『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』 [上映中飲食禁止]
『鬼滅の刃』より面白い
昨秋に一部の映画館で字幕版がひっそりと公開されたが、口コミで人気が拡がり、この秋から吹替版にて全国ロードショーとなった中国アニメ映画である。「カメラを止めるな!」同様に、マイナー映画マニアから徐々に火が付いた、SNS全盛の今だからこそ、陽の目を見た隠れた名作なのである。中国で大人気のTVアニメシリーズを初めて映画化した作品であり、その過程は「鬼滅の刃」とも類似しているが、今映画は1作で完結である。鬼滅とは異なる、流行に左右されない根源的なテーマを主軸に、昭和アニメを彷彿させるような、特に日本人には堪らない傑作アニメである
人間の手による自然破壊で居場所を失う妖精たちが多くいるなか、黒猫の妖精シャオヘイも森の開発によって居場所がなくなってしまった。そんなシャオヘイに手を差し伸べた妖精のフーシーは、シャオヘイを仲間として人里から遠く離れた島に案内するが、そこに人間でありながら最強の執行人でもあるムゲンが登場。ムゲンに捕まってしまったシャオヘイは、人と妖精が共存する会館を目指すことになる。一方、なんとか逃げることに成功したフーシーたちは、シャオヘイ奪還を誓って以前から計画していたある作戦に取り掛かるが……。(シネマトウデイより)中国産アニメに対し、紛い物的な先入観を若干持っており、実際に日本の昭和アニメ的なキャラクター描写やジブリ風の背景を目の当たりにして、一瞬興ざめしたのも束の間、一気に作品にのめり込んで行った
環境破壊について人間と自然の在り方を問うテーマは、『もののけ姫』に酷似している。だが対立軸が、人間を憎む妖精と人間との共生を願う妖精との同族内での闘いを主としている点が新味である。そして、黒猫の妖精シャオヘイの人間変身時の描写の愛らしさが、今作の魅力のひとつであろう。
人間の宅地造成により棲家を追われた妖精シャオヘイは人間界に暮らしていたが、人間のネコ狩りに会い、間一髪のところで、木の妖精・フーシーに助けられ、共に生活することになる。フーシーは仲間たちと、人間が立ち入らない自然のままの島で暮らしていたのだ。そこへ突然、ムゲンと呼ばれる魔術を使う人間が現れ、フーシー達との戦闘になる。結局、逃げ遅れたシャオヘイだけが捕まってしまう。実はムゲンは、人間との共生を進める妖精組織から派遣された「執行人」と呼ばれる者で、人間と敵対するフーシー一味を逮捕するのを目的としていたのだった。シャオヘイは、ムゲンに不信感を抱きながら、本部に戻る彼と長旅に出ることになる。
戦闘シーンが素晴らしい。作画自体は精密では無いが、いかにもカンフー的な動きの俊敏さは、中国アニメの面目躍如たるべきか。そして、中盤での二人旅は、ロードムービーさながらの幽玄たる大自然とシャオヘイの心情の変化が見事に描き出され、作品自体の完成度を高めている。辿り着いた本部が、これまた「天空の城ラピュタ」なのですが...
シャオヘイ奪還に燃えるフーシーと反乱分子壊滅を目論むムゲンの最終対決の場は、中国の近代都市となる。そして次第と明らかになるシャオヘイの隠された能力が、両陣営が一番欲するモノであった。拡がる戦闘に巻き込まれる人間達の運命はいかに?果たして、悩めるシャオヘイは、どちらの味方につくのか
決着は着くが、あえて善悪は問わないフィナーレである。言うなれば、妖精同士の争いをよそに、幸せに暮らす人間達こそ、無知の悪行の源であり、「人間こそ真剣に考えろ!」と、この作品は投げかけるのである。
世界最大の温室効果ガス排出国である中国は、自然環境より経済発展を重視しているイメージがつきまとう。だが、世界の電気自動車の1/2が走るエコロジー大国である事実はあまり知られていない。この作品を見るにつけ、中国の抱える問題の深さと意識の高さは、パリ協定を離脱したトランプ・アメリカや漸く「グリーン社会宣言」をした菅・日本との乖離を感じてしまう。更に深く読み込めば、欧米自由主義が善で中国社会主義が悪という構図自体が意味なきものと化す。国家権力主導でコロナを駆逐した中国と、欧米諸国の昨今の狼狽ぶりを比較して、どちらの国民が安心した生活を送っているのか。イデオロギーの違いだけでは善悪の判断はできないのだ。自国の抱える問題を投射したような作品が、中国内で正式に公開され、大々的に支持されている事実を見ると、意外と中国はマトモなのではないかと感じてしまう。香港問題ひとつとっても、同胞同士で争っている場合では無いだろうと、訴えている気がするのは小生だけだろうか。
これでもか言うくらいのジブリ・デジャブ体験満載は事実。だが、既存キャラの流用では無く、悪意は全く感じない。日本アニメに純粋に学んだ後が伺えるだけだ。そもそも日本の伝統文化自体が、中国から流出した文化の進化形なのだ。今や、世界に冠たるアニメ先進国・日本のノウハウは模倣されて当然であるし、これは逆に喜ぶべき事ではなかろうか。
そしてこの作品は、宮崎駿氏隠遁以降、暫く観られていない日本アニメの原点に渇望していたファンの心の隙間にスッポリと嵌まり込み、異例のヒットを続けているのである。
小生のように小難しく考えずとも、素直に「ワクワク、ドキドキ」の楽しい映画である。吹替版の鑑賞だったが、声優陣のマッチングも素晴らしく、そのまま古き日本の極上アニメと錯覚するほどの出来映えだ。そして、アニメ先進国の日本は更に進化を進め、「ジブリ」「新海作品」「鬼滅」に続くムーブメントを作り出すクリエイターが必ず出現するであろう
昨年の字幕版予告編