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『金の糸』 [上映中飲食禁止]

7月末に閉館する「岩波ホール」にて
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ジョージアの女流監督ラナ・ゴゴベリーゼが91歳時に撮影した作品だ。ジョージア国と言われても馴染みが薄く、小生の年代の者ならソ連時代のグルジア共和国という国名の方が合点がいくかも知れない。大相撲の栃ノ心関がジョージア出身だ。1991年ソ連崩壊時に独立し、2015年に国名を改めた東欧の小国であり、クロアチア同様に親欧米路線を進み、ロシアとの敵対関係が今も続いている。初めて接するジョージア映画に自然興味がそそられる。

作家のエレネ(ナナ・ジョルジャーゼ)は、自分が生まれ育ったトビリシの旧市街にある古い家で娘夫婦と同居している。彼女の79歳の誕生日を家族は皆忘れてしまっていたが、そこにかつての恋人アルチルが数十年ぶりに電話をかけてくる。一方、エレネの娘は、ソビエト時代の政府高官だった姑のミランダにアルツハイマーの症状が出始めたため、同じ家に呼び寄せて暮らそうとしていた。(シネマトゥデイより)

「金の糸」とは、日本の陶器の修復で使われる「金継ぎ」の手法のことだ。我が国の伝統技術が遥か遠方の某国で知られている事実に驚きと小さな喜びを覚える。老境に及んだ3人が抱える過去の光と影を交錯させながら、積み上がっていた悔恨や憐憫が金継ぎのように温かい人生の安堵へと収斂されていく姿を描く。お互いの過去と現在を繋ぎ合わせ、年老いた今だからこそ得られる境地に胸打たれる。

エレナは自由に歩けず、また年々落ちる筆力に苛立ちながらも、人生の総決算たる作品の創作を続けている。娘夫婦と同居はしているが、夫に先立たれ若き時代を共に過ごした恋人や友人達は今は周りにおらず、孤独感を隠せない。同名のひ孫エレナとのたわいの無い会話が彼女の唯一の楽しみだ。老いていく自分に抗う少々短気で勝ち気な老作家をナナ・ジョルジャーゼが好演するが、実は本業は映画監督というから驚きだ。

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そんな彼女が79歳の誕生日を迎えた日に、60年前の恋人アルチルから突然電話がかかって来る。首都トリビシの路上で若き二人が美しく踊る姿がスクリーンいっぱいに映し出される。蘇る青春時代の輝き。

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そのアルチルも妻を亡くし、車椅子生活を余儀なくされていたのだ。お互い足が不自由な二人は、この日を境に電話によって心のひだを埋め合わせる事を楽しみにするようになる。柔らかな思い出に浸る平穏な日々が続く中、娘夫婦が独り住まいの姑を引き取り同居する事にする。アルツハイマーを患った姑ミランダは、旧ソ連の共産党高官であり、スターリン下の粛清時代にエレナの母を強制収容所送りにし、エレナの小説を発禁扱いにした張本人なのだ。半世紀以上の時を経て、エレナは因縁の相手と同じ屋根の下で暮らし始めるのだった。

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決して許せない相手と暮らす生活。正気と呆けを繰り返す宿敵に戸惑いながらエレナは、彼女の中にも過去への矜持と悔恨がせめぎ合っている事を感じる。そして立場は違えど、同時代を必死に生き抜いた者への連帯感をも芽生え始まるのだった。或る日、ミランダは街中で自身を喪失し、忽然と姿を消してしまうのだった...

過去は消えない、楽しい思い出も他人を傷つけた罪も。様々な過去とどうやって向き合い、折り合いをつけて今を生きるかを説いた、小品ながらも重厚な傑作だ。まだまだその境地には辿り着けていない小生ではあるが、残る人生ラストワンマイルを穏やかかつ色鮮やかに過ごすヒントをもらった心持ちだ。そして、エレナが半世紀近く前のドレスに身を包んではしゃいだり、若き日のアルチルとミランダの関係に今でも嫉妬する姿を見て、「灰になるまで女はオンナ」だと再認識するのであった。怖いもの見たさで、たまには我が愚妻にもワンピースを着せたいなと[あせあせ(飛び散る汗)]






『岩波ホール』・・・高尚な文芸作品をじっくり鑑賞する根気が加齢の為に薄れてしまい、最近は足が遠のいている映画館だが、それでも年に1、2本はお世話になる。何せ、日本中で此処でしか上映されない良品と巡り合えるからだ。興行的な価値より、作品自体の質を優先したミニシアターの草分け的存在が、押し寄せるコロナ禍によりまた一つ消えてしまう。


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インターネットが存在しなかった時代、洋画は外国の文化を知る貴重な情報源でもあった。ましてアメリカ文化に慣れ親しんだ小生にとって、東欧やアジアの辺境の国の作品などは、世界の多様な価値観を知る機会にも繋がった。今回にしても、全く興味の無かったジョージア国という国家の民族性や歴史的背景に触れる機会をくれたわけである。映画を単なる娯楽として捉えるなら、ハリウッド大作や日本が誇るアニメで十分かも知れない。映画とはそんな狭い範疇の代物では無く、何が飛び出して来るか分からない魔法の玉手箱だと思う。小生が文芸度が高すぎて耐えきれずに睡魔に襲われる作品でも、観る人によって人生が変わるようなヒントをくれるかも知れないのだ。どうも今流行りの「ダイバーシティ」とやらも映画界には通用しないらしい。少数派は消え去るのみだ。当然、ビジネスの世界でもあるので、優勝劣敗、様々な企業努力により生き残るミニシアターもあれば、不景気に飲み込まれる劇場があるのは仕方のないと考える。我が国の映画業界に望むのは、作品の選択肢を観客から減らさないで欲しいだけだ。今こそ大手の配給会社・シネコン更にネット配信業者は、陽の当たらない海外の良品を発掘し、我々に届ける努力を惜しまないで欲しい。営利目的の私企業とはいえ、それが文化の担い手を名乗る者の責務だと思うし、売れそうもない隠れた名作で稼ぐのがプロの仕事ではなかろうか。

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