到する傾向だったが、最近は夜の帳が下りれば多くの一般酔客で繁華街は賑わいを取り戻している。着なれないスーツ姿の新入社員と思しき若者達が酔い潰れている光景は、昨春には全く見られなかった。少しづつ「日常」が戻ってきているのかと感じつつ、果たして「日常」とはなんぞやと我に帰る。マスク姿でパーティションに囲まれた会食だろうと十分に「平和な日常」ではないか。東欧の戦火のニュースに触れ、「日常」を奪われる悲惨さを知る。日本人であることの幸せを感じつつ、迫害が続く遥か異国の人々に対して全く無力な自分に苛立つ今日この頃である。



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『TITANE/チタン』 [上映中飲食禁止]

久々の驚愕[exclamation×2] 異端の傑作[ぴかぴか(新しい)]

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幼いころ交通事故に遭い頭部にチタンプレートを埋め込まれたアレクシアは、それ以降車に対して異常なほどの執着心を示し、危険な衝動を抑えられなくなる。やがて行き場すら失った彼女は、10年前に息子が失踪し今は一人で暮らす消防士のヴィンセントと出会う。彼の保護を受けながら二人は一風変わった共同生活を始めるが、アレクシアの体にはある秘密があった。(シネマトゥデイより)

荒唐無稽なSFを日常に自然と溶け込ませる魔術[ぴかぴか(新しい)]昨年のカンヌ映画祭パルムドールに輝いたフランスのジュリア・ヂュクルノーが紡いだ映像絵巻は、まさに現代の地獄絵か[exclamation&question]ホラー・スプラッター系B級映画の奇天烈さが随所に押し出されているが、常にクライムアクション特有の張り詰めた緊張感に全体が覆われている。だが作品の本質は、倒錯した純愛の物語なのだ。

幼い頃の手術で頭部に金属を埋め込まれたアレクシアは、今はモーターショー専門のダンサーとして人気を博していた。肉体的な健康は取り戻してはいるが、術後以降、車に対して異常なまでの性欲を抱く体質になってしまう。映画内でのカーセックスのシーンは見慣れているが、「車との性交」映像は古今東西、初めてだ[がく~(落胆した顔)] 或る夜、ストーカーに付き纏われたアレクシアは発作的に彼を殺してしまう。その刹那、彼女の快楽殺人のスイッチが入る。頭の中のチタンプレートが、人間の温もりを嫌悪し排除せよと命令するのか、彼女は連続殺人鬼と化すのだ。

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未知の女優だが、アガド・ルセルが15禁ならではの見事な肢体で寡黙な殺人鬼を熱演だ。指名手配となったアレクシアは本能のまま逃亡を続ける。髪を剃り、自分の拳で顔を変形させ、尋ね人のビラから10年前に行方不明になった少年になり切るのだった。警察に保護されていた彼女は、少年の父親を名乗る謎の男に引き取られて行く。

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ヴァンサン・ランドラが主役同様に偏執的な父親ヴァンサンをリアルに演じる。消防隊長で多くの部下から心棒される彼だが、実は強靭な肉体を加齢から守るために覚醒剤を常習するナルシストだ。そして10年前に亡くなった息子が生きていると妄想し、探し続けていたのだ。中盤以降は、この狂った偽親子の感情の起伏と行動の変化が緻密かつ壮絶に描かれていく。

自分が妊娠していると知ったアレクシア。男親は当然「CAR」という設定だが、既に観客は自然にそれを受け入れてしまう演出の流れが凄い。胸と膨れた腹をガムテープで締め付けて必死に青年に成り切ろうとする彼女だが、結局、ヴァンサンに女性である事を知られてしまう。それでも「俺の息子だ」と彼女を固く抱き締める彼に、アレクシアは嫌悪感どころか今まで得た事のない安らぎと愛おしさに満ち溢れるのだった。

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臨月...モーターオイルと思しき黒い体液に塗れ、張り裂けそうな腹部から金属的な軋みが聞こえる。アレクシアの傍らには産気づき苦しむ彼女の手を固く握る父ヴァンサンの姿が。父は愛する息子(娘[ダッシュ(走り出すさま)])の赤子を必死の形相で取り上げる、と同時にこときれるアレクシア。父が抱き上げた赤ん坊の姿は・・・

SF世界での悪徳も不条理も、二人の異常なまでの愛の深さの前に霞んでしまうほどのリアリティーに胸が焦がれる。父親からの愛情を一切注がれなかった女性は、生身の人間から身も心も金属的な物質へと変身して行く。愛する息子を失った男は、子供が生きていると信じる妄想の中でしか生を実感できない。快楽殺人鬼のダンサーと薬漬けの狂乱親父が出会い、偽の親子から真の家族となった刹那、天から奇跡を与えられる。それは二人が追い求めた生の終焉であると共に家族の愛の物語が続くことを暗示する。

至高の愛の物語を驚愕の手法で表現したフランスの奇才に拍手喝采である。独特の様式美を纏った映像とロックビートの融合は心地良く、二人の俳優の研ぎ澄まされた演技によってストーリーの緊張感は半端ない。男装したレズビアンのアレクシアに、女装趣味のあったヴァンサンの亡き息子を重ねる部分はジェンダーレスを謳う現代を投影する。そして人間の性別を超越して金属との性愛まで具現化し、観客までも倒錯の世界に引き込みながら、最後は親子の愛情と生の喜びを高らかに謳い上げる美しき人間ドラマに精錬して行くのだ。ハリウッド映画では決して味わえない快感が嬉しい狂気の傑作であった[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]




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本郷②〜昭和散歩道〜 [寫眞歳時記]

本郷の街歩きの続きです...


求道教会の斜向かいに古めかしい旅館を発見
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鳳明館森川別館〜現在休業中のようだが門構えが味わい深い[かわいい]
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別館があるなら本館もあるはずと、Map検索しながら入り組んだ迷路を歩く。
見つけました、見つけました[目]

鳳明館本館
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向かいに鳳明館台町別館
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残念ながら、どちらも休業中だ。後日調べると、本館は1905年に建築された下宿屋で、登録有形文化財だ。昭和初期に旅館業に転業し、その後二つの別館も併営し、永きに亘り都内の代表的な老舗旅館として多くの宿泊客を和ませたが、昨年5月に3館全てが休業し、再開の目処は立っていないようである。

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往時の匠の技が堪能できるであろう内装にも、今となっては一般人は触れる事が出来ない。2年間のコロナ禍で、多くの老舗旅館や料理店が、関わった方々の想いとと共にその姿を消している。厳しいビジネスの世界とはいえ、いたたまれない気分に陥る。

坂道を下ると幹線道路に出たので、東京ドーム方面に進んでみる。『菊坂下』という標識を目にする。何となく聞き覚えがあったので、この商店街の緩い坂道を上がってみると、すぐ左側に白壁の蔵を隣接した古い和風建築の建物が在った。

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樋口一葉が通ったという伊勢屋質店土蔵は1887年、屋敷棟は1907年の建築
偶然にも月2回の公開日だったので見学してみる。

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わが国初の女性職業作家と言われる彼女の質屋通いを想いながら菊坂商店街を歩く。そういえば亡き母は樋口一葉が大好きだった。

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そぞろ歩きながら樋口一葉の旧居跡も訪ねる・・・井戸は当時のままだ。
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地名には存在しない「金魚坂」〜金魚屋さんが釣り堀とカフェを開いている
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菊坂を登り切り本郷通りに戻ると、また東大が見えて来る。地下鉄本郷3丁目駅から少し東へ歩き、本日の最終目的地に辿り着く。交差点に異次元の建物が...

さかえビル(1934年竣工)
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現役のテナントビルで1Fには洋装店が入る
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装飾も見事なアールデコ調の美しいビルだ
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東京大学の西側一帯をダラダラと一回り歩き、今更ながら戦前の建物が多い事に驚かされた。当時のアメリカ軍も大日本帝国随一の最高学府に爆弾を投下するのは躊躇ったのだろうか。小生の住む墨田区は一面焼け野原と化したのだが...この街並みを歩きながら、戦争を挟んでの昭和の東京の変遷を垣間見た気がした。この街には少々高尚な文化の香りがする。流石、東京が誇る文教地区〜本郷である。

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『金の糸』 [上映中飲食禁止]

7月末に閉館する「岩波ホール」にて
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ジョージアの女流監督ラナ・ゴゴベリーゼが91歳時に撮影した作品だ。ジョージア国と言われても馴染みが薄く、小生の年代の者ならソ連時代のグルジア共和国という国名の方が合点がいくかも知れない。大相撲の栃ノ心関がジョージア出身だ。1991年ソ連崩壊時に独立し、2015年に国名を改めた東欧の小国であり、クロアチア同様に親欧米路線を進み、ロシアとの敵対関係が今も続いている。初めて接するジョージア映画に自然興味がそそられる。

作家のエレネ(ナナ・ジョルジャーゼ)は、自分が生まれ育ったトビリシの旧市街にある古い家で娘夫婦と同居している。彼女の79歳の誕生日を家族は皆忘れてしまっていたが、そこにかつての恋人アルチルが数十年ぶりに電話をかけてくる。一方、エレネの娘は、ソビエト時代の政府高官だった姑のミランダにアルツハイマーの症状が出始めたため、同じ家に呼び寄せて暮らそうとしていた。(シネマトゥデイより)

「金の糸」とは、日本の陶器の修復で使われる「金継ぎ」の手法のことだ。我が国の伝統技術が遥か遠方の某国で知られている事実に驚きと小さな喜びを覚える。老境に及んだ3人が抱える過去の光と影を交錯させながら、積み上がっていた悔恨や憐憫が金継ぎのように温かい人生の安堵へと収斂されていく姿を描く。お互いの過去と現在を繋ぎ合わせ、年老いた今だからこそ得られる境地に胸打たれる。

エレナは自由に歩けず、また年々落ちる筆力に苛立ちながらも、人生の総決算たる作品の創作を続けている。娘夫婦と同居はしているが、夫に先立たれ若き時代を共に過ごした恋人や友人達は今は周りにおらず、孤独感を隠せない。同名のひ孫エレナとのたわいの無い会話が彼女の唯一の楽しみだ。老いていく自分に抗う少々短気で勝ち気な老作家をナナ・ジョルジャーゼが好演するが、実は本業は映画監督というから驚きだ。

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そんな彼女が79歳の誕生日を迎えた日に、60年前の恋人アルチルから突然電話がかかって来る。首都トリビシの路上で若き二人が美しく踊る姿がスクリーンいっぱいに映し出される。蘇る青春時代の輝き。

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そのアルチルも妻を亡くし、車椅子生活を余儀なくされていたのだ。お互い足が不自由な二人は、この日を境に電話によって心のひだを埋め合わせる事を楽しみにするようになる。柔らかな思い出に浸る平穏な日々が続く中、娘夫婦が独り住まいの姑を引き取り同居する事にする。アルツハイマーを患った姑ミランダは、旧ソ連の共産党高官であり、スターリン下の粛清時代にエレナの母を強制収容所送りにし、エレナの小説を発禁扱いにした張本人なのだ。半世紀以上の時を経て、エレナは因縁の相手と同じ屋根の下で暮らし始めるのだった。

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決して許せない相手と暮らす生活。正気と呆けを繰り返す宿敵に戸惑いながらエレナは、彼女の中にも過去への矜持と悔恨がせめぎ合っている事を感じる。そして立場は違えど、同時代を必死に生き抜いた者への連帯感をも芽生え始まるのだった。或る日、ミランダは街中で自身を喪失し、忽然と姿を消してしまうのだった...

過去は消えない、楽しい思い出も他人を傷つけた罪も。様々な過去とどうやって向き合い、折り合いをつけて今を生きるかを説いた、小品ながらも重厚な傑作だ。まだまだその境地には辿り着けていない小生ではあるが、残る人生ラストワンマイルを穏やかかつ色鮮やかに過ごすヒントをもらった心持ちだ。そして、エレナが半世紀近く前のドレスに身を包んではしゃいだり、若き日のアルチルとミランダの関係に今でも嫉妬する姿を見て、「灰になるまで女はオンナ」だと再認識するのであった。怖いもの見たさで、たまには我が愚妻にもワンピースを着せたいなと[あせあせ(飛び散る汗)]






『岩波ホール』・・・高尚な文芸作品をじっくり鑑賞する根気が加齢の為に薄れてしまい、最近は足が遠のいている映画館だが、それでも年に1、2本はお世話になる。何せ、日本中で此処でしか上映されない良品と巡り合えるからだ。興行的な価値より、作品自体の質を優先したミニシアターの草分け的存在が、押し寄せるコロナ禍によりまた一つ消えてしまう。


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インターネットが存在しなかった時代、洋画は外国の文化を知る貴重な情報源でもあった。ましてアメリカ文化に慣れ親しんだ小生にとって、東欧やアジアの辺境の国の作品などは、世界の多様な価値観を知る機会にも繋がった。今回にしても、全く興味の無かったジョージア国という国家の民族性や歴史的背景に触れる機会をくれたわけである。映画を単なる娯楽として捉えるなら、ハリウッド大作や日本が誇るアニメで十分かも知れない。映画とはそんな狭い範疇の代物では無く、何が飛び出して来るか分からない魔法の玉手箱だと思う。小生が文芸度が高すぎて耐えきれずに睡魔に襲われる作品でも、観る人によって人生が変わるようなヒントをくれるかも知れないのだ。どうも今流行りの「ダイバーシティ」とやらも映画界には通用しないらしい。少数派は消え去るのみだ。当然、ビジネスの世界でもあるので、優勝劣敗、様々な企業努力により生き残るミニシアターもあれば、不景気に飲み込まれる劇場があるのは仕方のないと考える。我が国の映画業界に望むのは、作品の選択肢を観客から減らさないで欲しいだけだ。今こそ大手の配給会社・シネコン更にネット配信業者は、陽の当たらない海外の良品を発掘し、我々に届ける努力を惜しまないで欲しい。営利目的の私企業とはいえ、それが文化の担い手を名乗る者の責務だと思うし、売れそうもない隠れた名作で稼ぐのがプロの仕事ではなかろうか。

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