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「神田伯山」を聴く [上映中飲食禁止]

カミさんが突然、「演芸ホールに伯山が出てるぅ〜」と騒いでいる...という事で、長女まで巻き込んで家族3人現地集合と相成りました。

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18時過ぎに浅草演芸ホールに到着。カミさんは20分程前から楽しんでいた。2ヶ月前に一人で来た時と同様、ホールはコロナ仕様により1席づつ空席を設けてのコロナ仕様である。だが、本日はその状況で満員札止め・・・まさに伯山効果のようだ。普段は寄席では見かけない若い女性客が多い。
寄席は、当初のスケジュール通りには運ばない。芸人・噺家のドタキャン、遅刻は日常茶飯事らしく、当日でのメンバー変更や出番入れ替えも多いのだ。本日も、個人的には伯山と共に楽しみにしていたナイツの欠席は残念だったが、初めて出会った噺家たちの話術も堪能できた。

当日出席者は、このように寄席入り口にも張り出されます。
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桂竹丸の戦国武将噺に抱腹絶倒し、江戸屋まねき猫のオツな声帯模写に聞き入り、いよいよ神田伯山登場だ。「神田松之丞」時代からTVで彼の話術の凄さには感心していたが、生で触れるのは初めてである。早くも二つ目の頃から人気を博し、天才講釈師と謳われたが、落語業界の古い慣習から昇進が見送られていた。本年2月に晴れて真打昇進となり、同時に6代目神田伯山を襲名した。コロナ自粛期間でも、メディアの露出度は非常に高く、まさに講談ブームの立役者であり、現代の笑いの時代の寵児である。こんな超人気者でも、ギャラは二束三文の寄席に定期的に顔を出すのだから、日本の伝統芸能文化の素晴らしさと彼自身の心意気に感謝である[exclamation×2]

TVで見たままの照れ隠しのような猫背姿でゆらりと現れた伯山師匠は、座るや否や張り扇で「タン!」と釈台を叩き、場の雰囲気を一変させた。そして、柔く耳障りの良い声色で笑いを誘うマクラでさりげなく観客を引き込む。彼の凄さであり業績は、「講談」の取っ付きにくさを現代の老若男女に極めて分かりやすく紐解いて、身近なものにした事である。

伯山自身が語る「講談と落語の違い」


 今日の演目は『小間物屋政談』である。「この作品は普通は30分以上かかりますが、私の持ち時間はあと18分!前半はぶっ飛ばしまして、出来るところまでやらせて頂きます。」と、伯山は始める。早回しであらすじを語ると、「もうこの時点で、訳が分からなくなった方もいらっしゃると思いますが、何となくわかればいいですよ」と笑いを誘う。堅苦しい慣習に拘らない聞き取りやすい言葉を駆使し、スゥーと観客を噺の土俵に上がらせ、そこから一気に畳み掛けて、皆を別世界に連れて来てしまう。静と動の切り替え、客の呼吸を読んだような間の取り方、言葉の強弱による感情表現・・・凄い[exclamation×2]

古典落語としても、多くの落語家が人情たっぷりに演じた題目だが、伯山流ダイジェスト版講談は、異次元の面白さだ。古典でありながら、現代的な表現も取り込んで爆笑を呼ぶが、それはひとえに伯山師匠の話芸の素晴らしさに他ならない。「残りわずか3分」で、クライマックスの「大岡裁き」を一気にまとめ上げる力技にも拍手喝采だ。

独演会も行きたいなぁ〜でも人気絶頂につきチケット獲得は至難の技かもしれない。しばらくは、寄席に出た時を狙うしかなさそうだ。

松之丞時代の短い講談にも魅力の一端

今日の寄席は、伯山がトリではない。仲入り後も、多彩な芸人が目白押しだった。

三遊亭遊雀「初天神」の生意気な子役の巧さは天下一品、ベテランの味に笑い転げた。トリの雷門小助六による「死神」も味があった。伯山と同年代であり、これからの落語界を支えるだろう。そして「色物」と呼ばれるマジック、独楽回し、時事漫談・・・まさに『寄席』は江戸の笑いの殿堂だな[ぴかぴか(新しい)]


結局、残業の為、伯山終了後に現れた長女も連れて、久しぶりに洋食「ヨシカミ」で遅い夕食を家族3人で摂って帰りました。たまにはこんな日があっていいな[わーい(嬉しい顔)]


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人形町の「老舗洋食屋」特集 [江戸グルメ応援歌]

日本橋人形町地区は、昭和52年の町名改正まで「芳町(よしちょう)」と呼ばれていた。江戸時代には、浅草に移転前の幕府公認の遊郭として栄え、その後は芸妓の花街として繁栄を極めたという。

当時の料亭や待合は、ほとんど現存していないが、ビルの谷間に昭和初期の木造建物が点在し、往時の面影を偲ばせる。また、外観は建て替わっているが、明治・大正創業の飲食店が営業を続けており、今でも現代人の舌を喜ばせている。

今回は、そんな老舗の中で、洋食店に限定してご紹介。


『芳味亭』・・・これぞ、伝統と格式の洋食[かわいい]

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創業昭和8年。横浜ホテル・ニューグランドで修行した先代が、お座敷で箸を使用して食べられる洋食スタイルを確立し、人気を博したという。以来、明治座の役者や地元の芸妓のご贔屓も受け、当地の顔として永く繁盛したが、平成30年に後継者難により、閉店を決定。その時、同じ町内の老舗すき焼き「今半」が、同士の廃業を惜しみ、芳味亭の営業権を引き継いだ。場所を現在地に改め、「江戸前洋食」の味を今に残しているわけである。

豪華な内装と従業員の丁寧な応対は、高級ホテルを彷彿させるが、決して型苦しくない。そして、この味・・・幼少期に親に連れられ、高級デパートの食堂で食べたハンバーグ。あの懐かしさに、さりげない深みのソースが包み込む。

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絶品である。勢い、特製プリンまで食してしまった。
江戸前洋食を継承させた「今半」さんに感謝[ぴかぴか(新しい)][ひらめき][ぴかぴか(新しい)]

『キラク』・・・汚いけど旨い店???

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先代が、昭和21年に屋台から始めた人気店。以前は、バラエティ番組でも、「汚いけど旨い店」として取り上げられ、グルメブームに乗ったとか、乗らなかったとか...
人間との出会いと同じに、「初めての店」にも第一印象は重要だと、思う。小生が伺ったのは、コロナ自粛期間の昼下がり。先客はおらず、ガランとしたカウンターに座り、「ビーフカツレツ」を初老の女性に注文した。店の奥から主人らしい方が現れ、黙々と調理を始め、出来上がりを小生の前に置くと、また調理場から無言のまま姿を消した。主人は、自分の料理を美味しく食べる客の姿を見たくないのだろうか?

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不味くはない。ただ、旨いとも感じない。
無愛想で頑固な料理人は、星の数ほどいるけれど、調理に覇気が感じられないのは、客の食欲を奪う。メインと共に大事なライスもレンチンされたような気分になる。コロナ疲れのピークだったのかもしれない...が、2度とこの店をくぐることはないだろう。
先代が亡くなり、新オーナーに解雇された従業員が立ち上げた店が、以前紹介した「そよいち」だ。独立当初は、法的に揉めていたらしいのだが、先代の味と心意気を守っているのは「そよいち」ではなかろうか。

『小春軒』・・・町の洋食屋さんの王道[かわいい]

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明治45年創業という。そんな堅苦しい伝統を感じさせない家族経営っぽい気さくな雰囲気の店だ。自然、通う客の方も気楽な常連さんが多いと思われる。なにせ100年超えの食堂だ、3代、4代目が厨房を仕切り、2代目のおおばあちゃんらしきマダムが接客係のボスとみた。

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此処の名物は、初代が考案したという本邦初の「カツ丼」だ。現在のカツ丼とは食感は別物であるが、懐かしい味がする。野菜のゴロゴロ感とデミグラスソースが効いている。いまだに働いている3世代家族の絆を何となく感じる。野菜・カツ・玉子の三位一体攻撃じゃ[パンチ]ハンバーグもいいが、山芋をつなぎに使用したメンチカツが美味です!

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『来福亭』・・・雰囲気・味ともに小生のお気に入り[わーい(嬉しい顔)]

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左は鳥料理の超人気店「玉ひで」(1760年創業)、右は日本最古の喫茶店「快生軒」(1919年創業)に挟まれて、控えめに鎮座するのが、1904年創業の来福亭だ。

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一階はテーブル2席のみ、二階には上がった事がないが、多人数の場合は案内される。多くの老舗は、改築もしくは建て替えをされているが、この店は当時の雰囲気を部分的に残しているようだ。煤で真っ黒の提灯、赤茶けたテーブル、蛇口が取り外された手洗い場。まさに100年住宅か[exclamation&question]此処で食すと、全てが大正浪漫の味がする。

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古伊万里風の皿と食事の取り合わせが美しい。白地に藍色の染付と、卵の黄色やデミグラスの茶色のコントラストが、一層食欲をそそる。どの料理も油少なめの、さっぱりの中に旨みを感じる出来栄えである。特に「メンチカツ」は、いまだ味わった事のない「さっくり感」ある噛みごたえと共に、肉の甘みを十分に味わせてくれる。小生はどんな料理にもコイツをトッピングするのだ。老夫婦が切り盛りする穏やかな雰囲気と料理の味覚がマッチングする嬉しい銘店である。

「老舗の味」は永くその店で引き継がれたもので、驚くべき味に出会うことは滅多にない。だが、不思議と身体の中のDNAがはしゃいでいるのかな。無性に通いたくなる味に出会うものだ。

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『82年生まれ、キム・ジヨン』 [上映中飲食禁止]

韓国でベストセラーとなった小説の映画化だ。我が国ではあまり話題に上っていないが、古くからの社会規範に対し、静かにされど真っ向から立ち向かった素晴らしい作品である。

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近年、お隣韓国と我が国は仲がよろしくない。両国のトップが勘違いの愛国心を振りかざし、愚かな意地の張り合いをしたからに他ならない。持論を封じてでも国民の利益の為に外交を行うのが「政治家」なのだが、かの両名にはその資質が欠けていた。その意味では、日中国交回復を成した田中角栄と周恩来は真の政治家だった。この度、某国の宰相が、支持率が落ちると腹痛になる持病再発の為、戦線離脱した。新しいトップには是非ともマトモな「政治」を執ってもらいたいものだ。

当然の事ながら、日本と韓国は歴史的に強い結びつきがある。儒教に根ざした社会規範や慣習などには共通する部分も多い。最たるものは、家長制度・男尊女卑である。本作は、韓国社会に根強く残る差別問題を掘り起こしており、我が国としても対岸の火事ではない問題作であり、傑作ドラマなのだ。

結婚を機に仕事を辞めたジヨン(チョン・ユミ)は育児と家事に忙殺され、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。ある日、ジヨンは他人が乗り移ったかのような言動をするようになり、さらにその時の記憶は全くなくなっていた。夫のデヒョン(コン・ユ)はジヨンにその真実を告げることができずにいた。(シネマトゥデイより)

何はともあれ、主人公役チョン・ユミの魅力だ。今時の韓流スターとは一線を画した、我国で言うならば昭和美人である。ほぼ原作に近い1983年生まれの37歳だが、この透明感の維持は奇跡的だ。昭和の爺ィにとっては憧れの存在に近い[揺れるハート][揺れるハート][揺れるハート]

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この美人妻の羨ましい旦那役がコン・ユ。この組み合わせに何となく見覚えがあったのだが、衝撃の韓流ゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス(2016年)』で共演済みであった。

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彼は敢え無くゾンビ化するが、妊婦役の彼女は最後まで生き残り、拍手喝采であったのを思い出す[手(チョキ)]今回は主客逆転、チョン・ユミが主役であり、コン・ユが脇役となる。今作は非常に重々しいテーマであり、展開が進むごとに観る者を鬱屈とした気分にさせてもおかしくないのだが、そうさせないのは、彼女の魅力か、小生の助平心か...[あせあせ(飛び散る汗)]

表面的には、心の病に苦しむ主婦の物語である...
デヒョンは、妻の異常に気が付き始めていた。普段は明るく振る舞うジョンが、突然、別人が乗り移ったような言動を起こすのだ。本人にはその自覚がなく、亭主はその症状を妻に伝える事に躊躇している。彼からは育児ノイローゼに見えるのだが、実はその病巣は非常に深く、それこそが本作の主題だ。

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ジヨンの幼少期に遡る。
働き者の父母と姉・弟に囲まれた、極めて韓国で標準的な家庭で幸せに成長する。だが、その過程で、幾度かの女性ならではの理不尽な扱いを受けるシーンが描かれる。小学生時に男の子から虐めれれ、教師に訴えるが「それは男の好意の表れ」だと取り合わない。予備校からの帰宅時にストーカーに付きまとわれ、父に助けを求めるが、「お前にスキがあるからだ」と叱られる。念願の会社に就職しても、父は「無理に外で働かずに、家にいればいいのに」と嘆く。
社会に出てからも、「女性は長く勤めないから」と重要な仕事は任せてくれない。そして優しい男性に巡り合い、結婚し、出産するが、結局は退職を余儀なくされる。

一連の出来事が、ジョンゆえの災難ではなく、韓国社会では当たり前の事象として刻々と描かれて行く。仕事に生きがいを感じていたジョンは、娘と楽しい時間を過ごしながらも、ふとした時に疎外感に苛まれ、次第と病が深まっていくのだ。
正月休みに亭主の実家で過ごす場面。日本でも良く見る風物詩だが、ジョンは体調の悪い中、姑に気を使い、寝ずにおせち料理を作る。亭主の妹家族が現れ、賑やかな会食の中、一人蚊帳の外の家長の嫁は、ついに他人が憑依し、暴言を吐いてしまう。

ジヨンの母は、デヒョンから娘の症状を聞かされ、衝撃を受ける。積もりに積もった怒りを涙ながらに夫にぶつける場面は、涙を誘う。「あなたは娘のことを何一つ分かっていない。分かろうとしなかった。息子のことしか考えていない!」妻の糾弾に慄いた夫は、娘に好物の差し入れをするが、それはジョンが好きなクリームパンではなくあんパンだった...まさにトドメだ。
心優しき夫・デヒョンは、ジヨンの心情を察し、育児休暇を取って、彼女を復職させようとするが、実母の反対に会い挫折する。彼は悩んだ挙句、妻を慮る優しさだけでは解決しない事に気付き、彼女と向き合い、「病気」について直言するのだった...果たして...

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ラストシーンは、その後の家族の再生を垣間見せる。
夫婦間の問題解決により表面上ハッピーエンドに見せるが、未だ韓国社会に重くのし掛かる性差別をかえって浮き彫りにさせたまま作品は終わるのだった。

法的には男女平等が謳われて久しいが、日韓共に「男尊女卑」の慣習が色濃く残っているのは明白だ。米国の人種差別問題同様、その国々の歴史文化によって長く熟成された慣習なり社会通念は、たかが1世紀足らずでは塗り変わらない。だが、次の世代に引き継ぐべき慣習か否かを取捨選択するのが、戦後生まれの我々の使命のような気に陥り、ふと孫の姿を思い浮かべながら我国の30年後を想うのだった。

多くの韓国女性の共感を生んだ作品だが、これは日韓の男こそが観るべきだと思う。

P.S.
「心の病」もガンと同じく早期発見により治癒の可能性が上がる。側にいる人間が早めに本人に自覚させ、専門医の治療を受けさせれば、「最悪の事態」は防げるはずだ。最近の哀しいニュースに触れる度に思ってしまう。
遥か昔の男の厄年に、鬱病を克服した小生が、いまだに愚妻に頭が上がらないのは、そんな事があったからだ。


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『浅田家!』 [上映中飲食禁止]

押し付けがましくなく、さらりと琴線に触れてくる佳作である。






昔のアルバムをひっくり返しながら、我が家の家族写真には、ほとんど自分が写っていない事に気付く。私自身がシャッターを切っているから当然だ。家長不在の写真は不完全に見えるかもしれないが、プリントの中の微笑む妻と子供達の瞳には私の姿がしっかりと写っている。まさしくこれは「家族写真」なのだ。

家族を被写体にした卒業制作が高評価を得た浅田政志(二宮和也)は、専門学校卒業後、さまざまな状況を設定して両親、兄と共にコスプレした姿を収めた家族写真を撮影した写真集「浅田家」を出版し、脚光を浴びる。やがてプロの写真家として歩み始めるが、写真を撮ることの意味を模索するうちに撮れなくなってしまう。そんなとき、東日本大震災が発生する。(シネマトゥデイより)

専業主夫の父、働き者の母、生真面目な長男、そして風変わりな次男坊。何処にでもいそうな4人家族されど唯一無二の4人家族を、芸達者な俳優陣が熱演し、実話を元にしたフィクションにリアリティを増幅させる。

知らぬ間に名優の仲間入りになっていた二宮和也が円熟の演技だ。「硫黄島からの手紙(2006年)」で、そこいらのアイドルとのレベルの差を見せつけた彼だったが、本作では大人の魅力満載である。とは言っても、苦味走った男ではなく、自堕落で半人前だが、トコトン優しい男を好演だ。このだらし無い行動予測不可の次男を常に見守る母親に風吹ジュン、なんだかんだで弟を助ける長男に妻夫木聡、次男を一番理解しているであろう父親に平田満。特に、「俺のDNAを引き継いじまったなぁ」的に次男に接する主夫・平田がいい味を出している。とにかく優しさに満ち溢れた家族なのだ。

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その父から譲られた「ニコンFE」を手に、写真家への道を志し家を出た政志だったが、結局、地元に戻りパチンコ三昧の日々。心機一転、プロを目指し、撮り貯めていたコスプレの家族写真を引っさげ、東京へ出るが、何処の出版社も取り合わない。結局、幼馴染の恋人・若菜(黒木華)のヒモ状態の生活に甘んじる。若菜に無理やり設営された写真展で、小さな出版社の編集長の目に止まり、政志の「家族写真」が漸く出版化される。商業的には、全く売れなかったが、写真界の芥川賞的存在である「木村伊兵衛賞」を奇跡の受賞。彼は、プロ写真家として日本中の家族を撮り歩く事となる。

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赤々舎の編集長役の池谷のぶえが素敵だ。「これ、面白いから本にしようよ」とノリで出版し、「想像以上に売れなかったねぇ」と笑って開き直る懐の深さを持つ、奇天烈な編集者との出会いがなければ、この映画自体も存在しなかった。写真に限らず、芸術家が世に出るには、彼らの才能を見出すパトロンなり強力な支持者との出会い無くして成り立たないのだ。存命中には不遇な生活を送り、死後に評価される芸術家は古今東西、推挙にいとまがない。その意味では、現在のネット世界は、芸術家にとって公平な作品発表の機会を与えられたと言って良い。一方で、アマチュアとプロの垣根を曖昧にもした訳でもあるのだが...

プロとして歩み始めた彼は、被写体である家族達が一番輝く瞬間をフイルムに焼き付けるべく、演出に腐心しながらも、魂を込めてシャッターを切り続ける。そして、仕事も軌道に乗り始めた頃、東日本大地震が起きる。政志は、以前に撮影した岩手県の家族の安否が気になり、被災地に向かうのだった。惨状を目の当たりにしながら、避難所を回るが家族の消息は掴めない。諦めかけて帰路に向かう時、津波に流された写真を回収し、汚れを落として家族に返却する作業をする青年(菅田将暉)と出会う。その作業に手伝う事になった政志は、写真の在るべき姿を自問する。そんな時、父親を亡くした少女から「家族写真を撮って!」と頼まれるのだが...

作品自体が心温まるヒューマンドラマだが、写真大好きローアマチュアの小生にとっては、写真のチカラを再認識する機会にもなった。映像と違い写真は、プリントという最終形になり、手に触れる事ができる。被写体から切り取った瞬間は永遠のモノとなるのだ。それは、人物・風景・静物に関わらずだ。その写真は、記録と呼ばれたり、芸術と崇められたりする。ただそこに、シャッターを切った人間の想いが伝わると、その写真は特別なモノになる。まさに家族写真がそうだ。たまに写真の神様がプレゼントをくれると感動の1枚が生まれたりする。突然現れた光と影や最高の笑顔達が揃った瞬間などだ。プロとは、この偶然を自力で呼び込む力を持った人だと小生は思うのだが。

最近、漫然とシャッターを切っているのを反省。昔は、フィルムがもったいないから、もっと真剣に1枚1枚を撮影していた気がする。デジタル慣れの弊害だな。作品内では、政志は2台のカメラを駆使している。アマ時代は父から譲られたニコンFE、プロデビュー後は中判のペンタックス67だ。やっぱりカメラは、ファインダーから目視し、息を止めてシャッターを切るんだよな[ぴかぴか(新しい)]

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中判かっこいいなぁ、たまにはフィルムカメラを使おうかなぁ〜でも引き伸ばし機は処分してしまったし...カメラ庫の奥にはライカM3とMamiya6×6が10年以上眠ったままだ[ふらふら] 元々は、レンジファインダー機で街角でのスナップ写真も好きだったけど、肖像権を気にしてからは、重たい一眼レフで花と神社仏閣ばかり撮っている。孫を被写体に、もう一回頑張るかな。


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『コンフィデンスマンJP プリンセス編』 [上映中飲食禁止]

この手の映画は滅多にスクリーンで鑑賞しないが、二人の俳優に哀悼の意を表して...

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世界屈指の大富豪として知られるレイモンド・フウ(北大路欣也)が逝去し、彼の子供たちのブリジット(ビビアン・スー)、クリストファー(古川雄大)、アンドリュー(白濱亜嵐)が遺産をめぐってにらみ合うが、相続人として発表されたのは所在のわからない隠し子のミシェル・フウだった。すると、10兆円とされるばく大な遺産を狙うため、世界各国から詐欺師たちが集まりミシェルを装う事態になり、信用詐欺師のダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)もフウ家に潜り込む。(シネマトゥデイより)

前作は密林プライムで視聴済みであり、今作の成り行きも想定の範囲内だった。人気連ドラの映画化にありがちなパターンで、脚本・演出・映像共に特筆すべきものは無い。しかしながら、名優かどうかは別にして有名俳優が数多出演し、海外ロケ含めて、作品のスケール感だけは大きくなった。この一見豪華主義の手法も、小生は良しとしない。俳優陣のほとんどは「顔見せ」程度の演技であり、作品の本筋に何ら影響を与えないし、プロの本気度をなかなか計れないのも残念だ。

そんな中で、主役の長澤まさみは良いなぁ〜好きだなぁ〜[揺れるハート]デビュー当時の天然美少女としての彼女には全く興味が湧かなかったが、20歳中盤からの女っぷりには目尻が下がりっぱなしなのだ。なにはともあれ、まず、この脚線美[ぴかぴか(新しい)]

都市伝説の女(2013年)
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某清涼飲料水のCM(2012年)
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元々は気持ちの優しいヤンキーなのである。デビュー時の美少女イメージと「世界の中心で〜」の大ヒットが、彼女本来の個性を長らく封印せねばならなかったようだが、この辺りから本領発揮だ。そして傑作『海街diary(2015年)』

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綾瀬はるか、広瀬すずのピュアさは光ったが、長澤の演じた男好き・自堕落ながら人一倍家族思いの次女役は素晴らしかった。さらに翌年、NHK大河ドラマ『真田丸』実質ヒロイン役で出演。真田幸村(堺雅人)の幼馴染であり、男女として結ばれる事は無くとも、生涯に亘り、彼を支えた女性を、まさにNHK規格外で演じた。





三谷幸喜演出による、かつての大河ドラマに無い斬新な作品だったが、その中心的存在を担ったのが、円熟期に入った長澤まさみだった。時代考証を無視したような演技は、当時、賛否両論だったが、彼女の本質を見抜いた三谷氏の見事な配役であったと思う。
その後は、多くのヒット邦画から引っ張りだこ状態だ。ゾンビ映画からミステリー系、アクション、シリアスな社会派ドラマまで、幅広い役を演じるが、共通して言えるのは、マトモな美女役は無いという事か。

『マスカレード・ホテル(2019年)』
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『キングダム(2019年)』
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『MOTHER マザー(2020年)』
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最近の活躍と比較すると、今作は等身大のまさみ嬢である。ほとんど肩に力が入っていない。多分に、慣れたスタッフとの楽しい現場であったと推察する。逆に、こういう雰囲気を醸し出す彼女だからこそ、多くの製作陣から声がかかるのではなかろうか。
...と、ほとんど「長澤まさみ特集」と化しているが、気楽に観れる作品である事に間違いはない。「まさみ」による「まさみ」の為だけの映画の中で、存在感を示した数少ない俳優のうち小生のお好みは...

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柴田恭兵〜渋くなったなぁ、69歳ですか[exclamation&question]若い頃から一貫して、サングラスをした刑事のイメージしか持てない俳優だったが、抑えた演技が際立っていた。廻りの俳優陣がエンジン全開目だった為、なおさら作品に山椒を効かせた効果は大きかった。もう一人は...

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ビビアン・スー〜げっ、45歳ですか[がく~(落胆した顔)]デビュー当時のヘアヌード写真集が欲しかったが、女房の手前、諦めた記憶が今、蘇る[揺れるハート]変わらぬ美貌と溢れる色気に乾杯だ。

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三人三様だが、みな良い歳の取り方をしているなぁ[わーい(嬉しい顔)]

さて、この映画はシリーズ化して暫く続きそうな勢いである。どんな展開でもラストはハッピーエンドの、安心して気楽に観られる令和の「水戸黄門」みたいにトコトン頑張って欲しい。30年後の婆さんのダー子(長澤ますみ)を観てみたい衝動に駆られる。助さん(東出)格(小日向)さんもいるしね。

と、まぁ、ほとんど映画の内容自体に触れていなかったが、エンド・クレジット後のラストシーンは強烈に脳裏に残っている。『蒲田行進曲』の階段落ちの名場面をパロディ化して長澤まさみと東出昌大の二人が演じる。そして、階段から落ちたヤス(東出)に銀ちゃん(長澤)が叫ぶ。
「死ぬんじゃないよ」

偶然の為せるシーンとはいえ、重くのしかかる。
年を経た二人の枯れた演技が見たかったな。合掌。




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『彼岸花』 [寫眞歳時記]


久しぶりにカメラを持って、葛飾区奥戸の法蔵院へ。

近所で静かに彼岸花を愛でる場所としてお気に入りです。

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ちょうど一年前、此処に連れて喜んでいた母は、今夏、認知症が急激に悪化した上に精神疾患を併発し、入院を余儀なくされた。来週は、別の施設に移さなければならない。孫の成長と比べると、大人の一年など何の変化も無いと今まで感じていたが、老年の域に入っての退化のスピードも凄まじいものだと、思い知った。そんな自分も爺いだったなと、痛む右膝を摩りながら、自覚新たに、朱に囲まれるお地蔵さまに家内安全を祈るのだった。


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鈴木愛理〜BUONO!の軌跡〜 [偏愛カタルシス]

ベタ惚れだった唯一のアイドル・グループ『 BUONO!』ハロプロ所属の℃-uteとBerrys工房からの選抜メンバーで結成された特別ユニットだった。

嗣永桃子、夏焼雅、鈴木愛理の3人は、母体グループの活動の傍ら、楽曲発表とコンサートを繰り返し、アイドルとは一線を画したロック指向のサウンドと歌唱力の高さで、一部の熱狂的なファンを掴みながら、2017年に活動を完了した。そして母体の2グループも解散し、メンバーは各々の道に進んだ。

AKB等を含む集団アイドルグループには、「卒業」がつきものであり、彼女達の芸能界での「個の真価」を問われるのは、ここからである。多くの者は、女優業かバラエティーの世界に進み、大半は知らぬ間に第一線から2流タレントに落ちこぼれるか、「結婚」を理由に引退となるのが定番である。まして、ソロ歌手を目指す者は少ない上に、その生存率も極めて低い。昭和歌謡を知る小生としては、「卒業後」に一流を極めたのは、工藤静香(おニャン子クラブ)と篠原涼子(東京パフォーマンスドール)ぐらいしか思い付かないのだが。

バラエティーで人気を博した嗣永はキッパリと芸能界を引退、「歌が好き」だった夏焼は自己のユニットを立ち上げるが鳴かず飛ばずの状態のようだ。メンバー最年少の天然娘・鈴木の行く末を、爺ィは一番案じていたが、彼女は流石だ・・・マイペースでにこやかに歌い、光り輝いていた[ぴかぴか(新しい)]

昨年末から、某ユーつべの「THE FIRST TAKE」というチャンネルをたまに視聴している。一流どころのミュージシャンが、生歌・生演奏の一発録音に挑戦する企画だ。半端な演奏者では、それこそ一発で馬脚を露わす企画だが、そこに我が娘・愛理が出演しているのではないか、しかも大御所・鈴木雅之とのデュエットで[るんるん][るんるん][るんるん]





久しぶりに持ち前の美声を聴かせてもらった。人気アニメの主題歌らしいのだが、ソロパートでの歌唱はなく、鈴木雅之をサポートする立場ながら、BUONO!時代からの得意技であるユニゾンのハモリは更に磨きがかかり、音程の破綻は皆無、伸びやかなハイトーンが美しい。もはやアイドルと呼ぶ者がいるであろうか。
BUONO!結成時は中学生。歌の熟練度では、先輩二人の後塵に拝したが、逆に音感の良さはピカイチを感じさせ、突き抜ける高音と能天気な愛くるしさに、爺ィは我が娘を見守る想いで応援したのだった。


では、BUONO!のデビュー曲をライブ映像(2009年)で[どんっ(衝撃)]




幼気な中高生をボンテージ姿にさせ、生バンドをバックにロックを無理やり歌わせるという、ハロプロ親父達の無謀な企画を、彼女達は必死に練習し、やり遂げたのだ。当時は、まだ文化祭レベルのパフォーマンスかもしれないが、ライブはダンス主体で、歌は口パクというアイドルの定義をぶち破り、期待以上の成果を出した最初のグループなのだ。この生演奏をバックにしてのライブ活動が、年を経るごとに成長途上の彼女達を鍛え上げ、遂にはアイドルでは到達し得ないロックの女神達へと変貌させて行った。とりわけ、末っ子扱いだった鈴木愛理の進化は目覚ましく、天賦の才を発揮し始めた彼女は、歌唱・ダンス共にユニットの中心になって行く。

涙、涙、の2017年BUONO!解散ライブ[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)]




2016年に初の武道館ライブを敢行、そして翌2017年5月のBUONO!の集大成とも言うべきLast Liveは、百戦練磨のベテランとも見まごう貫禄と熱狂を醸し出した。どちらのライブもBlue-ray化されているが、武道館版は音源のみのCD付きだ。アイドルグループではあり得ない、1流アーチスト並みの扱いである。長年連れ添ったレディスのバックバンド「ドルチェ」の高い演奏力とBUONO!3名のプロたるパフォーマンスが渾然一体となった後年のライブは、アイドル史上の歴史に残る傑作ばかりだ。とにかく、愛理の笑顔は絶品モノで、演技であろうとなかろうと、こんなに心底、楽しそうに歌って踊るアイドルを、小生は未だ見た事がない。


それから3年...

ももちは、立派な先生になっているのだろうか?雅のグループは健在なのかな?

愛理は、歌手としての実力を着実に付けながら、本人自身は「アーチストorアイドル」の拘りなどを全く関係なさそうに、にこやかに活動を続けている。これからも、彼女の朗らかな天然キャラと天性の能力に触発された周りの関係者が、勝手にメディアに押し出して行くと思う。

それにしても、最近、色っぽくなり過ぎたのは、爺ィは、少々心配なのだ[ふらふら]本当のパパの鈴木亨プロも同様だと思うが、下手な男に捕まらぬように、自分磨きを続けなさい[exclamation×2]


[揺れるハート]まだまだ、成長途上なの[揺れるハート]





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