オクシタニアル【甘味・水天宮前】 [江戸グルメ応援歌]
遅ればせながら、今年の我が家のクリスマスケーキの報告です。
会社帰りのクリスマスイブ、閉店間際の洋菓子店を覗くと5組ほどの行列が...甘党爺いは条件反射で並んでしまう。「お客様で最後となりますが、ケーキの残りが少なく、万一無くなりましたらご容赦ください。」と店員さんに事前に釘を刺されてしまう。
ショーケースの中は、ほとんど売り切れ状態で、3種類の生ケーキが20個弱といったところか。『まとめ買いする客がいませんように』祈る、祈る...『あっ、1種類完売だぁ」そして前2組のアベックが、可愛く2個づつ購入する幸運に恵まれ、ラスト爺いに順番が来たのだった
残りはチョコレートケーキが6個、クリスマスツリーを模したケーキが5個だ。当然、この日にちなんで、ツリー風ケーキを残り5個全てをゲット我が家3人分と近くに住む長男夫婦分だ。帰路、孫を寝かせ付かせたタイミングの嫁宅に2個渡し、後は自宅でじっくり堪能した。長女が喜んで、小道具を並べて写メ撮りまくりに便乗した次第だ。
クラブ・ハリエが手掛けるフランス洋菓子店だ。マカロンが超有名で店内は常に混雑しているが、実は生ケーキも絶品なのだ。目を奪う美しさと、それを凌駕する繊細な味。水天宮で孫の帯祝いをした折に、偶然立ち寄って感動して以来、たまにテイクアウトして愉しんでいる。今回のケーキは、抹茶風味で外観を丁寧にツリーに模し、中身はスポンジを使用せず、フロマージュ仕立てで形を崩さないという凄技。口の中で抹茶とチョコとチーズとラズベリーの風味が一体となって、天にも昇る気分だ。
来年早々には結婚の為、長女は家を出るので、家族3人では最後のクリスマス。ちょっと思い出に残る甘酸っぱい絶品スイートになった。
『優河』な声 [偏愛カタルシス]
大スクリーンではなく密林プライムでの鑑賞で感極まることは滅多に無いのだが...
認知症の父親と彼を取り巻く家族を描いたハートフルな作品だ。
呆けた父・山崎努と天然系の妻・松原智恵子が描く美しき夫婦愛。そしてふたりの娘役である、長女・竹内結子、次女・蒼井優が、自身の悩みを抱えながらも、老いていく両親を想い、支える。本来重いテーマを、ユーモアも交えながら、崇高な家族の物語へと昇華した優れた映画であった。介護の現実はそんなに甘く無いのを知りつつも、在りし日の父と施設に居る母の姿と完全に被ってしまい、胸が熱くなった訳だが、エンドロールの挿入歌に、完全にトドメを刺されてしまったのである
『めぐる』優河
優河・・・1992年生まれのシンガーソングライター。父が石橋凌、母が原田美枝子であり、妹が石橋静河という芸能家族に育った。両親のアートなDNAは、長女に音楽的素養を、次女に演劇的素養を多めに割り振ったようだ。4人の家族の中では、一番メディアでの露出度が少ない「優河」だが、この「声質」はまさに神に恵まれし才能と言って良い。彼女の出自も知らない段階で、2枚のオリジナルと冒頭のminiアルバム一気に大人買い、密林思う壺状態
ハスキーヴォイスだが薄っぺらくなく包み込むような温かみのある声色だ。シャウトなどしないが力強い。当然、声質に合ったスローな曲調の楽曲が多く、普通の歌手ならバラードばかり聴かされれば眠くなるのが関の山だが、アルバム全体を通して生命力に満ち溢れており、感動的な仕上がりになっている。デビューアルバムは、アコースティック主体の楽曲が多く、「彼女の唄」の素の部分が前面に押し出されている感が強い。2ndアルバムになると、楽器演奏自体が濃密になり、曲の多様性も相まって、バンドとしての完成された作品になっていく。
女性ヴォーカル偏執狂の小生だが、最も敬愛するEva Cassidy以来の絶品歌姫との遭遇は、ちょっとしたクリスマス・プレゼントをミューズから戴いた心持ちだ。まさに、たおやかな大河のような唄うたいである。
『夜になる』バンドとしても一級品
40年前の「石川セリ」を彷彿させるのじゃ
イブに吉祥寺でLIVEがあるが、知ったのが遅すぎた...残念
『燃ゆる女の肖像』 [上映中飲食禁止]
狂おうしいほど激しく美しく精緻な恋愛映画の傑作だ
今年はコロナ禍により、海外作品の配給が不安定で、良作と巡り合う機会が減っていたが、漸く出逢えた珠玉の洋画 同性愛がモチーフの作品で、これ程までに胸が締め付けられたのは、小生は映画史上初であった。性別を超えた「人が愛しあう」素晴らしさを、ここまで濃密に描き尽くした恋愛映画を私は知らない。
18世紀のフランス・ブルターニュ地方。画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は貴族の娘エロイーズ(アデル・エネル)の見合いのため、彼女の肖像画を依頼される。しかし、エロイーズは結婚することを頑なに拒んでいた。マリアンヌは身分を伏せて孤島でエロイーズと過ごし、ひそかに彼女の肖像画にとりかかるが、マリアンヌの目的を知ったエロイーズは絵を見てその出来栄えを否定する...(シネマトウデイより)中世を描く欧州映画特有の淡い色彩が、観る者を惹きつけ、これから始まるラブストーリーの儚さを予感させる。美術学校で教鞭を執るマリエンヌは、生徒からかつての自分の作品について問われ、彼女の短くも激しい愛の回想が始まる。
フランスの孤島に在る古城に招待された女性画家マリアンヌは、そこに住む貴族の娘の肖像画の作成を依頼されていた。自ら命を落とした姉の代わりに、イタリア・ミラノの貴族と婚約した次女エロイーズの持参品である。以前の画家には、顔も見せなかった頑なな娘に、母親は散歩相手としてマリアンヌを紹介する。お互い笑顔を見せず、会話も弾まないが、島の海岸での散歩を重ね、二人は少しづつ距離を縮めていく。マリエンヌは、エロイーズをモデルとして一度も正対しないまま、イメージだけで肖像画を完成させて行く。約束の期限の最終日、マリエンヌは自分が画家である事を告げ、完成した絵を彼女に見せるが拒絶される。「これは私ではない。」と...
マリエンヌは描き直しを志願し、母親が外出する5日間の猶予を貰う事になる。エロイーズも正式にモデルになることを了承し、女中ソフィーを加えた3人だけの濃密な時間が始まるのだった。すれ違っていた二人の気持ちと身体は、別れの時を受け入れながら一気に燃え上がり、魂の肖像画が完成に向かって行く...
二人の感情の起伏の描写が誠に美しい。出会いから徐々に惹かれ合い、立場や階級を超えて、お互いの心のひだを少しづつ重ね合わせる様に、一時も目が離せなくなる。別れの時間が迫り来るのも知りつつ、いや知るからこそ、愛を確かめ合う二人の姿に胸が熱くなるのだ。印象派風の幻想的な撮影法やギリシャ神話の引用など多くの伏線が絡み合う演出が、生涯に残る刹那の愛の姿をさらに濃密にする。
町の小さな祭りに出掛けた際、焚き火がエロイーズのスカートに燃え移ってしまう。夕闇に浮かび上がる愛する人の一瞬の美しき姿をマリエンヌは瞼に焼き付け、後日、冒頭の作品を描くのだ。
別れの日。振り返らずに邸を出ようとするマリエンヌ。冥界から妻を取り戻したオルフェウスは、地上に戻る寸前に思わず振り返った為に、妻を失ってしまう...このギリシャ神話の本を、マリエンヌはエロイーズに贈っていたからだ。だが、結婚への決意を固めたエロイーズの「振り向いて!」の声に、彼女は声の主を探してしまう。そこには、婚礼用の白いドレスに包まれた愛する人が佇んでいた。愛は終わったと二人は確信し、それを受け入れたのだ。
女性監督しか表現できないであろう同性の細やかな心情の移ろいを、見事に演じきった二人の主役、ノエミ・メルランとアデル・エネル。どちらも未見の女優だが、黒髪とブロンドの対比だけでも、小生はムフフであり、甲乙付け難い欧州美人である。ふたりの目力の演技が特筆ものだ。また装飾、美術が極めて歴史考察に忠実だ。ロケ地は実際の古城を使用、中世の衣装は手作りであり、多くの絵画は新進の現代画家が当時の手法で描いたものだ。このリアリティが、LGBTなどの言葉も無い時代下での、純粋なる同性愛を高らかに謳い上げる力となっている。また作中、女流画家の恵まれない環境や女中ソフィーの堕胎のシーンにも触れ、現代まで続く女性差別問題にも踏み込んだ、シアマ監督の強い意思が感じられる。そして何よりも、映画ファンには堪らない伏線の数々の演出センスの凄さに脱帽なのである。
ラストシーン〜コンサート会場で奇跡的に再会した二人。離れた席から目も合わさないエロイーズの頑なな表情が、動揺から徐々に、涙が溢れ、微笑を含み、穏やかに変わっていく。圧倒的な無言の演技 オーケストラが奏でるのは、古城の小さなチェンバロでマリエンヌが弾いたヴィヴァルディ『四季』の夏である...
久しぶりに、こんなオッちゃんが涙腺ボロボロ、胸が張り裂けそうだ
至高の名作である。
『立ち食いソバ』を愉しむ【浅草&人形町】 [江戸グルメ応援歌]
『柳家喬太郎』がメチャクチャ面白い
小生が惚れ込む柳家さん喬師匠の一番弟子である。古典落語、特に人情噺に精通した師匠の元で研鑽を積みながら、新作落語にも新境地を切り開いた、今、ノリに乗っている噺家だ。Netで見たこのネタが大爆笑だ古典落語では有名な「時そば」なのだが、本題に入る前のマクラが抱腹絶倒、この話術は天才的だ(長くて映像も不鮮明だが、前半だけでも聞いていただきたい。)
マクラ「コロッケソバ」→古典『時そば』
...という事で「立ち食いソバ」のご紹介なのである。
日本で最初の地下鉄と云われる銀座線の始発である浅草駅。松屋百貨店・東武鉄道に向かう改札口を出ると、昭和レトロ感溢れる絶滅危惧種とも思える地下食堂街にぶち当たる
その地下商店街入口にある『文殊』
『文殊』・・・此処の蕎麦が、立ち食いとは思えない旨さなのだ
下町を中心に展開しているチェーン店ではあるのだが、「ゆで太郎」「名代富士そば」などの大規模チェーンとは違い、調理マニュアルが厳格でないのか、自由度、ある意味いい加減な為、素材は同じでも店舗によって微妙に味が違う。調理人もほぼ固定されており、ある意味、人の温もりを感じる蕎麦を出すのである。この店は、10年以上に亘り、無口な爺ちゃんコンビが切り盛りしていたが、最近、若い男性独りに変わったものの、味はしっかりと伝授されている。細くコシのある自家製面を注文を受けてから茹で上げる。鰹が効いた少々辛めの出汁との相性は抜群で、喉越し最強の江戸っ子仕様である。蕎麦の香りを味わいたかったら、専門店で十割そばでも上品に啜ってろってぇんだい この江戸前蕎麦に、ミスマッチなコロッケを乗っけ、カレーライスと共に食うのが、つむじ風流立ち食い蕎麦の王道なのである
かたや小生の勤務先から徒歩3分の『六文そば』人形町店である。
昭和レトロな雑居ビルの1Fに鎮座ましますこの店もチェーン店である。他のチェーン店で食した事が無いが、何時行っても年老いた婆さんと息子らしき男性が調理しているので、労基法無視のFC(フランチャイズ方式)の家族労務の自営店と思われる。まず、魅力は価格である。かけそば1杯200円、各種天ぷら50~100円は、中央区人形町の角地にして、この低価格は驚異的なのである。懐が寂しい時、仕事が押してランチタイムを逃した時など、働くオジサンにとって正義の味方みたいな店なのだ。
外見は古めかしいが、店内は更に昭和初期の食堂ムードである。当然、食券など存在せず、おばちゃんに「そば!」と一言、麺をゆがいている間にカウンターに並んだお好み天ぷらを物色して、「今日はゲソ」と頼み、出来上がりと同時に現金を渡す。全てカウンター越しで行われる完全対面販売(笑)である。
麺は、前述の「文殊」とは好対照のコシがあまり感じられないフワフワ麺だ。出汁は強すぎず、されど化学調味料ではない昆布・鰹の風味が仄かに感じられるものだ。ゆえに大変、胃腸に優しい。天ぷらは、当然、店内で揚げられているが、油を何度も使い回している為か、黒ずんでいて、中身が何者か判別しないものもある。これら具材を合わせると、「緑のたぬき」のインスタント麺のチープ感はそのままに、人の手の温もりを感じる極上のB級天ぷらそばの完成となる。
ゲソ+玉ネギのWノッケ=外見から何だか判らん
『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』 [上映中飲食禁止]
『鬼滅の刃』より面白い
昨秋に一部の映画館で字幕版がひっそりと公開されたが、口コミで人気が拡がり、この秋から吹替版にて全国ロードショーとなった中国アニメ映画である。「カメラを止めるな!」同様に、マイナー映画マニアから徐々に火が付いた、SNS全盛の今だからこそ、陽の目を見た隠れた名作なのである。中国で大人気のTVアニメシリーズを初めて映画化した作品であり、その過程は「鬼滅の刃」とも類似しているが、今映画は1作で完結である。鬼滅とは異なる、流行に左右されない根源的なテーマを主軸に、昭和アニメを彷彿させるような、特に日本人には堪らない傑作アニメである
人間の手による自然破壊で居場所を失う妖精たちが多くいるなか、黒猫の妖精シャオヘイも森の開発によって居場所がなくなってしまった。そんなシャオヘイに手を差し伸べた妖精のフーシーは、シャオヘイを仲間として人里から遠く離れた島に案内するが、そこに人間でありながら最強の執行人でもあるムゲンが登場。ムゲンに捕まってしまったシャオヘイは、人と妖精が共存する会館を目指すことになる。一方、なんとか逃げることに成功したフーシーたちは、シャオヘイ奪還を誓って以前から計画していたある作戦に取り掛かるが……。(シネマトウデイより)中国産アニメに対し、紛い物的な先入観を若干持っており、実際に日本の昭和アニメ的なキャラクター描写やジブリ風の背景を目の当たりにして、一瞬興ざめしたのも束の間、一気に作品にのめり込んで行った
環境破壊について人間と自然の在り方を問うテーマは、『もののけ姫』に酷似している。だが対立軸が、人間を憎む妖精と人間との共生を願う妖精との同族内での闘いを主としている点が新味である。そして、黒猫の妖精シャオヘイの人間変身時の描写の愛らしさが、今作の魅力のひとつであろう。
人間の宅地造成により棲家を追われた妖精シャオヘイは人間界に暮らしていたが、人間のネコ狩りに会い、間一髪のところで、木の妖精・フーシーに助けられ、共に生活することになる。フーシーは仲間たちと、人間が立ち入らない自然のままの島で暮らしていたのだ。そこへ突然、ムゲンと呼ばれる魔術を使う人間が現れ、フーシー達との戦闘になる。結局、逃げ遅れたシャオヘイだけが捕まってしまう。実はムゲンは、人間との共生を進める妖精組織から派遣された「執行人」と呼ばれる者で、人間と敵対するフーシー一味を逮捕するのを目的としていたのだった。シャオヘイは、ムゲンに不信感を抱きながら、本部に戻る彼と長旅に出ることになる。
戦闘シーンが素晴らしい。作画自体は精密では無いが、いかにもカンフー的な動きの俊敏さは、中国アニメの面目躍如たるべきか。そして、中盤での二人旅は、ロードムービーさながらの幽玄たる大自然とシャオヘイの心情の変化が見事に描き出され、作品自体の完成度を高めている。辿り着いた本部が、これまた「天空の城ラピュタ」なのですが...
シャオヘイ奪還に燃えるフーシーと反乱分子壊滅を目論むムゲンの最終対決の場は、中国の近代都市となる。そして次第と明らかになるシャオヘイの隠された能力が、両陣営が一番欲するモノであった。拡がる戦闘に巻き込まれる人間達の運命はいかに?果たして、悩めるシャオヘイは、どちらの味方につくのか
決着は着くが、あえて善悪は問わないフィナーレである。言うなれば、妖精同士の争いをよそに、幸せに暮らす人間達こそ、無知の悪行の源であり、「人間こそ真剣に考えろ!」と、この作品は投げかけるのである。
世界最大の温室効果ガス排出国である中国は、自然環境より経済発展を重視しているイメージがつきまとう。だが、世界の電気自動車の1/2が走るエコロジー大国である事実はあまり知られていない。この作品を見るにつけ、中国の抱える問題の深さと意識の高さは、パリ協定を離脱したトランプ・アメリカや漸く「グリーン社会宣言」をした菅・日本との乖離を感じてしまう。更に深く読み込めば、欧米自由主義が善で中国社会主義が悪という構図自体が意味なきものと化す。国家権力主導でコロナを駆逐した中国と、欧米諸国の昨今の狼狽ぶりを比較して、どちらの国民が安心した生活を送っているのか。イデオロギーの違いだけでは善悪の判断はできないのだ。自国の抱える問題を投射したような作品が、中国内で正式に公開され、大々的に支持されている事実を見ると、意外と中国はマトモなのではないかと感じてしまう。香港問題ひとつとっても、同胞同士で争っている場合では無いだろうと、訴えている気がするのは小生だけだろうか。
これでもか言うくらいのジブリ・デジャブ体験満載は事実。だが、既存キャラの流用では無く、悪意は全く感じない。日本アニメに純粋に学んだ後が伺えるだけだ。そもそも日本の伝統文化自体が、中国から流出した文化の進化形なのだ。今や、世界に冠たるアニメ先進国・日本のノウハウは模倣されて当然であるし、これは逆に喜ぶべき事ではなかろうか。
そしてこの作品は、宮崎駿氏隠遁以降、暫く観られていない日本アニメの原点に渇望していたファンの心の隙間にスッポリと嵌まり込み、異例のヒットを続けているのである。
小生のように小難しく考えずとも、素直に「ワクワク、ドキドキ」の楽しい映画である。吹替版の鑑賞だったが、声優陣のマッチングも素晴らしく、そのまま古き日本の極上アニメと錯覚するほどの出来映えだ。そして、アニメ先進国の日本は更に進化を進め、「ジブリ」「新海作品」「鬼滅」に続くムーブメントを作り出すクリエイターが必ず出現するであろう
昨年の字幕版予告編